ですます調で説明したり発表したりするとき、最後の「す」を「すー」と上がり気味に強調する言い方を、一年ほど前からよく聞くようになった。あれはどんな界隈で流行り出して、どういうルートで広まったんだろうか。特に関西ことばの文脈でもない。
営業の場面でも、会議や研修でも、ときどきラジオでも聞く。使ってる人に聞くのが早いのだろうが、あなたその言い方どこでおぼえたんですかとはなかなか聞きづらい。
でも聞きたい。あなたの「すー」はどこから?
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ですます調で説明したり発表したりするとき、最後の「す」を「すー」と上がり気味に強調する言い方を、一年ほど前からよく聞くようになった。あれはどんな界隈で流行り出して、どういうルートで広まったんだろうか。特に関西ことばの文脈でもない。
営業の場面でも、会議や研修でも、ときどきラジオでも聞く。使ってる人に聞くのが早いのだろうが、あなたその言い方どこでおぼえたんですかとはなかなか聞きづらい。
でも聞きたい。あなたの「すー」はどこから?
他人に簡単にいい思いをさせてはいけない、他人を無条件に喜ばせてはいけない、という感覚が、無意識レベルにまで染みついている人たちのことを考えている。
相手が望んでいることをわかっていながら、そしてそれを叶える力が自分にあることもわかっていながら、簡単にはその望みを叶えてはやらないよ、というふるまいが、特に考えずとも反射的に出る人たちのことだ。タダ乗り絶対許さないマン・見返り絶対要求するマンと言ってもいい。
地域や職場といった「外」のコミュニティにも、夫婦間・親子間といった「内」のコミュニティにも、こういう人たちは必ずいる。個別の「内」のコミュニティでは、いない場合もあるかもしれない。
そういう人たちがどうしてそうなったかについては、さまざまな事情があろう。子供のころ、甘えるな、何かをしてもらったら必ず何かを返せ、と常に要求されて育ったのかもしれず、あるいは、大人になってからの経験が影響したのかもしれない。
そうなってしまった人が、無意識レベルから自分を変えるのは難しいだろう。
でも、気軽に他人に手を貸せない人が多ければ、気軽に他人に頼れない人も増える。これは不幸で悲しいことだ。最近つくづくそう思う。
私は優しく生きようと思う。
この春、子供が大学生になって家を出て、夫も教授職を得て単身赴任し、子供を二人育て上げたような気持ちになった。
子供はともかく夫は大人だろうと言われそうだし、私もそう思うのだが、夫は50代半ばの典型的な昭和男で、まあそういうことである。
しかも2月には、うちのリビングのベランダに面した隣のアパートが火事になり、朝から避難するという騒動があった。その後、現場側の窓ガラスの大部分にヒビが入って、網戸の網は焼けて溶け落ち、エアコンの配管・配線がカバーも含めて焼け焦げるなどの類焼被害があった。その修理がすべて終わったのが6月半ば。
ようやく諸々(ほんとうに諸々)落ち着いたので、6月後半から、これまで後回しにしてきた自分の体のメンテナンスをぼちぼち始めた。詳しくはそのうち書くかもしれないし、書かないかもしれない。
とりあえずいくつかの病院にお世話になりはじめて、改めて医療と医療従事者の皆さんのありがたみが身に沁みる。これらの厄介ごとを、もう自分だけで抱えておかなくていい、というだけで、心の方も驚くほど軽くなってきた。
自分のケアにも他人様の手をお借りすることは大事。とても大事。
Mastodonで吉川浩満さんが紹介されていて、こんなの絶対おもしろいに決まってる! と思って即買いした。
松本清張といえば、色とりどりの女性主人公が魅力的な作品が数多くあるが、酒井順子は、たとえば主婦向けの「婦人倶楽部」、働く女性向けの「女性自身」、社会派の「婦人公論」など、掲載誌の性質によって女性主人公のキャラクターや生き方が描き分けられていることを看破した。
そして、膨大な清張作品を縦横無尽に読み込み、「実は清張は、推理小説界において男女の機会均等実現に挑戦した人なのではないか。だからこそその作品は、男女を問わず人気を博したのではないか」という仮説の検証に挑んでいる。おもしろくないわけがない。
清張作品はそれなりに読んできたつもりだったが、知らない作品もたくさんあった。「あれもこれも今すぐ読みたい!」という気持ちにさせられるブックガイドとしても秀逸だと思う。
あまり関係ないのだが、酒井さんは「……のであり、」という接続が好きなのだなあということに初めて気づいた(93箇所あった)。カイジシリーズの「とどのつまり」のようなものかもしれない。
Fediverseに投稿されるときに、段落要素を示すHTMLタグがいちいち表示されてしまうのがわずらわしいので、これはもしかしてクラシックエディタを使っているためではないか、という仮説を検証するために、ブロックエディタで書いてみることにした。
段落分けしてもHTMLタグが表示されなくなるとよいのだが。
段落中で改行しても問題ないかな?
と、ここまで書いてみて思ったけれども、ブロックエディタ使いやすいね。
テーマをブロック対応にしたのと合わせて、ブロックの考え方に慣れてきたのかもしれない。
(追記)
いやダメだ。やっぱり普通にHTMLタグが表示されてしまう。
これはActivityPubプラグインの対応を待つしかないかな。
Hostdonさんで運用していただいている自分のメインMastodonアカウントが、5時間程前から、投稿はできるもののフィードに反映されない&他サーバーのフィードも取得できないという状態になっており、まあこういうときのためのこっちのブログだよね、ということで、ついでにBlueskyにも連携してみた。
どんなときも! しゃべることを! やめない!
Going Pollyanna (@diary.ihatovo.com.web.brid.gy) — Bluesky
フィードはこの方が見やすいのかな。
(追記)
*連携してみたけど、投稿が更新されない。意味なかった。
(再追記)
*更新されてる! ちょっと時間がかかるだけらしい。
ActivityPubプラグインを介したFediverse投稿、コンテンツの文字化けがひどくてちょっと困る……。
せめて、コンテンツの表示文字数を減らすか、タイトルとリンクだけ流すように設定したいのだが、アクティビティのオブジェクト形式を「自動 (デフォルト) 」「注意」のいずれに設定しても、Fediverseに投稿するコンテンツの形式を設定するためのテンプレートタグが使えない。テンプレートタグをいじる欄は表示されても、操作が受け付けられないのだ。(7月3日追記:オブジェクト形式「注意」の場合、テンプレートタグの操作はできる。もともと見えていたタグは記載例で、その上から普通に書けばよかった)
この状態でオブジェクト形式を「自動 (デフォルト) 」にすると、[ap_content]のタグが生きたまま、文字化けしたコンテンツが流れてしまうので、当面、オブジェクト形式「注意」に設定してみようかと思っている。
先ほど、試しにひとつ、オブジェクト形式「注意」で投稿したところ、タイトルも、メディア以外のコンテンツもまるっと空の状態でFediverseに流れた。さて、メディアが含まれないこの投稿はどうなるだろうか。
*結果、メディアが含まれない文字だけの投稿を、オブジェクト形式「注意」の状態で投稿すると、そもそもFediverseに流れないことが判明。こーれは困ったねえ。