月別アーカイブ: 2021年6月

2021/06/30

 6月最終日の水曜日。
 重ための仕事が2つ片づいて、気分的にはもう金曜日。

 昨日仕込んどいた塩豚と、じゃがいもとにんじんとキャベツとベーコンとソーセージでポトフ的なやつを夕飯に。
 昼は、豚肉の茹で漬けと、にんじんとあさりと海苔のナムル。

2021/06/29

 在宅仕事。
 夜中に降り出した雨が朝起きても降り続いていて、昼に止んだかと思えば、夜にまた雷を伴った強い雨。
 梅雨と真夏が混ざり合ったような1日だった。

 在宅昼ご飯(兼、外出組の弁当)は、鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、いんげんとしいたけの塩胡椒バター炒め。
 夕ご飯は、鱈と白菜と油揚げのちり蒸しと、枝豆のクレイジーソルト炒め。

 夕食後、立花隆さん追悼番組、NHKスペシャル「立花隆のシベリア鎮魂歌~抑留画家・香月泰男~」を見た。
 立花さんが追い続けた画家・香月泰男さんの足跡を冬のシベリアにたどるドキュメンタリー。わたしが大学で出会う1年前の立花さんだ。
 「埋葬」を描いた後「涅槃」まで、実に12年にわたって筆が止まった(筆を止めざるを得なかった)香月さんの心境に思いを馳せ、言葉を詰まらせる姿に、人間・立花さんとしての優しさと、表現者・立花隆としての苦悩の一端を見た気がした。

 立花さんご自身を振り返って、若書きのよさと若書きの欠点、みたいな話をされていたが、スケールは段違いに小さいものの、わたし自身がそれを痛切に感じている。
 学生だったころのわたしにあったとんでもない勢いと、それと裏腹に見えていたものの狭さとを。

 「死んだ者たちが帰ってこない以上、生きている者は何をしたらいい、という有名な詩の一節なんですけども、それを思い出したわけです」(立花さん。ナホトカの渚で)

 「個人にとっても国家にとっても、記憶は人格の一部です。戦争体験の記憶を失った時、日本という国家の性格も変わってしまうのではないでしょうか」(立花さん。エンディングのナレーション)

 そして、故・翁長沖縄県知事の訴えに対して「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」と官房長官時代に言い放った菅義偉氏[1]“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか(石戸 諭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)が今、日本の総理大臣になっている。

帰宅帰宅

 今日は暑かったー!

 荒木健太郎先生の『空のふしぎがすべてわかる! すごすぎる天気の図鑑』と、ジャンプと、中高生の基礎英語7月号テキスト買って帰宅。

 シャワー浴びたら夕飯つくる。

 今日の昼は、卵入りエビマヨ、ピーマンとしいたけのきんぴら。
 今日の夜は、鶏手羽元さっぱり煮と、レタスとベーコンのサラダ。

書きたいことがあるやつは即時的なレスポンスが得られなくても書き続けるだろう

結局みんなキャッキャウフフしたかっただけなのか – phaの日記

こないだからぽつぽつ話題になってる「はてな村から人がいなくなってる」「みんなブログを書かなくなった」系の議題について。
みんなタダで長文を書かなくなったとか、手軽に人と仲良く絡みたいだけだったのだとか、そうかもしれない。そうかもしれないが、わたしに関してはちょっと違う、と言いたい。

意識的にSNSとの障壁を高めにしたこのブログを3月に作ってもうすぐ4ヶ月。はてなブログ時代をはるかに超えるペースで更新が続いている。

キャッキャウフフは楽しいが、それが長引くにつれ、少しずつ、その関係性に澱が溜まっていったり、心地よかった関係性に意地悪なウォッチャーの監視が絡まってくることがある。わたしにはそれがしんどかった。
しんどいから書くのをやめるという道もあったかもしれないが、書きたいことは毎日出てくる。ならばなんとか書き続けられる場所がほしいとおもって作ったのがこのブログだ。

隠すつもりはないから、これまでのブログにもTwitterにも、聞いてくれれば場所をお伝えすると公言している。シェアもご自由にしていただいて構わない旨を「このサイトについて」のページに記載している。どうしても伝えたい記事については、実はときたまTwitterやFacebookで宣伝もしている。
「わたしと仲がいい人だけが知ってるところに、ちょっと内緒のことを書きましたよ〜(知らない人はごめんね)」みたいなイヤらしい仄めかしを、わたしのTwitterやブログをこれまで積極的に読んでくれていた人たちに対してしたくないからだ。

ただ、ちょっと意地悪かもしれないのは、この場所を直接わたしに聞くということ自体、わたしに対するある程度の興味を表すことになるので、それをしたくない人たちはモヤモヤすることになるかも、という点。
とはいえ、別に非公開ブログではないので、何かの機会に、わたしに対してさほど好意的ではない人の目にここが触れて、継続的にウォッチングされることもあるかもしれない。
今のところ、機械的なクローリングと自分のアクセスを除いて、いつ、どの記事に、何人の人が訪れたか、くらいしかわからない簡易なアクセス解析しかしていないが、特に敵対的な監視の視線は感じていない。そういう視線があったとしても、わたしには見えない(見えにくい)ようになっているから、苦にならない。

