2026年3月14日

  • 「自分にウソをつかない」を誰かに助けてもらうと、救われることがあるかもしれない

     「自分にウソをつかない」は「自分に対するネガティブな思いをごまかさない」と言い換えてもいい。

     自分をいちばん簡単に甘やかせるのは自分で、調子のいいときにはそれに乗っかって甘やかしてくれる無責任な他人もどんどん集まってきたりもする。

     けれど、そういうときにちょっとした小さな劣等感や後ろめたさを無視し続けていると、いざ大きな困難に直面したときが大変だ。無責任な他人が離れていくくらいは、どうということはない。自分に対して自分が、最後にいちばんクリティカルなタイミングで、いちばん厳しい目を向けてくる。

     「私はこれだけいろんなことを犠牲にしてきた。寝る間も惜しんでがんばってきた」 
     「その “努力” と自分が考えているものに見合う成果は出せている? それで自分や自分の周りの人たちは幸せ?」

     「別に “努力” というほどのことじゃないし、楽しんでもいるし。だって私は生まれながらに優秀だから、こんなもの “努力” のうちに入らない。ほかの人たちにとってはすごいことに見えるかもしれないけれど(フフン)」 
     「それでも現状に不満があるなら、自分が思っているほど優秀じゃないか、まだ努力が足りないか、努力の方向性が間違っているんじゃない?」

     「そうかもしれない。私にはそのことを虚心坦懐に理解するだけの知性がある。だから私はがんばるんだ。努力し続けるんだ」 
     「その “努力” と自分が考えているものに……」

     「うるさいうるさい。もう無理。だって体と心が悲鳴を上げているもの。こんなに頑張ったのだもの」
     「……」

     と、自分の声が聞こえなくなってしまう段階に至ってしまう。
     よくもわるくも、なにがしかの志を持っている人の中には、しばしばここで燃え尽きたり、それでもなお甘やかしてくれそうな人たちに擦り寄って、自分が踏みにじれそうな相手を探しては踏みにじることで、自分の優越を確認し続けようとする人が出てくる。

     そうならずにどうにか立ち直るには、調子のいいときだけではなく、いつでも自分のことを見てくれている他人の力を借りるのが早い。自分が自分についてきたウソや劣等感や後ろめたさにそっと目を向けさせ、一緒にそれを救ってくれるような人が。
     そういう他人は、誰にもきっといる。ずっとご無沙汰だったかもしれない人の中にもきっといる。

     もし我が国初の女性首相が今、そういう状況にあるとしたら、どなたか心あるご友人が手を差し伸べてあげてほしいと思う。彼女と同世代だったり、似たようなタイプだったりするキャリアウーマンたちの中に、こういった転帰をたどる女性をしばしば見かけるので。

     僭越かつ失礼きわまりない推察だなと我ながら思う。申し訳ない。さすがに、きっともっと図太くてしたたかで、こちらが立ち向かう甲斐のある人なのだろう。そうあってほしい。

     風邪気味の原因は「寝不足」 高市首相、体調すぐれず外交行事を欠席 資料読み込む「完璧主義者」ぶりが裏目に:東京新聞デジタル

     

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