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  • 鉄剤すごい

     数年前から進行し始めた貧血(鉄欠乏性貧血)がいよいよシャレにならなくなってきたので、治療を始めた。

     いろいろ考えるとこれは婦人科マターだろうなと思ってはいたものの、内科的治療でどうにかなるレベルから外科的治療が必要なレベルまで、いろいろなパターンが予想される。
     子供の受験やら夫の仕事やら家の雑務あれこれやら、それにもちろん自分の仕事のスケジュールやらを考えると、外科的治療が必要と判断された場合、すぐには困るなと思って先延ばしにしていたのを、もう待ったなしであろうと判断したのが6月。

     とりいそぎ(遅いのだが)評判のよさそうな近所の婦人科に電話してみたら、評判がよさそうなだけに予約がそうそうすぐには取れなかった。
     あんな都合そんな都合をすり合わせて、ようやく受診したところ、やはり過多月経が問題ですねということになり、治療を開始していただけた。

     貧血の方にはおなじみの鉄剤を飲み始めた時点で、もう楽! 体がものすごく楽! 疲れないし動悸もしないしめまいもしない。今までどれだけ細胞に酸素不足の負担をかけていたのかと申し訳なくなるレベル。

     採血してもらった看護師さんに「貧血が治るとね、もうものすごく楽になりますよ。びっくりするくらい体が軽くなるから」って言われていたことが、まったくそのとおりに実現してびっくりした。

     その看護師さんは助産師でもある年配の女性で、採血しながらいろいろ話を聞いてくれた。
     家が落ち着いて、ようやく来ましたーという話をしたら、「そうなのよ」と。
     「お母さんはみんなそう。夫が第一、子供が第一。子供が大きくなるまでは、とか旦那さんの仕事のこれが終わるまでは、とかで自分を後回しにしちゃうんですよね。でも、自分も第一にしてね」と私の手をさすりながら声をかけてもらえて、泣きそうになった。

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  • 映画『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』みてきた(ネタバレ)

     昨日、『スーパーマン』に続いて最新劇場版鬼滅も見てきたよ。ネタバレあり感想メモです。

    ・無限城の、圧倒的かつ絶望的な広さと能力を伝えてくれる映像がすごかった。これ、もう都市じゃない? と思えるほど。鳴女はどうやってこれを把握して操ってるの。上弦の肆を受け継いだ者、怖。ある程度はその場にいる鬼の意思をオートで反映するようにはなっているのだろうが。

    ・今回避けられないのは、童磨と胡蝶しのぶの決戦。どうなるかわかっていても(わかっているから)見るのがつらくなるだろうと思っていたが、しのぶの覚悟と力の大きさに、甘ったるい同情や切なさは消し飛んだ。しのぶが何を考え、どう行動しているのかを緻密に、大きくクローズアップして描いてくれていたからだと思う。早見沙織さんのギリギリまで抑えた演技と共に、しのぶを、押しも押されもしない「柱」として表現してくれたことが嬉しかった。

    ・童磨は本当に本当に好きになれない鬼だが、その底知れないおそろしさといやらしさを演じた宮野真守さんこそ底知れない。カナヲ・伊之助との決戦も楽しみ。そこに必ず存在する、強く大きいしのぶの遺志と共に。

    ・16巻後半から18巻後半くらいまでという大ボリュームを一つの映画にしているのに、原作に忠実な上に、さらに補われたであろうシーンの効果が大きい。

    ・たとえばしのぶの死を鎹烏から伝えられてもなお、炭治郎と義勇が走り続けるシーンがある。そこで炭治郎が、突然開いた床の穴に落ちかけるのだが、映画では炭治郎が美しい技を繰り出して抜け出す。気を抜くな、と義勇に言われるまでもなく、炭治郎の心が折れていないこと、心を燃やし続けていることが一瞬で伝わる。アニメーションならではだと思った。