ごくたまにSNSで宣伝したとき以外に、継続的にここに読みにきてくれる人はまったく多くない。でも途切れることもない。
これがほんとうにありがたい。ありがとうございます。
ここにまったくキャッキャウフフはないけれど、この「わたしは書いた」「誰か知らない人が読んでくれた」というだけの関係性が、今のわたしにはとても心地よい。

このブログをつくってから4ヶ月という短い期間の、わたし一人だけの経験というきわめて低いエビデンスに基づく主張で申し訳ないが、書きたいことがある人は、SNS的な即レスがなくても、きっと書き続けるはずだとわたしは思う。

一週間がんばった

 もしかして:プレミアムフライデー

 がんばったご褒美かどうか知らないが、FGOピックアップでキャストリアが来てくれた。やったー! ウマ娘だけじゃなくて、またサーヴァントも育てるよ。

 そこそこ大変な仕事が週の後半に来るはずと予想して、体力温存しといてよかった。昨日と今日でだいぶ進んだ。国外含め、一緒に仕事してる方々が優秀かつ人格円満な方ばかりで助かる。

 今日の昼は、豚ひき肉とキャベツのオイスターソース炒め、にんじんとツナの塩きんぴら。
 今日の夜は、茹で鶏胸肉とキャベツに各自適当なドレッシングなりなんなりかけて食べるやつと、鶏胸肉茹でたスープに豆腐と溶き卵入れたやつと、ねぎとあさりのにんにく蒸し。

2021/06/25

 先日、子供が大喜びで帰ってきたので何事かと思ったら、中止になった修学旅行の代わりに、日帰り遠足実施が決まったとのこと。
 
 ホームルームの時間に突然、先生方によるラジオ英語講座ふうの放送が始まり、なんだなんだと聞いていたら、日帰り遠足決定が発表されたらしい。
 もちろん生徒たちはみんな大喜び(盛り上がりすぎてその後の大事な内容が聞こえなかったとか)。
 修学旅行中止のお知らせもホームルーム放送だったらしく、同じ放送で喜ばせてくれるとは、先生方も粋なことをなさる。ありがたいことです。

2021/06/24

 ワクチンの供給が滞りつつあるという話がちらほら。[1]ワクチン、医療機関に在庫? 厚労相、偏在の可能性指摘 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル[2]政府 職域接種 申請受け付け一時休止 自治体接種を円滑に | 新型コロナ ワクチン(日本国内) | NHKニュース

 比較的効果が高くなく、血栓等の重めの副作用の懸念もあるアストラゼネカ製のワクチンの使用も検討され始めた。[3]アストラゼネカ製ワクチン、公費接種へ 60歳以上対象 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル

 なし崩しに交差接種も可能とされたりするとイヤなので、やっぱり打てるものなら早めに打ちたいと考え直して、区の個別接種施設の状況を調べたところ、そこそこ空きがある様子。空きがあるなら、優先されるべき方を押しのけることにもならないかと判断して、そのうちの1つの施設で、7月後半に1回目、8月半ばに2回目を予約した[4]メニエールを見てもらってるかかりつけ(勤務先近く)はワクチン接種をやっていない。
 集団接種会場はほぼ埋まっていて、空いているところも8月半ば、とかそんな感じ。ネットで予約が取りやすく、アクセスも楽な集団接種会場の方が人気なのかも。

 今日の昼はアジフライと、小松菜とちくわの煮浸し。
 夜は『亡命ロシア料理』から「帰れ、鶏肉へ!」、とレタスのサラダと、パン。

 『亡命ロシア料理』めちゃくちゃおもしろい。

「帰れ、鶏肉へ!」帰れぬ祖国 「亡命ロシア料理」異文化の隠し味 | 毎日新聞

 

立花隆さんのこと

 4月30日に立花隆さんが亡くなった。立花さんは、わたしにとって大切な恩師である。

 最初の(書籍をとおしての)出会いは高校生のころ。利根川進先生へのインタビューをまとめた『精神と物質』である。分子生物学のおもしろさに初めて触れたのがこの本だった。
 東大教養学部(駒場)の学生になり、応用倫理学の講義「人間の現在」[1]元ゼミ生が語る、立花隆の「伝説の東大講義」をいま読み直す意味( 緑 慎也) | 現代新書 | … Continue readingで初めて、本物の立花さんと出会った。価値観と好奇心を根底から揺さぶられる経験に衝撃を受け、さらに『調べて書く』と題した立花ゼミにも参加した。

