• 田端文士村記念館に行ってきた

     芥川龍之介の自筆詩集が最近見つかったという。

    芥川龍之介の「幻の詩集」発見 自作12編書き記した冊子 – 日本経済新聞

     これが一般公開されている企画展「龍之介・犀星のもとに集った詩人 ~「詩のみやこ」から100年~ 」を目当てに、田端文士村記念館に行ってきた(2025年7月5日)。

     JR田端駅北口を出て、左手の方にすぐ見える。

     なお、館内は写真撮影禁止なので、これから訪れる方は、手帳やメモ帳をもっていくことをおすすめする。

     昔、田端に多くの文士や芸術家が住んでいたことは知っていたが、これほどまでとは、と、常設展の年表を見て圧倒された。東京美術学校(今の東京芸術大学)や東京帝国大学(今の東大)が近いのはダテではない。

     最初は彫刻家や画家などの芸術家が田端に住んでいて、「ポプラア倶楽部」という親睦機関ができていたらしい。

    企画展第1章
    田端に集う文士たち―そして「詩のみやこ」へ

     文士が集まり始めたのは、やはり芥川の転入(大正3年)がきっかけだった。帝大の学生だった芥川は、「芸術が紺絣を着てあるいてゐるやうな気がする」と松岡譲への手紙で報告している。

     その後、大正6年に金沢から室生犀星が金沢から上京。田端に住み始めて、やがて芥川との交流が始まる。

    企画展第2章
    口語自由詩の夜明け―『感情』と二人の詩人―

     皆さんご存じのとおり、犀星には以前から、萩原朔太郎という盟友がいて、大正5年には二人で詩誌『感情』を創刊していた。
     この『感情』について、芥川が松岡譲に書いた手紙(大正6年7月12日)が展示されていた。

    この頃、萩原朔太郎氏の「感情」を見てゐると大にあ々云ふ小雑誌が羨しくなったよ

     朔太郎への犀星の友情は、大正7年に自費出版した『愛の詩集』の「萩原に与へたる詩」が有名だ。これも展示されている。

    君だけは知つてくれる
    ほんとの私の愛と芸術を
    求めて得られないシンセリテイを知つてくれる
    君のいふやうに二魂一体だ
    ・・・
    充ち溢れた
    なにもかも知りつくした友情
    洗ひざらして磨き上げられた僕等

    企画展第3章-1
    詩人としての龍之介―犀星・朔太郎との共鳴―

     犀星に『愛の詩集』を献本されて感動した芥川は、「愛の詩集に」を犀星に献詩している(草稿の展示あり)。朔太郎は『感情』に「『愛の詩集』に就て」を掲載。

     なかよし! でもなんかこう、相関図の矢印の向きと濃淡が気になる! その後の展示もどうしてもそういう目で見てしまう。

     大正14年、朔太郎は犀星宛ての手紙で「出来る限り、君のご近所に住みたい」と言って、田端に引っ越してきた。もちろん、君=犀星である。

     朔太郎の田端転入を喜んだ芥川は、犀星に「是非あひたい(略)僕の小説を萩原君にも読んで貰らひ、出来るだけ啓発をうけたい」と、朔太郎への熱烈な思いを語っている。その思いは萩原君に直接言うといいのでは、とうずうずする。

     ちなみに、朔太郎側から見るとこうだ。

    「『君と僕とは、文壇でいちばんよく似た二人の詩人だ。』と、芥川君は常に語つた」
    (萩原朔太郎「芥川君との交際について」)

    その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた。その時芥川君が言つた。
    「室生君と僕との關係より、萩原君と僕との友誼の方が、遙かにずつと性格的に親しいのだ。」
     この芥川君の言は、いくらか犀星の感情を害したらしい。歸途に別れる時、室生は例のずばずばした調子で、私に向つて次のやうな皮肉を言つた。
    「君のやうに、二人の友人に兩天かけて訪問する奴は、僕は大嫌ひぢや。」
     その時芥川君の顏には、ある悲しげなものがちらと浮んだ。それでも彼は沈默し、無言の中に傘をさしかけて、夜の雨中を田端の停車場まで送つてくれた。ふり返つて背後をみると、彼は悄然と坂の上に一人で立つてゐる。自分は理由なく寂しくなり、雨の中で手を振つて彼に謝した。――そして實に、これが最後の別れであつたのである。
    (萩原朔太郎「芥川龍之介の死」)