    ・珠世さんが必死で押さえ込んでいる、無惨が回復中の「肉の繭」の不気味なパワーの強大さが強調されたのも、身震いするような表現だった。

    ・善逸がどれだけ「壱ノ型」を極めていたかも、獪岳戦で鮮烈に表現されていた。斬撃の軌道の速さと美しさは圧倒的な説得力があった。

    ・そして! そして猗窩座です! リミッターを外したかのような石田彰さんの凄まじい演技と相まって、これを死闘と言わずして何をそう言うのか、という迫力。瞬きするのも惜しいくらい。

    ・戦闘シーンだけでも十分すぎるほど十分なのに、狛治時代まですべて描いてくれるなんて。いやもちろんそれを描かなければこの戦いは終わらないのだが。

    ・今の、少し低く太くなった石田彰さんの声で繊細に演じられる少年狛治が本当によかった。泣く恋雪に、少し片眉を下げて戸惑う狛治の表情が愛おしい。

    ・主にアニメを演じている声優さんが、アニメでおそらく期待されている「その人っぽさ」を消して臨む外国映画の吹き替えが私は好きで、その最たる存在が中村悠一さんなのだが、中村さんが演じた素山慶蔵(猗窩座の師匠)がまさにこれで最高だった。

    ・きわめて細かいことなのだが、頸を切られた猗窩座にさらに向かっていこうとした炭治郎の手から、刀がすっぽ抜けるシーンがある。映画ではここで、「……すっぽ抜けた」と義勇に言わせるのだが、これがものすごく義勇らしくてよかった。

    ・猗窩座の最期、「もういい、やめろ、再生するな」と猗窩座が(猗窩座の中の狛治が)自分に抵抗するシーンでは、猗窩座が歩み去りながら自分の腕の肉をちぎり取る。これも原作にはなかったカットだと思うが、切なさとつらさが見ている私の心もちぎり取るようだった。

    ・もう一回見たいけど、見るための体力と精神力を回復しないといけない。

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  • 映画『スーパーマン』みてきた(ネタバレ)

     参院選の投票を済ませて、『スーパーマン』と『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』を見てきた。以下、『スーパーマン』についてのネタバレ感想メモ。

    ・以前予告編を見たときの印象で、スーパーマンがヤムチャみたいになるやつでしょー、とかぼんやり思っていて悪かった。すごくよかった。

    ・こんなスーパーマン絶対モテるに決まっている。この価値観多様化時代に、よくぞ「誰もが大好きになれる憧れのヒーロー」を描き切ったものだと思う。

    ・でも私ミスター・テリフィックがかなり好き。

    ・と思ったけど、ラストシーン(ED前)見たら、え、それしてもらえるなら私もスーパーマンの彼女になりたい、と思い直した。

    ・スーパーマンの “I’m as human as anyone. I love, I get scared.” は名台詞だと思うし、ルーサーの “My envy is a calling. It is the sole hope for humanity.” も名台詞だと思う。1A! 1A!

    ・スーパーマンのテーマを惜しみなく、あちこちでこれでもかと聞かせてくれるの嬉しかった。あれはアガる。

    ・イブ、最初はまたブロンド白人美女をおバカに描くのかよ、まさかな、と思っていたらちゃんとまさかでよかった。イブ好きー。あのド派手な「E」のじゃらじゃらピアス含めて好き。ジミーわかってあげてー。

    ・怪獣と戦うとこ、ゴジラみたいで楽しかった。ジャスティス・ギャング登場でメトロポリスの群衆が大喜びしてて、えっ、これを……? と思ったけど、先を見たら、確かにこれは愛されギャング。

    ・コミックス版詳しくないので、わかるともっとおもしろいんだろうなと思った。

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  • Mastodonメンテ中に考えたこと

     Mastodonサーバを運営してくださっているHostdonさんがメンテ中。このメンテ後にMastodon v4.4.0へアップデートしていただけるとのことなので、のんびり楽しく待っている。いつもありがとうございます。

