Mastodonメンテ中に考えたこと

 Mastodonサーバを運営してくださっているHostdonさんがメンテ中。このメンテ後にMastodon v4.4.0へアップデートしていただけるとのことなので、のんびり楽しく待っている。いつもありがとうございます。

 ここのサイトについては、FediverseやFediverseを介したBlueskyへの配信システムを整え、ついでにサイトデザインも変えて、短いつぶやきも長めの記事も、特に気にせず投稿できるようにした。

 その結果、自分専用のSNSのようなブログのような感じのものがほしい! というかねてからの望みが叶って嬉しい。それを自分で作れたのも嬉しい。どんなにささやかなものでも、何かを自分で作るのは楽しい。

 などと思っていたらキタニタツヤさんのX投稿が物議を醸していた(らしい)。

 Xユーザーのキタニタツヤ Tatsuya Kitaniさん: 「純粋な消費者(そのコンテンツの作り手でない人)がチョビ悪意でクリエイターに大ダメージ与えてる様を見るの超凹む 全ての人は「物知りな批評家」より「ショボい(ショボくとも)作り手」であってほしい 誰もがクリップスタジオペイントを3時間触って綺麗な線の引けなさを知るだけで、この世は…」 / X

 私はキタニタツヤさんに心から同意する。

 たとえば私がインターネットに何かを書いたり、自分のサイトを作ったりするのは、「自分の頭の中にある、まだ形になっていない何か」を自分なりに形にしたいからだ。どれほどショボくとも、少しでも、自分が作ったものを形にして、世の中に投げ込みたいからだ。

 もちろんたくさんの人たちの知恵や力を借りなければそれは不可能だ。だから、先人たちや、同時代の人たちが生み出してきた知には最大限の敬意を払いたい。

 以前、SUUMOタウンさんに寄稿した記事で、博士課程にいたころの思い出として、こんなことを書いていた。

しかし、研究室とは全く違う時間が流れる館内を歩いていると、次第に憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になり、ふと「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出していた。無数の先人たちが築き上げた知の蓄積の上に立ち、初めて見ることができる景色があるという意味の言葉だ。

それまでの私は、なんだか一人で全ての研究をやってのけないといけないような気持ちになっていたが、そんなことはない。いつか誰かが見るかもしれない新しい景色を思い描きながら、巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない。

 当時の気持ちは今も変わっていないということなのだと思う。

Fediverse reactions

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