投稿者「pollyanna」のアーカイブ

Mastodonメンテ中に考えたこと

 Mastodonサーバを運営してくださっているHostdonさんがメンテ中。このメンテ後にMastodon v4.4.0へアップデートしていただけるとのことなので、のんびり楽しく待っている。いつもありがとうございます。

 ここのサイトについては、FediverseやFediverseを介したBlueskyへの配信システムを整え、ついでにサイトデザインも変えて、短いつぶやきも長めの記事も、特に気にせず投稿できるようにした。

 その結果、自分専用のSNSのようなブログのような感じのものがほしい! というかねてからの望みが叶って嬉しい。それを自分で作れたのも嬉しい。どんなにささやかなものでも、何かを自分で作るのは楽しい。

 などと思っていたらキタニタツヤさんのX投稿が物議を醸していた(らしい)。

 Xユーザーのキタニタツヤ Tatsuya Kitaniさん: 「純粋な消費者(そのコンテンツの作り手でない人)がチョビ悪意でクリエイターに大ダメージ与えてる様を見るの超凹む 全ての人は「物知りな批評家」より「ショボい(ショボくとも)作り手」であってほしい 誰もがクリップスタジオペイントを3時間触って綺麗な線の引けなさを知るだけで、この世は…」 / X

 私はキタニタツヤさんに心から同意する。

 たとえば私がインターネットに何かを書いたり、自分のサイトを作ったりするのは、「自分の頭の中にある、まだ形になっていない何か」を自分なりに形にしたいからだ。どれほどショボくとも、少しでも、自分が作ったものを形にして、世の中に投げ込みたいからだ。

 もちろんたくさんの人たちの知恵や力を借りなければそれは不可能だ。だから、先人たちや、同時代の人たちが生み出してきた知には最大限の敬意を払いたい。

 以前、SUUMOタウンさんに寄稿した記事で、博士課程にいたころの思い出として、こんなことを書いていた。

しかし、研究室とは全く違う時間が流れる館内を歩いていると、次第に憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になり、ふと「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出していた。無数の先人たちが築き上げた知の蓄積の上に立ち、初めて見ることができる景色があるという意味の言葉だ。

それまでの私は、なんだか一人で全ての研究をやってのけないといけないような気持ちになっていたが、そんなことはない。いつか誰かが見るかもしれない新しい景色を思い描きながら、巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない。

 当時の気持ちは今も変わっていないということなのだと思う。

なんというタイミング

 7月13日に、小金井良精に関する記事
星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ – Going Pollyanna
を公開したのだが、その翌日に、東大がアイヌ遺骨持ち去りについて初めて謝罪したというニュースがあった。

「尊厳傷つけた」東大が初めて持ち去りを謝罪 小樽・アイヌ遺骨返還

 良精の後継者たちによって、かつての人倫にもとる行為の反省が進み、民族の尊厳が回復されていくことを引き続き望む。

星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ

 きっかけは、2025年6月11日の毎日新聞記事

遺骨返還の東大は「最も差別的」 ハワイ先住民が耳を疑った言葉 | 毎日新聞

 著名な解剖学者・人類学者である小金井良精(1859~1944)らがかつて収集したハワイ先住民の遺骨4体の返還について、東大の対応がとても失礼で差別的だった、とハワイ先住民の支援団体代表が述べている。

 人類学の黎明期には、小金井を含めて世界の学者たちがこぞって先住民族の遺骨を盗掘し、交換してきたという歴史的経緯がある。小金井を有名にしたのはアイヌの人骨研究だが、その基になった人骨も盗掘したものだった。

 現代では、遺骨の調査研究の倫理指針が整備されつつあるが、日本の人類学は世界の潮流に逆らっているという指摘がある1。何より、毎日新聞の記事でも指摘されているとおり、遺骨の持ち去りは当時でも非難される行為だった。

 小金井良精とはどういう人だったのか。その孫で大御所SF作家の星新一は、祖父をどう見ていたのか。それが知りたくて、『祖父・小金井良精の記』を手に取った。

 結論として、星新一は、良精の行為について倫理的な批判を一切行っていない。この書籍が出版されたのは1974年のことであり、また、星新一が祖父に非常にかわいがられて育ったことを考えれば、それはそういうものであろうと思う。しかし、子供のころ彼のショートショートを夢中で読んで育った私の勝手な思いとしては、残念だった。