     ここのサイトについては、FediverseやFediverseを介したBlueskyへの配信システムを整え、ついでにサイトデザインも変えて、短いつぶやきも長めの記事も、特に気にせず投稿できるようにした。

     その結果、自分専用のSNSのようなブログのような感じのものがほしい! というかねてからの望みが叶って嬉しい。それを自分で作れたのも嬉しい。どんなにささやかなものでも、何かを自分で作るのは楽しい。

     などと思っていたらキタニタツヤさんのX投稿が物議を醸していた(らしい)。

     Xユーザーのキタニタツヤ Tatsuya Kitaniさん: 「純粋な消費者(そのコンテンツの作り手でない人)がチョビ悪意でクリエイターに大ダメージ与えてる様を見るの超凹む 全ての人は「物知りな批評家」より「ショボい(ショボくとも)作り手」であってほしい 誰もがクリップスタジオペイントを3時間触って綺麗な線の引けなさを知るだけで、この世は…」 / X

     私はキタニタツヤさんに心から同意する。

     たとえば私がインターネットに何かを書いたり、自分のサイトを作ったりするのは、「自分の頭の中にある、まだ形になっていない何か」を自分なりに形にしたいからだ。どれほどショボくとも、少しでも、自分が作ったものを形にして、世の中に投げ込みたいからだ。

     もちろんたくさんの人たちの知恵や力を借りなければそれは不可能だ。だから、先人たちや、同時代の人たちが生み出してきた知には最大限の敬意を払いたい。

     以前、SUUMOタウンさんに寄稿した記事で、博士課程にいたころの思い出として、こんなことを書いていた。

    しかし、研究室とは全く違う時間が流れる館内を歩いていると、次第に憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になり、ふと「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出していた。無数の先人たちが築き上げた知の蓄積の上に立ち、初めて見ることができる景色があるという意味の言葉だ。

    それまでの私は、なんだか一人で全ての研究をやってのけないといけないような気持ちになっていたが、そんなことはない。いつか誰かが見るかもしれない新しい景色を思い描きながら、巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない。

     当時の気持ちは今も変わっていないということなのだと思う。

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  • なんというタイミング

     7月13日に、小金井良精に関する記事
    星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ – Going Pollyanna
    を公開したのだが、その翌日に、東大がアイヌ遺骨持ち去りについて初めて謝罪したというニュースがあった。

    「尊厳傷つけた」東大が初めて持ち去りを謝罪 小樽・アイヌ遺骨返還

     良精の後継者たちによって、かつての人倫にもとる行為の反省が進み、民族の尊厳が回復されていくことを引き続き望む。

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  • 星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ

     きっかけは、2025年6月11日の毎日新聞記事

    遺骨返還の東大は「最も差別的」 ハワイ先住民が耳を疑った言葉 | 毎日新聞

     著名な解剖学者・人類学者である小金井良精(1859~1944)らがかつて収集したハワイ先住民の遺骨4体の返還について、東大の対応がとても失礼で差別的だった、とハワイ先住民の支援団体代表が述べている。

     人類学の黎明期には、小金井を含めて世界の学者たちがこぞって先住民族の遺骨を盗掘し、交換してきたという歴史的経緯がある。小金井を有名にしたのはアイヌの人骨研究だが、その基になった人骨も盗掘したものだった。

     現代では、遺骨の調査研究の倫理指針が整備されつつあるが、日本の人類学は世界の潮流に逆らっているという指摘がある1。何より、毎日新聞の記事でも指摘されているとおり、遺骨の持ち去りは当時でも非難される行為だった。

     小金井良精とはどういう人だったのか。その孫で大御所SF作家の星新一は、祖父をどう見ていたのか。それが知りたくて、『祖父・小金井良精の記』を手に取った。

     結論として、星新一は、良精の行為について倫理的な批判を一切行っていない。この書籍が出版されたのは1974年のことであり、また、星新一が祖父に非常にかわいがられて育ったことを考えれば、それはそういうものであろうと思う。しかし、子供のころ彼のショートショートを夢中で読んで育った私の勝手な思いとしては、残念だった。