 写真は、立花ゼミの企画を書籍にしたもので、わたしが取材してまとめた文章も収録されている[2]既に絶版になっているが、新潮社からも刊行された。
。その文章は、後に、立花さんの推薦で、駒場の優秀論文集にも収録された。完成稿とするまでに、立花さんに直接赤を入れていただいた原稿は、今でもわたしの宝物である。
 
 立花さんの事務所(通称「猫ビル」)で、資料収集等のアルバイトをした夏のことは一生忘れないだろう。暇さえあれば猫ビルの膨大な蔵書に読みふける毎日で、優秀な働き手とはとても言えなかったはずだが、それでも、立花さんは柔和な目でにこにこしながら、わたしを適当に放牧してくれていた。
 若者が嫌いだとは言いつつも、若者と語り合い、若者を育てることに積極的な人だった。
 わたしのように育ててもらった学生はたくさんいるはずである。

 あのころ、自分が書いたものを立花さんに認めてもらったことが嬉しくて、物を書く道に進もうかとかなり悩み、その後も悩み続けた。なんなら今でも悩んでいる。
 学生のころは、自分には何もない、自分はからっぽなのだ、何も専門がなければ早晩書くことがなくなってしまうのではないか、という不安に常にさいなまれていた。青年期特有の自己評価の低さが空回りしていたのだと思う。
 そして、たとえば宮沢賢治のように、たとえば北杜夫のように、理系のバックグラウンドのある物書きになりたくて、理学部に進んだ。
 そのまま理系のキャリアをなんとかつないで生きているが、その選択がよかったのか悪かったのかはわからない。

 卒業後、ゼミの同窓会でお目に掛かったとき、立花さんは「あなたは物を書く道に進むと思っていた。あれだけ力があるのだから」と言ってくれた。そのとき、照れ笑いしながらモゴモゴとごまかすことしかできなかった自分を、今でもふがいなく思う。

 研究者としてのトレーニングを積み、曲がりなりにも成長していくにつれて、立花さんの書くものとは意見を異にすることも次第に増えてきた。
 また、立花さんがかなりバッシングを受けていた時期には、「立花ゼミの経験はあまり口にしない方がいいよ」とわたしに忠告する友人まで出てきた。
 しかし、そんなことはどうでもいいと言い切れるほど、わたしは立花さんに大切なことの数々を教えてもらった。立花さんに教えられた、人類が築き上げてきた知的な営みの大きさ、深さ、おもしろさ、そしてそれらとの向き合い方は、今でもわたしの根幹をなしている。
 だから、これからも、立花さんはわたしの恩師であると言い続けようと思う。

 「先生」と呼ばれることを好んでいた記憶はないので、立花先生とは呼ばない。
 立花さん、わたしの心に決して消えない知的好奇心の火を灯してくれて、ありがとうございました。
 自信を失いかけたとき、寄り縋る杖となるような言葉を残してくれて、ありがとうございました。
 どうぞゆっくりとお休みください。

References
1 元ゼミ生が語る、立花隆の「伝説の東大講義」をいま読み直す意味( 緑 慎也) | 現代新書 | 講談社(1/4)
応用倫理学の単位はその前に取っていたため、本来なら履修できないはずのところ、正式に(?)もぐらせてくださいと直訴する書面を書いた記憶がある。
2 既に絶版になっているが、新潮社からも刊行された。

2021/06/22

 抱えてる仕事量に余裕があると、滞貨がないからモチベーションも上がって、さらに注意力も処理スピードも上がる。いいことしかないな。あとまわしの魔女[1]あとまわしの魔女 (あとまわしのまじょ)とは【ピクシブ百科事典】がつけいる隙がない。

 仕事がめちゃくちゃ忙しかったころは、食事のことに頭を使うのがしんどい気がして、平日はOISIXのミールキットのお世話になっていた。
 でも、決められた材料で決められたものをずっと作っていると、地味に「やらされ感」が蓄積していって、それがつらい。
 ちょっとしんどくても、自分でそのとき食べたいものを食べたいように作って食べると、気分も体調もアガる。気がする。
 どっちにしても気持ちの問題なのだけど、だったら、というかだからこそ、快適な方を選んで生きていきたい。

 今日はスペアリブの角煮風(オールスパイスをほんの少し)、レタスとしらすのサラダ。ごはんは青森の「青天の霹靂」を張り込みました。

夏至

在宅仕事終わって7時半過ぎ。ジャンプ買いに外に出てもまだうっすら明るい。

・逃げ若、逃げの本領発揮ではすはすしてるのかわいい。
・ドクスト快調に話が進んで目が離せない。
・読切「すりーぴんぐ&ギャング」、SPY&FAMILYとかよつばと!とか好きな人は(つまりわたしは)大好物なやつだ。
・ウィッチウォッチ泣いた。ニコちゃんの「〜のよ」って語尾好き。
・ロボコ、ストーリー展開がうますぎる。毎度感心する。
・アメノフルその手が! テンポよくていい。
・風子かっこいい。アンディの懐あったかそう。
・マグちゃんの麦わら帽子ちょうかわいいな。