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うまく動かないな……と思ったら、Fedibirdからはここのフィード見えているのに、自分のおひとりさまサーバからは見えてない。どゆこと。

*追記:なにもしてないのに見えるようになった

新型コロナワクチン秋接種

うちの自治体の場合、64歳以下だと基本的に申請しなければ接種券がもらえないということに昨日気づいたので、あわてて今日コールセンターに電話して発行申請した。ついでに別途ワクチン接種枠も予約完了。

64歳以下の健康な人はもはや予防接種法上の努力義務が適用されないので、自治体側としては無料で受けたきゃ受けてね、という姿勢に切り替わったんだと思うが、感染症予防政策としてこれでいいのかどうかは疑問。

XBB対応の秋接種ワクチンは、現在流行中のEG.5(エリス)株や高い免疫逃避能が懸念されているBA.2.86(ピロラ)株にもそこそこ有効のようだし[1]新しい変異株「BA.2.86系統」について現時点で分かっていること(忽那賢志) – エキスパート – Yahoo!ニュース、CDCも6ヶ月以上のすべての人にこのワクチンを推奨している[2]CDC recommends updated Covid shot for everyone ages 6 months and up
ワクチンがコロナ後遺症(long COVID)のリスクを下げることも確からしくなってきたので[3]Terror of long COVID remains common even as pandemic eases, data show、うちの家族としてはこれを受けない理由はないと判断した。

新型コロナウイルス感染症が5類感染症に移行して、日々の感染者数は発表も報道もされなくなったし、千葉県など一部自治体が学校に対して積極的に「マスク外し」を奨励するなど「コロナ明け」ムードが醸成されているが、まだまだパンデミックは終わってなどいない[4]新型コロナ分科会 尾身元会長「第9波ピークまだ」[2023/09/15 06:35][5]コロナ「第9波」加速か 3週間で倍増、学級・学年閉鎖も 群馬。インフルエンザの流行も相まって薬不足も深刻らしい[6]コロナ変異株「エリス」の感染拡大か…全国的に慢性的な薬不足が続く (2023年9月14日掲載

とてもじゃないがノーガードではいられないし、ワクチンが有効なのは明らかなのだから、国や自治体はもっと秋接種をPRすべきではないか。

ウィズコロナというのであれば、天気予報並に日々感染症情報を伝えるくらいはしてほしい。
雨が降りそうなら洗濯物は部屋干しするし、台風が来そうなら影響を受けそうなものは片づけ、交通機関の運休に備えたりもするだろう。
それと同じように、感染リスクが高いときは、市民が身を守ることができるよう、情報と手段は提供してほしい。

『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ – 性と身体をめぐるクィアな対話 – 』(森山至貴 / 能町みね子)

読んだ。

ちょっと前に『トランスジェンダー入門』を読んだときには、自分がいかに何もわかっていなかったか/わかった気になっていたかと、”蒙を啓かれる” 思いでありがたかったものの、そうやってまたしても啓蒙された気になってしまう自分自身への警戒心に加えて、実はところどころしっくりこなかった部分もあった。

『慣れろ、おちょくれ、踏み外せ』は、そのしっくりこなかった部分も含めてさまざまな「しっくりこない」エピソードがふんだんに語られていて、しかもわかりやすい解決っぽいものの道筋も示されていないにもかかわらず、ものすごくいろんなことが “腑に落ちた” と思う。

自分とは異なる部分が多い性について知りたいと思いながら手に取った本なのに、なぜかセクシュアリティーだけじゃなくて自分が普段抱えているいろんな「しっくりこなさ」を鮮やかに切り出してもらえたという不思議な経験をしてしまった。

人が変わっていくとか揺らぐことをきちんと考えよう、というのがとても重要

私たちは、話が単純な公式にされそうになるといちいちぶった切って、「そんなにシンプルじゃない、こんな例もあるんだよ」という混ぜっ返しをずっとしていると思います(笑)

「ままならなきものを、ままならなきままに生きる自由」

そしてもちろん反抗心。

『卒業生には向かない真実』(ホリー・ジャクソン)

 読み終えて呆然としてる。一作目の『自由研究には向かない殺人』のときは、のんきに「爽やか青春ミステリ」などと言っていたけど、トリロジー完結編の本作でここまで来るとは思わなかった。

 最初の「犯人」の見当がつくのにそう時間はかからなかった(4割くらい読んだあたりだったかな)ものの、その後がとんでもなかった。
 主人公に対する読者の愛と信頼が終始試されるから感情がぶんぶん振り回されるし、一方でトリックの穴にも目を光らせないといけないから頭も使いっぱなし。これから取りかかる人は、すごくハードなスポーツに取り組むときのような覚悟を決めた方がいいかもしれない。