     『祖父・小金井良精の記』は、おおまかなエピソードごとに、良精の日記や、関連する人物の書籍・談話などを引用しつつ書かれているため、年代もあちこちに飛び、どうしても散漫な印象を受ける。あのショートショートの切れ味を期待して読むとがっかりするかもしれない。

     しかし、個々のエピソードについてはさすがのストーリーテリングでおもしろく読めるし、なにより義兄の森林太郎(森鴎外)や師事したベルツを始めとして登場人物が絢爛豪華なので、読み通すのに苦はなかった。

     幕末、長岡藩の武士の子として育ち、戊辰戦争時には流浪して困苦を極めた挙句、明治5年、満13歳で医学を志して第一大学区医学校に入学。からのドイツ留学あたりは、この時代の若者たちの青雲の志が眩しく、胸が躍る。

    学問はそれだけで存在しているのでなく、それを発生させ育てた土壌があるのだと気づく。・・・(中略)・・・ひとつの専門分野を日本に持ち帰ろうとしても、それは切った木の枝にすぎない。死んだ標本である。故国に持ち帰り、移植し、将来にむかって育ちつづけさせるためには、根元のまわりの土を、できるだけたくさんつけておかなければならないのだ。

     生物学的側面からみた学問・研究に関する記述は、星新一自身が東大農学部を卒業し、大学院前期を修了した理系の人なので、専門的になってもかゆいところに手が届くおもしろさがある。

     良精のアイヌ研究については、良精自身が書いた「アイノの人類学的調査の思い出――四八年前の思い出」の要約としているが、良精の日記も参照して構成していると思われる。

     ヘビを嫌うアイヌの老婆を同行者が呼びとめ、ヘビの話をしてからかっているうちに発作が起こった話などが、まったく批判もなく紹介されていて、このあたりは読んでいて極めて不快だった。また、盗掘の詳細についてはまったく触れられていない。日記には書いてあったはずだが。

     書籍全体を通して、良精自身はアイヌに深い親近感と愛情を持っていた人物として描かれており、それはそうなのだろうと思うが、和人と対等に尊重されるべき民族とみている節はなかった。それは台湾やそのほかの国の先住民たちに対しても同じであり、星新一もそのような見方を共有しているように思えた。

     そのほかに印象に残ったことは大きく分けて3つある。

     まず、この時代、とにかく人が死ぬ。病気で、戦争で、あるいは人生を苦にして、どんどん人が死ぬ。良精の人生に後々も関わってくる重要人物なのだろうな、と思った人でも、次のページではもう亡くなっていたりする。
     漫画『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が「この時代に老いぼれを見たら『生き残り』と思え」と言っているが、まさにそのとおりだと思った。

     2番目は、良精による昭和天皇に対する御前講演のことだ。
     昭和2年、良精は日本の先住民族について昭和天皇に講義をしており、昭和天皇はそれに対して「日本民族なるものは、どこから来たのか」などと詳しく質問をしている。……えっ、昭和天皇、いろいろ科学的に知ってたんじゃん? どういう気持ちでこの後、現人神として戦争に臨んだんです? と思わざるを得なかった。

     最後、しみじみと心に残ったのは、良精の妻の喜美子のことだ。優れた歌人・随筆家であったことはぼんやり知っていたが、きちんとその作品を読んだことはなかった。それが、『祖父・小金井良精の記』にはたくさん引用されている。優れてこまやかな観察眼と愛情に溢れていながら、てらったところのない歌や随想で、こんなふうに書けたらと心から憧れるものだった。

    1. 持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは:東京新聞デジタル ↩︎
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  • 「すー」

     ですます調で説明したり発表したりするとき、最後の「す」を「すー」と上がり気味に強調する言い方を、一年ほど前からよく聞くようになった。あれはどんな界隈で流行り出して、どういうルートで広まったんだろうか。特に関西ことばの文脈でもない。

     営業の場面でも、会議や研修でも、ときどきラジオでも聞く。使ってる人に聞くのが早いのだろうが、あなたその言い方どこでおぼえたんですかとはなかなか聞きづらい。

     でも聞きたい。あなたの「すー」はどこから?

