2022年9月

  • 焼肉

    うちの高1の定期テストおつかれさま会で焼肉。

    月曜からリクエストしていただけあって、いやー、もう食べるわ食べるわ。肉、米、肉、芋、果物、米、肉、と幸せそうに食べ物が吸い込まれていく。ルフィかよ。見ているだけで、もうこちらは胸とおなかがいっぱいで幸せ。

    昔、叔父夫婦にお寿司食べに連れてってもらって、その体のどこにそれだけ入るんだと呆れられたくらい遠慮なく食べたことがあるけど、あのときの叔父夫婦の気持ちがよくわかる。

  • 2022/09/29

    昨日は珍しく体調がよろしくなく、すさまじい倦怠感と眠気と微熱でグデーとなっていた。
    もうずっと、タイマーでもセットされてんのかなと思うくらい周期も正確で、PMSともわりと無縁で来たけど、これもお年頃的なやつなのか、ストレスが重なってひどくなったのか、その両方なのか。

    グデーとなりつつも在宅で仕事しつつ、いつもどおりご飯も作り、スプラトゥーンでは快勝をおさめたので偉い。

    オーバーフロッシャー強い

    うってかわって今日はすっきり。ホルモンすごい。よくもまああんな微量で大の大人の心身をコントロールしやがりますね。

    お年頃といえば、しばらく前に、近視が進んだー、老眼も始まったー、と嘆きつつ覚悟を決めていたところ、最近はどちらも改善している(近視用眼鏡がなくて見える距離が長くなった&近視用眼鏡をかけても普通にiPhoneが使える)ように感じられるのが不思議だけど、ただ慣れただけかも知れない。いずれにせよ、眼の疲労に耐える力はもうだいぶ弱まっているはずなので、無理せずいかないとダメなのは確か。

    白髪はまだない。
    が、今年前半、仕事がめちゃくちゃ立て込んでいたときに、生え際に3、4本出てきて、これは来てしまったのかとショックを受け、なじみの美容院に駆け込んで、どうしたらいいですかすぐ染めたほうがいいですか縮毛矯正との共存はできますかと訴えたことがある。
    美容師さんは微塵も動じることなく、髪を見て、まだあわてるような時間じゃないと言ってくれたのだが、結果的にそれが正解で、仕事の波を越えたら白髪もなくなった。でもまあ、遠からずまた出てくるのは避けられないのだろうなあ。
    ブリーチなしのネイビーアッシュとかで今のうちから染め始めていたら、うまいこと紛れさせることができたりしないかな。

    筋トレは地味に続けていて、結局、アブローラーに自重トレーニングを適当に組み合わせたり組み合わせなかったりするのがやりやすい。職場の同僚にも痩せたねえと言ってもらえたくらいなので、それなりに引き締まってきたのでは。ではでは。

    老いは避けようがないので、どうにかうまいこと自分の体とつきあっていきたいが、正直あまり長生きしたいとは思っていない。
    子供が自立したら、周りに迷惑をかけることなくさらっとこの世をおさらばするのが理想であるくらいなので、「センテナリアン(*100歳以上の長寿者)になるには」みたいな記事を見ても、今のところまったく心が動かない。生きる意欲をどうにか掻き立てるためにも、少し仕事とは離れた創作的な活動に向ける時間を増やしたい。
    生きるための仕事も十分生産的な活動であると自負してはいるものの、わたしの精神にちょっと遊びの部分が足りなくなっているのだと思う。すべての学びと生産が生きることに直結している状態は、なかなか苦しい。どんな学びも生産も、いずれ何かしらの苦しみを伴っていくものだとは思うが、それにしても苦しみにバリエーションがほしいところ。

  • これ


    (『聖凡人伝』8巻/松本零士)

  • 「国葬儀」当日

    中継を見た。すっかり窶れてしまった昭恵さんが気の毒で胸が痛んだ。

    故人を顕彰する映像の内容には言いたいことも多々あるが、ずっとBGMとして流れていた「花は咲く」の故人によるピアノ演奏は、どことなくたどたどしくも、迷いなく澄んでまっすぐ響くとてもいい音だったところに、育ちのよさがうかがわれた。

    一般市民による献花の列が今もなお長く続いているそうで、故人を慕う多くの人たちが気持ちを向ける場ができたことはよかったと思う。
    一方で、その列の長さを「サイレントマジョリティ」の数だとして、国葬に反対してきた人たちを揶揄し勝ち誇るような、とてもサイレントとはいえない声がTwitterには溢れていて、また新たな対立が生まれてもいる。国の名を冠した「国葬儀」という政治性の高い形にしたことと、そうするにあたって国会における手続が軽んじられたことで、対立が苛烈さを増したことは疑いようがない。故人を悼む人たちが気持ちを向ける場を、もっと静謐で平穏なものにできていたらよかった。

  • 「国葬儀」前日

    凶弾に倒れた安倍元総理の「国葬儀」を明日に控え、都心は朝からたくさんの警察官の皆さんがパトロールに当たっていて、ものものしい雰囲気だった。

    https://twitter.com/pollyanna_y/status/1548263117175410693
    https://twitter.com/pollyanna_y/status/1548263491865174017

    安倍元総理の死の直後、こんなことを言ってから二月も経たないうちに、イギリスのエリザベス2世が亡くなり、その国葬が行われることになるとは思わなかった。在位70年を超えた彼女の死を悼む人たちの心情は察するにあまりあるものの、わたしの気持ちは先のツイートと変わるところはない。

    BBCでエリザベス2世の国葬の模様を見ていて、イギリスの歴史と伝統に圧倒されつつも、この荘厳できらびやかな権威と威厳は、人には生まれながらにして貴賤が存在する(人がその貴賤を生み出した)ということを前提にしなければ成り立ち得ないものだと改めて思った。
    今後、君主制はいつまでその存在が許されるだろうか。

    BBCに出ていた王室評論家っぽい女性の語り口が、日本の皇室評論家の女性たちととても似ていたのはちょっとおもしろかった。

    さて、君主でもなんでもない安倍元総理の「国葬儀」は、いまや国民の半数を超える反対を押し切って、国会も通さずに強行されるわけだが、果たしてどのようなものになるだろうか。

    今日はいつもどおり朝は5時半起きで弁当を作り、久しぶりの日差しをこれ幸いと布団を干して出勤。
    病院に行って薬をもらって帰宅。

  • 試験まで

    あと少し。
    あんまり余計な文字情報を頭に入れたくないので(おぼえなきゃいけない定義とか規範が山のようにあるから、それを頭から追い出したくない)、それまでTwitterはログアウト。

    でも漫画は読む。Dr. ベガパンクまじか。

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