     気になる矢印の向きと濃淡は置いておいて、やはり芥川にとっては、詩人としてのアイデンティティが大切だったのだろう。

     最近発見された「芥川龍之介 自筆詩集」はこの展示で見ることができる。
     製本見本と考えられるらしい冊子で、表紙は薄茶色、罫線も何もない真っ白な紙に、1頁に1つの詩が書かれ、詩の最後に表題が書かれている。
     詩集発行を見据えていたのではないかと考察されていて、もっとたくさん数があったら書籍になっていたのかもしれないなと夢想した。

     後年、犀星は「芥川龍之介と詩」(昭和9年)の中でこんなことを言っている(展示あり)。

    元來芥川君は小説家であるよりも、詩人風な人がらであり、好んで詩人たることを喜んでゐた人かも知れなかつた。詩人的であることは小説家であるよりも私なぞには親しいのである。

     とにもかくにも、朔太郎を迎えて田端はにぎやかになった。

    この頃田端に萩原朔太郎来り、田端大いに詩的なり
    (大正14年、芥川から佐藤春夫宛書簡)

     室生犀星 これは何度も書いたことあれば、今さら言を加えへずともよし。只僕を僕とも思はずして、「ほら、芥川龍之介、もう好い加減に猿股をはきかへなさい」とか、「そのステッキはよしなさい」とか、入らざる世話を焼く男は余り外にはあらざらん乎。
    (大正14年、芥川龍之介「田端人―わが交遊録―」

     イチャイチャたのしそうですね。そして芥川はどれだけ猿股をはき続けていたのか。

    企画展第3章-2
    師としての龍之介 ―堀辰雄の文学的出発点―

     「辰っちゃんこ」登場回である。

     堀辰雄は学生時代に何度か田端で下宿していて、芥川は自分と共通点の多い堀を「辰っちゃんこ」と呼んでかわいがっていた。

    堀辰雄君も僕よりは年少である。が、堀君の作品も凡庸ではない。東京人、坊ちやん、詩人、本好き――それ等の点も僕と共通してゐる。しかし僕のやうに旧時代ではない。僕は「新感覚」に恵まれた諸家の作品を読んでゐる。けれども堀君はかう云ふ諸家に少しも遜色のある作家ではない。
    (昭和2年、芥川龍之介「僕の友だち二三人」)

     ここでも「詩人」であることが、芥川と堀をつないでいる。

     堀辰雄の大きな業績のひとつに、『驢馬』創刊がある。

    企画展第4章
    詩誌『驢馬』創刊 ―「詩のみやこ」となった田端―

     犀星を中心に集まっていた「驢馬の会」の青年たち、中野重治、窪川鶴次郎、堀辰雄、西沢隆二、宮木喜久雄、平木二六らが中心となって、大正15年に『驢馬』を創刊した。発行所は田端にあった窪川の下宿である。

     佐多稲子など、綺羅星のごとき才能が『驢馬』にあつまり、次々と新しい文学が生み出されていった。

     それは昭和2年に芥川がこの世を去ってからも続き、やがてプロレタリア文学運動ともつながっていく。

     『驢馬』はまさに「詩のみやこ」である田端が生んだ結晶のような雑誌と言えます。
    (展示壁面解説)

     芥川、朔太郎、犀星の中でもっとも長生きした犀星は、後年になってからも、誠実で愛に溢れた言葉でかつての友人たちを偲んでいる。

    私自身の中の萩原よりも、読まれてゐる世界の萩原が、彼の生前よりももつと親しく威張て私を呼びつゞけるのである。
    (室生犀星「えらさといふこと」)

