今日のごはん

  • へろへろ

     金曜日は台風が来るそうなので、今日のうちに出勤。
     17時37分ごろに地震があったそうなのだけど、まったく気づかずに仕事をしていた。

     昼はわたしだけ久しぶりのラーメン。おいしかった。

     夜は、鱈と白菜としめじと油揚げのちり蒸し(電鍋)、あさりの味噌汁。
     ちり蒸しは、帰宅後に材料を全部切って内鍋に入れてラップかけてそのまま冷蔵庫。あさりはざっと砂出し。家族が揃って、だいたい夕食開始時間のめどが立ったら炊飯開始(うちはいつも鍋炊き)。ごはんが炊けたら蒸らしてる間にちり蒸しの内鍋を電鍋にセットしてスイッチぽん。その間にあさりの味噌汁つくって、だいたい全部同時にできあがるという寸法。

     自民党総裁が岸田文雄さんに決まったらしい。公文書管理と情報開示を誠実にやってくれて、令和版所得倍増も実現してくれるといいな。明日の朝、目が覚めたら、お給料が倍になってないかな。

     積読にしてた『ザリガニの鳴くところ』読み始めた。もっと早く読めばよかった。大好きなやつだ。

  • はわわわわ

     『3月のライオン』16巻読みました。

     大好きな人たちのおいしいエピソードが隅から隅までぎっしりと、まるで作中のジグソーパズルのように詰まってる。

     今日の昼は、アイナメのカレー粉焼き、キャベツとエリンギのコンソメケチャップ煮。

  • 2021/09/28

     着々と9月が終わりに向かっていく。忙しい。バッハばっかり聴いてる。

     夕方は弁理士会関東会のオンライン研修を受講。

     弁理士会のオンライン研修は、抜き打ちで在席確認がある。Zoomのアンケート機能を利用して
    「在席していますか?
       ・はい
       ・いいえ」
    で回答するというもの。

     これ、「いいえ」を選択したらどう判断されるんだろうなあ、と毎回指がむずむずするのだけど、その実験のためだけに単位を棒に振るリスクは取れないので、今日の研修でも1回目、2回目の在席確認で「はい」を選択した。
     3回目の最終確認が来て、やれやれと思ったら、アンケートの文面が変わっている。

    「在席していますか?
       ・はい
       ・↑在席確認なので、『はい』を選択してください

     こ、これは、どなたか「いいえ」を選択した(しかもおそらく2回続けて)勇者の先生がいたのでは……?

     発令中の緊急事態宣言と、まん延防止等重点措置が、今月の30日で解除される見通しとなった[1]緊急事態の全面解除決定 酒提供は夜8時まで、1都3県: 日本経済新聞
     ワクチン接種が進んで、先に諸々の制限緩和を進めていた国では、ふたたび感染拡大の兆しが見えているところもある中[2]シンガポールでコロナ感染者急増、過去最多に 3人以上の集まり禁止 | 毎日新聞、手放しで安心とまではいかないけれど、明るいか暗いかで言えば明るいニュースで嬉しい。 
     島国という地の利を生かして一気に封じ込めるには絶好のチャンスだと思うけど、もともとザルだった水際対策は緩和される方向のようで[3]入国時の待機、10日間に短縮 ワクチン接種証明で: 日本経済新聞、国際社会で生きていくためにはしかたないのかもしれないが、難しいものだと思う。おそらく、いち早く感染拡大の予兆を探知して対策を取るための早期検査・隔離体制の拡充も、保健所や病院の支援も、もういらないね、くらいの勢いで忘れ去られていくだろう。ましてや、次に行動制限が必要になったとき、何を根拠として市民に行動制限を要求するのかについての議論など、余裕で棚上げになるだろう。
     あとはひたすら、これ以上厄介な変異株が生まれないよう願うしかない。

     今日の昼は、豚肉の生姜焼き、ごぼうとえのきの中華カレー炒め。
     今日の夜は、Kit Oisixで鶏肉(とたまねぎとしめじとじゃがいも)のレモンクリーム煮、キャベツとベーコンのオイル蒸し。

