インプレッション競争から降りてよかったことと、ちょっと困ったことと、それをどうにかしたこと

 「バズる」功罪についてはもうずっと前からたびたび書いていて、そのうちまとめようとは思うが、特にここ数年、功罪の「罪」の方が大きくなっているように感じられ、わたしはそのフィールドから積極的に降りている。

 X(旧Twitter)はもう2年近く更新せず、自鯖Mastodonと独自ドメインブログとはてなブックマークくらいしか、不特定多数に向けたネット上の発信はしていない。
 そうするようになってよかったことは、何よりも精神的自由だ。
 せせこましいコミュニティ内ルール(運営者が押しつけてくるものも、コミュニティメンバーによる空気や力関係の読み合いによるものも)など知ったことではない。わたしはわたしがつくった居場所でわたしの言いたいことを言うよ、というシンプルな姿勢でいられる。
 誰かの心にそれが届けば、届いたなりの反応は得られるし、それはわたしの身の丈に合ったものだと感じられる範囲のものだ。
 30年近く、なにかしらネットの海に言葉を放流してきて、今がいちばん楽しいと思っている。
 
 一方、ちょっと困ったこともあった。Mastodonでつぶやいたわたしのアイディアや表現をパクって、Mastodon外(Xやnote等)で我が物顔に発信する人の存在だ。
 しばらくは我慢していたのだが、ちょっと堪えかねることがあって、Mastodonで警告をした[1]https://pollyanna.social/@pollyanna/112312322613795976
 誤爆の可能性は極めて低く、心当たりがあるであろう二人にしか届かないように書いたつもりで、どうやらきちんと届いたらしい。警告後、パクりはほぼなくなり、彼女/彼らの投稿を頻繁にチェックしなくてもよくなって、とても気が軽くなった。

 彼女/彼らは、なぜわたしのアイディアや表現をパクってよいと考えたのだろう。
 目立たないところで発信しているわたしの投稿であれば、バレないと思ったのだろうか。念のため、記録していたものを家族にも見てもらったが、これはアウトという反応だった。ネット上の共通の知人であれば、既に気づいている人たちもいるだろう。

 要するに彼女/彼らは、わたしのことをナメていたのだと思う。しかし、言い方はとても悪いのだが、そもそもどうして彼女/彼ら程度の力量でわたしをナメてかかってよいと判断したのか、怒りもあるが、むしろ不思議だった。
 それでしばらくXを観察していると、どうやら彼女/彼らは、思考において自分に不都合な要素から目を逸らす癖、わかりやすい権威に弱い癖があることがわかってきた。わたしの思想信条や主張は、彼女/彼らにとって不都合(不愉快)だろうと思われるものが多いから、たとえ気になっても見下していないと自尊心が傷ついてしまうのかもしれない。そして、インプレッション競争から降りたわたしなどは、わかりやすい権威をアピールしていないことにおいては最たるものだから、彼女/彼らにとってはナメてよい対象になるのだろう。

 しかし、自分にとって不都合な要素と向き合うことから逃げていると、ダメな人や選択肢ばかりをアドホックに選ぶことになり、思考も主張もとっちらかってグダグダになる。当然、まともな人たちからは相手にされなくなる。彼女/彼らも、そこは薄々わかっているので、なんとか自尊心を保ちつつ、発言のバランスを取るアイディアの供給源として、こそこそ便利にわたしをつまみぐいして参照していたのではないだろうか。

 自分にとって不都合な要素からとことん目を逸らし、わかりやすい権威に従って妄言を紡ぐ人々は、彼女/彼らに限らずXには腐るほどいる。そういった人たちの一部にたまたま目をつけられてしまったのだとわかり、こちらの警告も届いたのであれば、これ以上ろくでもない投稿を観察する必要もない。ようやく快適なインターネットライフに戻ることができて、ほんとうによかったと思う。
 

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