 『祖父・小金井良精の記』は、おおまかなエピソードごとに、良精の日記や、関連する人物の書籍・談話などを引用しつつ書かれているため、年代もあちこちに飛び、どうしても散漫な印象を受ける。あのショートショートの切れ味を期待して読むとがっかりするかもしれない。

 しかし、個々のエピソードについてはさすがのストーリーテリングでおもしろく読めるし、なにより義兄の森林太郎(森鴎外)や師事したベルツを始めとして登場人物が絢爛豪華なので、読み通すのに苦はなかった。

 幕末、長岡藩の武士の子として育ち、戊辰戦争時には流浪して困苦を極めた挙句、明治5年、満13歳で医学を志して第一大学区医学校に入学。からのドイツ留学あたりは、この時代の若者たちの青雲の志が眩しく、胸が躍る。

学問はそれだけで存在しているのでなく、それを発生させ育てた土壌があるのだと気づく。・・・(中略)・・・ひとつの専門分野を日本に持ち帰ろうとしても、それは切った木の枝にすぎない。死んだ標本である。故国に持ち帰り、移植し、将来にむかって育ちつづけさせるためには、根元のまわりの土を、できるだけたくさんつけておかなければならないのだ。

 生物学的側面からみた学問・研究に関する記述は、星新一自身が東大農学部を卒業し、大学院前期を修了した理系の人なので、専門的になってもかゆいところに手が届くおもしろさがある。

 良精のアイヌ研究については、良精自身が書いた「アイノの人類学的調査の思い出――四八年前の思い出」の要約としているが、良精の日記も参照して構成していると思われる。

 ヘビを嫌うアイヌの老婆を同行者が呼びとめ、ヘビの話をしてからかっているうちに発作が起こった話などが、まったく批判もなく紹介されていて、このあたりは読んでいて極めて不快だった。また、盗掘の詳細についてはまったく触れられていない。日記には書いてあったはずだが。

 書籍全体を通して、良精自身はアイヌに深い親近感と愛情を持っていた人物として描かれており、それはそうなのだろうと思うが、和人と対等に尊重されるべき民族とみている節はなかった。それは台湾やそのほかの国の先住民たちに対しても同じであり、星新一もそのような見方を共有しているように思えた。

 そのほかに印象に残ったことは大きく分けて3つある。

 まず、この時代、とにかく人が死ぬ。病気で、戦争で、あるいは人生を苦にして、どんどん人が死ぬ。良精の人生に後々も関わってくる重要人物なのだろうな、と思った人でも、次のページではもう亡くなっていたりする。
 漫画『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が「この時代に老いぼれを見たら『生き残り』と思え」と言っているが、まさにそのとおりだと思った。

 2番目は、良精による昭和天皇に対する御前講演のことだ。
 昭和2年、良精は日本の先住民族について昭和天皇に講義をしており、昭和天皇はそれに対して「日本民族なるものは、どこから来たのか」などと詳しく質問をしている。……えっ、昭和天皇、いろいろ科学的に知ってたんじゃん? どういう気持ちでこの後、現人神として戦争に臨んだんです? と思わざるを得なかった。

 最後、しみじみと心に残ったのは、良精の妻の喜美子のことだ。優れた歌人・随筆家であったことはぼんやり知っていたが、きちんとその作品を読んだことはなかった。それが、『祖父・小金井良精の記』にはたくさん引用されている。優れてこまやかな観察眼と愛情に溢れていながら、てらったところのない歌や随想で、こんなふうに書けたらと心から憧れるものだった。

  1. 持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは:東京新聞デジタル ↩︎

「すー」

 ですます調で説明したり発表したりするとき、最後の「す」を「すー」と上がり気味に強調する言い方を、一年ほど前からよく聞くようになった。あれはどんな界隈で流行り出して、どういうルートで広まったんだろうか。特に関西ことばの文脈でもない。

 営業の場面でも、会議や研修でも、ときどきラジオでも聞く。使ってる人に聞くのが早いのだろうが、あなたその言い方どこでおぼえたんですかとはなかなか聞きづらい。

 でも聞きたい。あなたの「すー」はどこから?