     ほかにも『黒髪の書』は、老いてなお友を慕う犀星の心に目頭が熱くなる。

    Fediverse Reactions
  • ポパイのパワーって

     ホウレンソウを食べたポパイのスーパーパワーは、貧血が解消された人の実感を表しているんじゃないか。

     と思ってしまう程度に、貧血治療のめざましい効果に感動している。

     実は先週、血液検査の結果、貧血の数値があまりにもひどいとのことで、すぐ来なさいとお医者様に呼ばれ、鉄剤の点滴も受けてきた。

     ヘモグロビンが6(正常値は11.5~15.0)、フェリチンが2(正常値は4.0~87.0)で、普通の人の半分以下の酸素でずっと活動していたらしい。なんてこと。

     点滴してもらったお薬は「モノヴァー」といい、日本で製造販売承認されたのは比較的最近(2022年)のようだ。

     鉄とデルイソマルトースの複合体(デルイソマルトース第二鉄)を血中に投与し、複合体ごと細胞に鉄を届けて、細胞内で無害な鉄の形にする、というしくみ。毒性の高い遊離鉄の発生が抑えられるので、一度に高い用量の鉄を投与できる。

     このバイオアベイラビリティの高そうな薬で、私の場合、500 mgの鉄をいっぺんに投与してもらった。ちまちま経口で鉄剤を摂取するより効くのは当然で、継続して動いていられる時間が一気に伸びた(ただし投与二日後に38.5℃の発熱があった。解熱剤飲んで寝たらすぐ下がったが)。

     開発したファーマコスモス社の特許を調べてみると、関連しそうなのはこのあたりかな。

     特許第5426010号(特許権存続中。存続期間の延長登録あり)
    「安定な鉄オリゴ糖化合物」

     特許第4558198号(特許権の存続期間満了)
    「鉄欠乏症の予防または治療のための治療組成物の成分として用いる鉄-デキストラン化合物、および前記鉄-デキストラン化合物の製造法」

     点滴の鉄剤としては、2019年に製造販売承認された「フェインジェクト」というお薬もある。

     こちらは、鉄とカルボキシマルトースの複合体(カルボキシマルトース第二鉄)。開発したビフォー社の特許で関連しそうなのはこのあたりだろうか。

     特許第4777653号(特許権存続中。存続期間の延長登録あり)
    「水溶性鉄-炭水化物複合体、その製法、及びそれを含有する薬剤」

     特許第5225289号(特許権存続中)
    「鉄-炭水化物錯体化合物」

     特許第5289413号(特許権存続中。存続期間の延長登録あり)
    「水溶性鉄-炭水化物複合体、その製法、及びそれを含有する薬剤」

     特許第5259700号(年金不納による特許権消滅)
    「水溶性鉄-炭水化物誘導体錯体、それらの製造、及びそれらを含有している医薬品」

     特許第5060312号(年金不納による特許権消滅)
    「鉄(III)錯化合物の用途」

     「フェインジェクト」も「モノヴァー」も、鉄と糖の複合体なのだが、「フェインジェクト」は糖がカルボキシマルトースであり、「モノヴァー」は糖がデルイソマルトースであるという大きな違いがある。

     鉄と糖の複合体を含む静注用鉄剤としては、以前からデキストラン鉄と呼ばれるものがあったらしい。ただし、デキストランにはアナフィラキシー反応などのリスクがあったことから、それを解決するために、 「フェインジェクト」と「モノヴァー」はそれぞれ違うアプローチを取った(前者はデキストラン不含有とし、後者は低分子量オリゴ糖のデキストランを用いた)という理解。

  • いいねボタンつけてみました

     さっそくつけてくださった方、ありがとうございます!