ラクダが死に、サボテンが死に、線虫が生き返る

愛知 岡崎の動物園 ヒトコブラクダ死ぬ 熱中症か|NHK 東海のニュース

アリゾナのサボテンが次々に枯死、暑さの限界超え – CNN.co.jp

4万年の眠りから覚醒 シベリア永久凍土の線虫 再び動き出す | NHK | ロシア

線虫は人為的に起こしたんだけども。
しかし温暖化が続いたら、思いもよらない昔の微生物が目覚める可能性もありそう。ドクターKの南極封鎖編をちょっと思い出した。

読み終わった

『妾と愛人のフェミニズム 近・現代の一夫一婦の裏面史』

 最初の方を読みながら、「結局のところ、誰の子を誰の子より優遇するか、そのことをどう正当化するか、という思想なんじゃないか」とおととい書いたが、それは大間違いで、この本の主眼はそこにはなかった。「家」や「家父長制」にすらない。
 むしろ、夫・妻・妾/愛人たち、それぞれの意識、立場、世間的なイメージの変遷を個別に解きほぐしていくことで、(日本の)一夫一婦の奇妙ななりたちを描き出しているのがおもしろいところだ。

 おそらく本書のキモはここ。

「夫の生産労働を支えていたのは、家にいる妻の再生産労働だけではなかったということに私たちは気づくべきなのである。……(中略)……フェミニズムは、妻の再生産労働の経済的価値が無視され、無償労働として不当に評価されていることを問題視してきたが、愛人の立場からみれば、そもそも夫と妻の二大労働が一つの組になり資本主義社会を支えているという認識自体に疑問符をつけなければならない。婚姻関係の外部に存在する愛人が、実は既婚男性の仕事を支えるパートナーとして、妻とは別のところから彼らを支えていたという見方が浮上する。すなわち、私たちの認識から外されていたこと、見えていなかったこととして、経済的に自立が可能な家の外の愛人によって、もう一つの労働がおこなわれていた事実をここでしっかり踏まえておきたい。」 

 そうは明言されていないものの、男性中心の旧来のお仕事の世界では、「愛人」の概念は、特に性愛のつながりのない同僚・上司・得意先/下請先にまで広げられる業界もあるかもしれない。

 しかし、先の引用は特に戦後の愛人をめぐる記述だが、この状況下では、妻という立場には何のメリットもないな、というのが率直な感想だ。
 夫は、家の内と外で異なる女性に支えられつつ、金を稼ぎ、情緒面でも満たされた生活を送ることができる。愛人は「糠味噌臭い妻の立場」に立つことなく「おいしい生活」を満喫することができる。ここまでは本書でも述べられている。
 えっ、じゃあ妻は? 
 経済力がない妻であれば、夫に養ってもらうというメリットはあるだろう。本書でも、戦前の話として、妻は愛人の存在を契機に婚姻関係を維持・発展させる傾向があったこと、円地文子の小説『女坂』のように、妻が妾の生を簒奪しながら一家の支配人としての地位を確立していくありさまなどが紹介されている。
 だが、現代の経済力ある女性はどうだ。愛人ではなく、わざわざ婚姻することで得られるメリットはあるだろうか。この点について、本書は特に踏み込んでいない。が、いまや、経済力ある女性には、妻として一夫一婦を維持する積極的な動機はもはやなさそうだと読み取ることは、たぶん容易だ。

 最初に述べたとおり、本書では、「家」や「(子供のいる)家庭」についてはほとんど語られていないので、ここから先はわたしがあれこれ考えたことになる。
 素人ながら推測すると、現代において婚姻関係に入る動機としては、ロマンチックラブイデオロギーにふんわり影響されつつ、パートナーと家族を作りたいというのが最大だろうとは思う。
 とにかく子供のいる家が必要だから結婚しようと思うカップルはいまどき少ないかもしれないが、婚外子への風当たりがまだまだ強い日本では、いずれは子供を、と思うのなら、結婚した方が社会的に楽そうではある。そもそも子育てには人手と人の愛が必要だから、一つ家の中で子供に関わる大人は多い方がいい。その大人が、気心の知れたパートナーであればもっといい。
 それでも、母親から見てその大人が「夫」でなければならないものかどうかは、ちょっと考えてみてもいいのかもしれない。その夫が、女性なり仕事なりその両方なりを「愛人」として家の外に持ち、家事育児に関わらないのであればなおさら、母親だけが「夫の妻」でいなければいけない理由はなさそうだ。