     ごぼうとえのきの中華カレー炒めは、要するに、薄切りにしたごぼうとざく切りにしたえのきをごま油で炒めて、中華だし(鶏がらスープの素)とカレー粉で味つけしただけなのだけど、これが思いのほかおいしかった。弁当にもぴったり。
     (平日の「今日の昼」はだいたい、外出組の弁当・兼・在宅組の自宅ランチの献立)

  • ちょっと一息

     でかい案件が3つほど、わたしの手をいったん離れたので、ちょっとホッとした。
     立て込んでるときは在宅で仕事できると助かる。集中できるし、通勤時間に縛られなくて済むので。

     結局、夏休みをとらないまま9月が終わりそうで、どこかで有休をと目論んでいた10月も忙しそう。
     10月は舞台のチケットを2つ取ってあるので、そこでうまくエネルギーをチャージして乗り切りたい。

     気がつけば、このweb日記を作ってから半年以上が過ぎていた。
     気楽に書こうと決めて始めただけに、今のところ1週間に10記事くらいのペースで書いている。
     このweb日記を作る前は、即時フィードバックが返ってくるSNSやブログサービスに慣れすぎて、自意識過剰になって書けなくなっていたところがあった。いいリハビリになっていると思う。

     まとまったものをいつか書こう書こうと思っていて書けることはめったにないし、いざ書いてみても、気負いすぎてそれほどいいものにならないことも多い。
     普段からちょこちょこ書いていると、ここはちょっとしっかり書きたいなと思ったときにパッと手が動く瞬発力と、とにもかくにもひとつの記事を完成させる持久力が身についてくる。ような気がする。
     普段の仕事も書く仕事ではあるものの、技術/法律文書を書くときに使う筋肉と、それ以外の、あるていど自分自身を耕さないと書けないものを書くための筋肉は違う。後者の筋肉を鍛えるのに、このweb日記がとても役に立っている。
     それがわたし以外の誰の役に立つのかと言われれば、ごめんなさいするしかないのだが、いずれ回り回って何かの形でわたしが提供するものに反映できれば嬉しい。
     
     気楽にいろいろ書く習慣をつけたい、みたいなことは、実は10年以上前からぐるぐる考え続けていたのだった。
    WordPress for iPhone 導入してみた – 科学と生活のイーハトーヴ
     でもなかなか手が動かなかった。
     その後、この本に出会ってから、ちょっと書けるようにはなってきたけど、まだまだ物足りない。
     『書けるひとになる! 魂の文章術』(ナタリー・ゴールドバーグ=著 小谷啓子=訳) – 科学と生活のイーハトーヴ

     他人の目がないところでは書き続けられない。だが、他人の目を意識しすぎると書けなくなる。
     このバランスを模索してたどりついたのがこのweb日記だったというわけだけど、われながらいいものを作った。シンプルに記録にもなるし。
     
     ここでは、わたしの中から生まれてくる「今、これを書き留めておきたい」という気持ちだけを大事にして続けていこうと思っている。
     お金をいただいて書くものであれば別だが、頼まれもしないで書くものについてひとさまの意向をうかがうのは、それこそ自意識過剰だろうし、サボりすぎだろう。

     今日の昼は、鶏肉のオイスターソース焼き、にんじんとツナの塩きんぴら。
     今日の夜は、Kit Oisixで豚肉と野菜のトマト煮込み、グリーンサラダ。
     

  • 秋分の日

     気温は30度まで上がっている。
     暑さ寒さも彼岸までなので、お彼岸中はまだ暑くてもヨシ! ってことなのかな……(暑い)

     昨日、買い物の帰りに、お散歩中のポメちゃんと目が合って、笑いかけたら立ち止まってくれたので、しばらくアイコンタクトしてたら、ポメちゃんがちらっ、ちらっとわたしの後ろに目をやっている。後ろから来たサラリーマン男性も、どうやらポメちゃんにアイコンタクトしてたみたいで、図らずも2人の他人がポメちゃんのファンサを奪い合う状況に。