     ぜひ気軽にぽちっとしてください。

    Fediverse Reactions
  • 歯を2本抜いた話

     自分の体メンテ集中期間、貧血治療のほかにもうひとつ大きいイベントに、「余分な歯」を抜くことがあった。

     私には余分な歯が2本生えていた。ひとつは文字どおりの「過剰歯」で、左下の第2大臼歯と第1大臼歯の間の内側というヘンなところに顔を出していた。もうひとつはやはり左下の親知らずで、半分埋まっていたもの。

     過剰歯については、以前、一度抜いてもらおうとしたのだが、某大学病院で2時間かかっても抜けず、「様子を見ましょう。そのうち根っこが吸収されるかもしれないし」ということで様子を見ていたものだ。

     ただ、場所が場所でケアもいよいよ面倒だし、歯医者さんと相談して、抜歯できるかどうかの判断も含めて診察してもらうべく、近所の大学病院に紹介していただいた。

     紹介先での診断の結果、やりましょう(抜きましょう)ということになり、さてどうなるかと本番に臨んだのがつい先日。

     私の過剰歯は頭が小さいわりに根っこが長く、骨にがっちりしがみついていて大変だったとのことで、1時間くらいかかったものの、ぶじに抜歯成功。その後の経過も順調。長らく舌の左側に触っていた余分な歯がなくなり、口の中が広くなった感じがしてすっきりした。

     この勢いで、最後の親知らずも抜歯したのが今日。こちらはものの数分であっさり抜けた。見せてもらったら、これがまあ大きくて、よくぞここまですくすく育ったものだと思った。

     長年の懸念事項が解消されてよかった。年取って体力がなくなる前、40代のうちにやっておきたかったのだ。

     

    Fediverse Reactions
  • 鉄剤すごい

     数年前から進行し始めた貧血(鉄欠乏性貧血)がいよいよシャレにならなくなってきたので、治療を始めた。

     いろいろ考えるとこれは婦人科マターだろうなと思ってはいたものの、内科的治療でどうにかなるレベルから外科的治療が必要なレベルまで、いろいろなパターンが予想される。
     子供の受験やら夫の仕事やら家の雑務あれこれやら、それにもちろん自分の仕事のスケジュールやらを考えると、外科的治療が必要と判断された場合、すぐには困るなと思って先延ばしにしていたのを、もう待ったなしであろうと判断したのが6月。

     とりいそぎ(遅いのだが)評判のよさそうな近所の婦人科に電話してみたら、評判がよさそうなだけに予約がそうそうすぐには取れなかった。
     あんな都合そんな都合をすり合わせて、ようやく受診したところ、やはり過多月経が問題ですねということになり、治療を開始していただけた。

     貧血の方にはおなじみの鉄剤を飲み始めた時点で、もう楽! 体がものすごく楽! 疲れないし動悸もしないしめまいもしない。今までどれだけ細胞に酸素不足の負担をかけていたのかと申し訳なくなるレベル。

     採血してもらった看護師さんに「貧血が治るとね、もうものすごく楽になりますよ。びっくりするくらい体が軽くなるから」って言われていたことが、まったくそのとおりに実現してびっくりした。

     その看護師さんは助産師でもある年配の女性で、採血しながらいろいろ話を聞いてくれた。
     家が落ち着いて、ようやく来ましたーという話をしたら、「そうなのよ」と。
     「お母さんはみんなそう。夫が第一、子供が第一。子供が大きくなるまでは、とか旦那さんの仕事のこれが終わるまでは、とかで自分を後回しにしちゃうんですよね。でも、自分も第一にしてね」と私の手をさすりながら声をかけてもらえて、泣きそうになった。

    Fediverse Reactions
  • 映画『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』みてきた(ネタバレ)

     昨日、『スーパーマン』に続いて最新劇場版鬼滅も見てきたよ。ネタバレあり感想メモです。

    ・無限城の、圧倒的かつ絶望的な広さと能力を伝えてくれる映像がすごかった。これ、もう都市じゃない? と思えるほど。鳴女はどうやってこれを把握して操ってるの。上弦の肆を受け継いだ者、怖。ある程度はその場にいる鬼の意思をオートで反映するようにはなっているのだろうが。

    ・今回避けられないのは、童磨と胡蝶しのぶの決戦。どうなるかわかっていても(わかっているから)見るのがつらくなるだろうと思っていたが、しのぶの覚悟と力の大きさに、甘ったるい同情や切なさは消し飛んだ。しのぶが何を考え、どう行動しているのかを緻密に、大きくクローズアップして描いてくれていたからだと思う。早見沙織さんのギリギリまで抑えた演技と共に、しのぶを、押しも押されもしない「柱」として表現してくれたことが嬉しかった。