 たいそうやばい不穏なことまで考えてしまったが、べ、べつにわたしが今すぐ「妻」をやめて今の家族を解体しようなんて考えてるわけじゃないからね……。でも、著者の石島亜由美さんには、今回の「一夫一婦の裏面史」を踏まえて、さらにそのあたりの不穏なところに踏み込んだ論考を提供してもらえればエキサイティングだろうなと期待している。

 一夫一婦が解体されることがあるなら、それは妻側からかもしれない。

読んでる途中

『妾と愛人のフェミニズム 近・現代の一夫一婦の裏面史』

Twitterで流れてきて気になって読み始めた[1]ふじさわ📚編集者さんはTwitterを使っています: … Continue reading

“筆者がフェミニズムに接近した理由の一つに、「男性の視線のなかで女性が女性を価値づけること」の暴力性を感じる経験があったことを挙げる。それは、男性から差別(暴力)を受ける女性という男/女の非対称の関係性、<男から女>という直線的な暴力性ではなく、その差別や暴力にほかの女性が加担しているということ、男性の視線を内面化した女性が別の女性を価値づけることの暴力性というものである”

と冒頭ではっきりと述べられている「研究の動機」が、わたしにとって、ああ、そう、それ! と思えるものだったこともあって、おもしろく読んでいる。

まだぜんぜん最初の方だけど、今に至る、そしてあまねく浸透しているこの暴力的な差別の根底にあるのは、結局のところ、誰の子を誰の子より優遇するか、そのことをどう正当化するか、という思想なんじゃないか。男尊女卑は、その思想を支持するのに便利な理論かもしれないが、そこに「共犯者」としての女性がいなければ成り立たなかったはずだ、みたいなことを考えつつ。

References
1ふじさわ📚編集者さんはTwitterを使っています: 「美容院で「それ何読んでるんですか?」と聞かれて。「『妾と愛人のフェミニズム』。これによると、明治の成り上がりの男は、貧しかった昔のことを知ってる妻がそばにいると自分が弱くなった気がして、昔を知らない妾にハマるんです」と言ったら「ヤバい。鳥肌」と言って書影を撮ってた。通っちゃう… https://t.co/ubwlw9eJiN」 / Twitter https://twitter.com/FUJISAWA0417/status/1652277000999153664

WBC

野球は残念ながら、キックベース以外のプレイ経験はなくて、子供のころ、熱烈なカープファンだった父親がテレビ中継を見てる横で、(ふーん)(ほかに見たい番組あるんだけど)(まあ見てておもしろくないこともないけども)(っんだよ、また延長でこの後の番組みれないの)みたいに思いつつ眺めてたり、かつての後楽園球場に連れてかれて紙吹雪を撒かされてた程度。
夏休みはアニメ『タッチ』の再放送も見てたかな。

その後はじめて死ぬほど好きになってずっと好きだった人が強火のスワローズファンだったのは知ってたけど、そこまで熱心にプロ野球見続けるほどではなく。高校野球とか、たまに話題になる試合をチラ見してたくらい。

だが、さすがに今回のWBCは最初から最後までがっつり見てしまった。

「ぼくのかんがえたさいきょうのチームジャパン」でしょこれはちょっと見たいぞ→当たるチーム全部すごいしすごい紳士だしその人たちがみんなここまで真剣に楽しそうにプレーするんだすごい→しかし日本のこんな俺TUEEE快進撃続くはずない→立ちはだかる強豪チーム→ドラマ→ドラマに次ぐドラマ→まじかよすげーもん見せてもらってしまった

という感じの素人が、なんでここまで惹かれてしまったのかと振り返ると、「新時代来たな」というワクワク感に尽きる。
いまいち乗れなかった昔の(日本の)プロ野球の雰囲気や、ド根性上下関係のような苦手要素がなかった。
え、なんでなんで、と、つい気になって、吉井理人コーチの『最強のコーチは、教えない。』を買って読んでしまった。これはもっと早く読みたかった。

世の中があまりに世知辛くて(そうじゃなかった時代なんてないが)、PCから目を上げたときに見える範囲のことしか考えられなくなっていたときに、自分の夢と、自分につながる人たちの夢とを叶えていく生き方がほんとにあるんだ、みたいなところに、ふっと心が浮かんだような体験をさせてもらった。

これだけ子供が少なくなって、子供に向けられる目も冷たくなっている国で、子供たちに心を寄せる言葉が、選手たちから溢れるほど寄せられたことも嬉しかった。

自分でもびっくりするほど今回のWBCでは心を動かされたので、とりあえず走り書きで書き留めておく。

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