     昨日の昼は、マグロカツと、ピーマンと茄子の焼き浸し。
     昨日の夜は、千切りキャベツと豚肉の鍋しゃぶ。
     今日の昼はマック。

  • 中秋の名月

    雲の切れ間に。
    クレーターとか見える月っぽショットも。

     8年ぶりに、満月と同日の中秋の名月とのこと。[1]今日9月21日(火)は満月&中秋の名月 十五夜お月さま見えるかな? – ウェザーニュース
     関東地方はちょっと雲が多め。でもしっかり見えた。

     昼はKit Oisixの肉野菜炒め、甘辛かぼちゃ。
     夜もKit Oisixでお月見リゾット。

     また祝日が来るので忙しいのだもの。。。

  • 2021/09/20

     子供は文化祭2日目へ。
     すっかりいい天気になってよかった。
     平時であれば学校をぐるりと取り囲む(そして校庭にぎっちり並ぶ)入場待機列ができるくらいの混雑だけど、今年は一般公開なし。残念だったところもあるかもしれないが、生徒たちはゆっくりお互いの発表を見たり訪れたりすることができたようで、わりと満足度が高かった様子。これはこれでいい体験だったかもしれない。

     わたしは主にピアノさらって過ごした。

     昼はKit Oisixの肉つけうどん。
     夜はキャベツとベーコンのスープ(電鍋)。

     ベランダから見える月がとても綺麗。明日は中秋の名月。

  • 風が強くなってきた

     どうにか今できる最大限のことはやって、三連休突入。
     明日から子供の学校は文化祭(一般公開はなし)。台風が来そうだが、なんとか最後まで実施できますように。

     今日の昼は、Kit Oisixで牛すね肉と豆のカレー、かぼちゃサラダ(レシピはコロッケだったけど面倒になったのでアレンジ)。
     今日の夜は、サンマの塩焼きたっぷり大根おろしとスダチ添え、さつまあげとこんにゃくの煮物、あさりの味噌汁。

  • いそがしやま

    来週に祝日が2日もあるものだから、たいへんたいへん。

    昨日の夜はピザ。
    今日の昼はKit Oisixのビビンバと豆腐スープ。
    今日の夜はキャベツと鶏だんごとしめじの出汁蒸し(電鍋。ポン酢かなにかかけて食べる)、と、にんじんと油揚げの炊き込みごはん。

  • 『智恵子飛ぶ』を読んだ

     台風14号が本州にも来るらしい。東京に来るのは(そのときには温帯低気圧に変わるらしいが)週末になりそう。
     今日は涼しいが、どんよりした曇り空だった。ここのところだいたいどんよりしているので、そろそろ青空が恋しい。
     
     ここ数日読んでいた『智恵子飛ぶ』(津村節子)を、今朝読み終わった。
     高村智恵子のことが気になっていたのは高校生の頃だったから、大学生になった後に出たこの本は読んでいなかった。

     わたしが結婚したとき、わたしも夫も研究を仕事にしていた。苦しくても手を携えて乗り切っていけるだろうと能天気に思い描いていたほど、その結婚生活は簡単ではなくて、それ以来、研究者どうし、芸術家どうしが共棲みするという生活のあり方はずっと関心の対象であり続けている。

     もっとも、若かったころは、見聞きするエピソードがどれも、女性であることによって妻に突きつけられる理不尽さをあからさまにし、直接的にわたしの感情を揺さぶってくるようで、なかなか冷静には向き合えなかった。
     米沢富美子さんの『二人で紡いだ物語』など、もちろん感動し、勇気づけられはしたものの、それにも増して、どうして妻ばかりがここまで家庭のすべての労苦を背負わなければならないのか、そのことが当たり前のように語られなければならないのか、という反発をより強くおぼえた記憶がある。