    ・童磨は本当に本当に好きになれない鬼だが、その底知れないおそろしさといやらしさを演じた宮野真守さんこそ底知れない。カナヲ・伊之助との決戦も楽しみ。そこに必ず存在する、強く大きいしのぶの遺志と共に。

    ・16巻後半から18巻後半くらいまでという大ボリュームを一つの映画にしているのに、原作に忠実な上に、さらに補われたであろうシーンの効果が大きい。

    ・たとえばしのぶの死を鎹烏から伝えられてもなお、炭治郎と義勇が走り続けるシーンがある。そこで炭治郎が、突然開いた床の穴に落ちかけるのだが、映画では炭治郎が美しい技を繰り出して抜け出す。気を抜くな、と義勇に言われるまでもなく、炭治郎の心が折れていないこと、心を燃やし続けていることが一瞬で伝わる。アニメーションならではだと思った。

    ・珠世さんが必死で押さえ込んでいる、無惨が回復中の「肉の繭」の不気味なパワーの強大さが強調されたのも、身震いするような表現だった。

    ・善逸がどれだけ「壱ノ型」を極めていたかも、獪岳戦で鮮烈に表現されていた。斬撃の軌道の速さと美しさは圧倒的な説得力があった。

    ・そして! そして猗窩座です! リミッターを外したかのような石田彰さんの凄まじい演技と相まって、これを死闘と言わずして何をそう言うのか、という迫力。瞬きするのも惜しいくらい。

    ・戦闘シーンだけでも十分すぎるほど十分なのに、狛治時代まですべて描いてくれるなんて。いやもちろんそれを描かなければこの戦いは終わらないのだが。

    ・今の、少し低く太くなった石田彰さんの声で繊細に演じられる少年狛治が本当によかった。泣く恋雪に、少し片眉を下げて戸惑う狛治の表情が愛おしい。

    ・主にアニメを演じている声優さんが、アニメでおそらく期待されている「その人っぽさ」を消して臨む外国映画の吹き替えが私は好きで、その最たる存在が中村悠一さんなのだが、中村さんが演じた素山慶蔵(猗窩座の師匠)がまさにこれで最高だった。

    ・きわめて細かいことなのだが、頸を切られた猗窩座にさらに向かっていこうとした炭治郎の手から、刀がすっぽ抜けるシーンがある。映画ではここで、「……すっぽ抜けた」と義勇に言わせるのだが、これがものすごく義勇らしくてよかった。

    ・猗窩座の最期、「もういい、やめろ、再生するな」と猗窩座が(猗窩座の中の狛治が)自分に抵抗するシーンでは、猗窩座が歩み去りながら自分の腕の肉をちぎり取る。これも原作にはなかったカットだと思うが、切なさとつらさが見ている私の心もちぎり取るようだった。

    ・もう一回見たいけど、見るための体力と精神力を回復しないといけない。

    Fediverse Reactions
  • 映画『スーパーマン』みてきた(ネタバレ)

     参院選の投票を済ませて、『スーパーマン』と『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』を見てきた。以下、『スーパーマン』についてのネタバレ感想メモ。

    ・以前予告編を見たときの印象で、スーパーマンがヤムチャみたいになるやつでしょー、とかぼんやり思っていて悪かった。すごくよかった。

    ・こんなスーパーマン絶対モテるに決まっている。この価値観多様化時代に、よくぞ「誰もが大好きになれる憧れのヒーロー」を描き切ったものだと思う。

    ・でも私ミスター・テリフィックがかなり好き。

    ・と思ったけど、ラストシーン(ED前)見たら、え、それしてもらえるなら私もスーパーマンの彼女になりたい、と思い直した。

    ・スーパーマンの “I’m as human as anyone. I love, I get scared.” は名台詞だと思うし、ルーサーの “My envy is a calling. It is the sole hope for humanity.” も名台詞だと思う。1A! 1A!