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  • 優しく生きようと思う

     他人に簡単にいい思いをさせてはいけない、他人を無条件に喜ばせてはいけない、という感覚が、無意識レベルにまで染みついている人たちのことを考えている。

     相手が望んでいることをわかっていながら、そしてそれを叶える力が自分にあることもわかっていながら、簡単にはその望みを叶えてはやらないよ、というふるまいが、特に考えずとも反射的に出る人たちのことだ。タダ乗り絶対許さないマン・見返り絶対要求するマンと言ってもいい。

     地域や職場といった「外」のコミュニティにも、夫婦間・親子間といった「内」のコミュニティにも、こういう人たちは必ずいる。個別の「内」のコミュニティでは、いない場合もあるかもしれない。

     そういう人たちがどうしてそうなったかについては、さまざまな事情があろう。子供のころ、甘えるな、何かをしてもらったら必ず何かを返せ、と常に要求されて育ったのかもしれず、あるいは、大人になってからの経験が影響したのかもしれない。
     そうなってしまった人が、無意識レベルから自分を変えるのは難しいだろう。

     でも、気軽に他人に手を貸せない人が多ければ、気軽に他人に頼れない人も増える。これは不幸で悲しいことだ。最近つくづくそう思う。

     私は優しく生きようと思う。

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  • 自分メンテはじめました

     この春、子供が大学生になって家を出て、夫も教授職を得て単身赴任し、子供を二人育て上げたような気持ちになった。
     子供はともかく夫は大人だろうと言われそうだし、私もそう思うのだが、夫は50代半ばの典型的な昭和男で、まあそういうことである。

     しかも2月には、うちのリビングのベランダに面した隣のアパートが火事になり、朝から避難するという騒動があった。その後、現場側の窓ガラスの大部分にヒビが入って、網戸の網は焼けて溶け落ち、エアコンの配管・配線がカバーも含めて焼け焦げるなどの類焼被害があった。その修理がすべて終わったのが6月半ば。

     ようやく諸々(ほんとうに諸々)落ち着いたので、6月後半から、これまで後回しにしてきた自分の体のメンテナンスをぼちぼち始めた。詳しくはそのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。

     とりあえずいくつかの病院にお世話になりはじめて、改めて医療と医療従事者の皆さんのありがたみが身に沁みる。これらの厄介ごとを、もう自分だけで抱えておかなくていい、というだけで、心の方も驚くほど軽くなってきた。
     自分のケアにも他人様の手をお借りすることは大事。とても大事。

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  • 『松本清張の女たち』 (酒井順子)読んだ

     Mastodonで吉川浩満さんが紹介されていて、こんなの絶対おもしろいに決まってる! と思って即買いした。

     

     『松本清張の女たち』 酒井順子 | 新潮社

     松本清張といえば、色とりどりの女性主人公が魅力的な作品が数多くあるが、酒井順子は、たとえば主婦向けの「婦人倶楽部」、働く女性向けの「女性自身」、社会派の「婦人公論」など、掲載誌の性質によって女性主人公のキャラクターや生き方が描き分けられていることを看破した。

     そして、膨大な清張作品を縦横無尽に読み込み、「実は清張は、推理小説界において男女の機会均等実現に挑戦した人なのではないか。だからこそその作品は、男女を問わず人気を博したのではないか」という仮説の検証に挑んでいる。おもしろくないわけがない。

     清張作品はそれなりに読んできたつもりだったが、知らない作品もたくさんあった。「あれもこれも今すぐ読みたい!」という気持ちにさせられるブックガイドとしても秀逸だと思う。

     あまり関係ないのだが、酒井さんは「……のであり、」という接続が好きなのだなあということに初めて気づいた(93箇所あった)。カイジシリーズの「とどのつまり」のようなものかもしれない。

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