     高村光太郎・智恵子夫妻について、高校卒業以来、あまり深入りしなかったのも、冷静さを失うのが怖かったからかもしれない。

     最近は、(家事育児以外に)仕事を持っている者どうしが一緒に暮らすことで生じる相克と懊悩について、自分の個人的な感情をいったん脇に置いて考えられるようになってきた。研究者を辞めて、別の職業人として歩んできた自分のキャリアがそれなりに長くなったからでもあるだろうし、つい先日、萩尾望都さんの『一度だけの大泉の話』を読んだことも大きい。[1]同志がひとつの家に住むということ – Going … Continue reading

     そして今、出会った『智恵子飛ぶ』である。

     智恵子の人生についてのもっとも簡潔で明晰な要約としては、光太郎の『智恵子の半生』がある。また、高村光太郎・智恵子夫妻の伝記的小説の筆頭には、佐藤春夫の『小説 智恵子抄』が挙げられるだろう。しかし、いずれも夫側(光太郎側)の視点から書かれたものだ。[2] … Continue reading

     翻って『智恵子飛ぶ』は、智恵子の目と心に寄り添って書かれている。
     作者の津村節子さんはあとがきの中で、「同じ屋根の下に棲む芸術家夫婦の中に深く立ち入るようになったのは、物を書く男と共に暮すようになってからである」という問題意識を述べている。作家の吉村昭さんを配偶者として長年生活を共にしてきた津村さんならではの視点だ。

     光太郎が
    「彼女の一生は実に単純であり、純粋に一私人的生活に終始し、いささかも社会的意義を有(も)つ生活に触れなかった」
    と削ぎ落とし、
     佐藤春夫が
    「自分の拙劣な絵はいっそあきらめてしまって、家事に尽くし、光太郎の努力に協力してその彫刻を完成させるのこそ美術に尽くすことだと智恵子は考えたらしい」
    と朗らかに決めつけた智恵子の人生と心の動きを、津村さんはていねいに掬い取る。

     親からも弟妹たちからも一目置かれ、何かと頼りにされて、家族のために運動し、こころを砕く智恵子。
     文展落選に傷つき、ふたたび意欲を奮い立たせて太平洋画会へ勉強に行こうとするも、深い心の傷と病と貧困に蝕まれ、意欲を失っていく智恵子。
     病に苦しみながら、『女性』誌に強い意志のこもった投稿を寄せる智恵子。

     いささかの社会的意義をもつ生活にも触れなかった?
     自分の拙劣な絵はいっそあきらめた?
     そのような智恵子像は、この『智恵子飛ぶ』からは全く読み取れない。
     極めて強い意志とヒリヒリするほどの才能をもった女性が、現実生活の中で、しかも目も眩むような才能とチャンスに恵まれた愛する人との生活の中で、ひたすら努力し、あがき、疲労し、摩耗していくのである。
     その過程はすさまじく残酷だが、津村さんの筆致は決して同情的でウェットなものではない。津村さんご自身が、才能に努力を積み重ね、たくさんの仕事を残してきたひとりの女性として、そのようにあり得たかもしれない智恵子を見いだそうとし、結果としてそうはなり得なかった智恵子を、あくまで対等な視点から見いだしたからこそ描き出された姿なのだと思う。

     この智恵子の後ろに、何万人、何百万人の智恵子たちの姿を、わたしたちは容易に想像することができるはずだ。

     そして今日もわたしはごはんを作り、仕事をする。
     昼は、アジの竜田揚げ、卵焼き。子供の弁当にはプラス、冷食の切り干し大根の煮もの。
     夜は、Kit Oisixで、カレイのごま衣焼き、たまご入りポテサラ。

    References
    1同志がひとつの家に住むということ – Going Pollyanna
    いわずもがなではあるが、才気溢れた女性クリエイターたちがひとつ屋根の下で生活する話と、その後の話である。
    2佐藤春夫は「また或る時は光太郎となり、或る時は智恵子となり一人二役の演技で俳優兼舞台監督のような仕事をしているのである」と無邪気に述べているが、徹頭徹尾光太郎の視点からしか書かれていない。
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