優しく生きようと思う

 他人に簡単にいい思いをさせてはいけない、他人を無条件に喜ばせてはいけない、という感覚が、無意識レベルにまで染みついている人たちのことを考えている。

 相手が望んでいることをわかっていながら、そしてそれを叶える力が自分にあることもわかっていながら、簡単にはその望みを叶えてはやらないよ、というふるまいが、特に考えずとも反射的に出る人たちのことだ。タダ乗り絶対許さないマン・見返り絶対要求するマンと言ってもいい。

 地域や職場といった「外」のコミュニティにも、夫婦間・親子間といった「内」のコミュニティにも、こういう人たちは必ずいる。個別の「内」のコミュニティでは、いない場合もあるかもしれない。

 そういう人たちがどうしてそうなったかについては、さまざまな事情があろう。子供のころ、甘えるな、何かをしてもらったら必ず何かを返せ、と常に要求されて育ったのかもしれず、あるいは、大人になってからの経験が影響したのかもしれない。
 そうなってしまった人が、無意識レベルから自分を変えるのは難しいだろう。

 でも、気軽に他人に手を貸せない人が多ければ、気軽に他人に頼れない人も増える。これは不幸で悲しいことだ。最近つくづくそう思う。

 私は優しく生きようと思う。

自分メンテはじめました

 この春、子供が大学生になって家を出て、夫も教授職を得て単身赴任し、子供を二人育て上げたような気持ちになった。
 子供はともかく夫は大人だろうと言われそうだし、私もそう思うのだが、夫は50代半ばの典型的な昭和男で、まあそういうことである。

 しかも2月には、うちのリビングのベランダに面した隣のアパートが火事になり、朝から避難するという騒動があった。その後、現場側の窓ガラスの大部分にヒビが入って、網戸の網は焼けて溶け落ち、エアコンの配管・配線がカバーも含めて焼け焦げるなどの類焼被害があった。その修理がすべて終わったのが6月半ば。

 ようやく諸々(ほんとうに諸々)落ち着いたので、6月後半から、これまで後回しにしてきた自分の体のメンテナンスをぼちぼち始めた。詳しくはそのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。

 とりあえずいくつかの病院にお世話になりはじめて、改めて医療と医療従事者の皆さんのありがたみが身に沁みる。これらの厄介ごとを、もう自分だけで抱えておかなくていい、というだけで、心の方も驚くほど軽くなってきた。
 自分のケアにも他人様の手をお借りすることは大事。とても大事。

『松本清張の女たち』 (酒井順子)読んだ

 Mastodonで吉川浩満さんが紹介されていて、こんなの絶対おもしろいに決まってる! と思って即買いした。

 

 『松本清張の女たち』 酒井順子 | 新潮社

 松本清張といえば、色とりどりの女性主人公が魅力的な作品が数多くあるが、酒井順子は、たとえば主婦向けの「婦人倶楽部」、働く女性向けの「女性自身」、社会派の「婦人公論」など、掲載誌の性質によって女性主人公のキャラクターや生き方が描き分けられていることを看破した。

 そして、膨大な清張作品を縦横無尽に読み込み、「実は清張は、推理小説界において男女の機会均等実現に挑戦した人なのではないか。だからこそその作品は、男女を問わず人気を博したのではないか」という仮説の検証に挑んでいる。おもしろくないわけがない。

 清張作品はそれなりに読んできたつもりだったが、知らない作品もたくさんあった。「あれもこれも今すぐ読みたい!」という気持ちにさせられるブックガイドとしても秀逸だと思う。

 あまり関係ないのだが、酒井さんは「……のであり、」という接続が好きなのだなあということに初めて気づいた(93箇所あった)。カイジシリーズの「とどのつまり」のようなものかもしれない。

投稿をブロックエディタにしてみる

Fediverseに投稿されるときに、段落要素を示すHTMLタグがいちいち表示されてしまうのがわずらわしいので、これはもしかしてクラシックエディタを使っているためではないか、という仮説を検証するために、ブロックエディタで書いてみることにした。

段落分けしてもHTMLタグが表示されなくなるとよいのだが。
段落中で改行しても問題ないかな?

と、ここまで書いてみて思ったけれども、ブロックエディタ使いやすいね。
テーマをブロック対応にしたのと合わせて、ブロックの考え方に慣れてきたのかもしれない。

(追記)
いやダメだ。やっぱり普通にHTMLタグが表示されてしまう。
これはActivityPubプラグインの対応を待つしかないかな。