    ・スーパーマンのテーマを惜しみなく、あちこちでこれでもかと聞かせてくれるの嬉しかった。あれはアガる。

    ・イブ、最初はまたブロンド白人美女をおバカに描くのかよ、まさかな、と思っていたらちゃんとまさかでよかった。イブ好きー。あのド派手な「E」のじゃらじゃらピアス含めて好き。ジミーわかってあげてー。

    ・怪獣と戦うとこ、ゴジラみたいで楽しかった。ジャスティス・ギャング登場でメトロポリスの群衆が大喜びしてて、えっ、これを……? と思ったけど、先を見たら、確かにこれは愛されギャング。

    ・コミックス版詳しくないので、わかるともっとおもしろいんだろうなと思った。

    Fediverse Reactions
  • Mastodonメンテ中に考えたこと

     Mastodonサーバを運営してくださっているHostdonさんがメンテ中。このメンテ後にMastodon v4.4.0へアップデートしていただけるとのことなので、のんびり楽しく待っている。いつもありがとうございます。

     ここのサイトについては、FediverseやFediverseを介したBlueskyへの配信システムを整え、ついでにサイトデザインも変えて、短いつぶやきも長めの記事も、特に気にせず投稿できるようにした。

     その結果、自分専用のSNSのようなブログのような感じのものがほしい! というかねてからの望みが叶って嬉しい。それを自分で作れたのも嬉しい。どんなにささやかなものでも、何かを自分で作るのは楽しい。

     などと思っていたらキタニタツヤさんのX投稿が物議を醸していた(らしい)。

     Xユーザーのキタニタツヤ Tatsuya Kitaniさん: 「純粋な消費者(そのコンテンツの作り手でない人)がチョビ悪意でクリエイターに大ダメージ与えてる様を見るの超凹む 全ての人は「物知りな批評家」より「ショボい(ショボくとも)作り手」であってほしい 誰もがクリップスタジオペイントを3時間触って綺麗な線の引けなさを知るだけで、この世は…」 / X

     私はキタニタツヤさんに心から同意する。

     たとえば私がインターネットに何かを書いたり、自分のサイトを作ったりするのは、「自分の頭の中にある、まだ形になっていない何か」を自分なりに形にしたいからだ。どれほどショボくとも、少しでも、自分が作ったものを形にして、世の中に投げ込みたいからだ。

     もちろんたくさんの人たちの知恵や力を借りなければそれは不可能だ。だから、先人たちや、同時代の人たちが生み出してきた知には最大限の敬意を払いたい。

     以前、SUUMOタウンさんに寄稿した記事で、博士課程にいたころの思い出として、こんなことを書いていた。

    しかし、研究室とは全く違う時間が流れる館内を歩いていると、次第に憑き物が落ちたかのように気持ちが楽になり、ふと「巨人の肩の上に乗る」という言葉を思い出していた。無数の先人たちが築き上げた知の蓄積の上に立ち、初めて見ることができる景色があるという意味の言葉だ。

    それまでの私は、なんだか一人で全ての研究をやってのけないといけないような気持ちになっていたが、そんなことはない。いつか誰かが見るかもしれない新しい景色を思い描きながら、巨人の肩の上にひとつ、自分が見つけた知識を積むことができたなら、それはそれで、私が足掻いてきた甲斐があったといえるかもしれない。

     当時の気持ちは今も変わっていないということなのだと思う。

    Fediverse Reactions
  • なんというタイミング

     7月13日に、小金井良精に関する記事
    星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ – Going Pollyanna
    を公開したのだが、その翌日に、東大がアイヌ遺骨持ち去りについて初めて謝罪したというニュースがあった。

    「尊厳傷つけた」東大が初めて持ち去りを謝罪 小樽・アイヌ遺骨返還

     良精の後継者たちによって、かつての人倫にもとる行為の反省が進み、民族の尊厳が回復されていくことを引き続き望む。

    Fediverse Reactions
  • 星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ

     きっかけは、2025年6月11日の毎日新聞記事

    遺骨返還の東大は「最も差別的」 ハワイ先住民が耳を疑った言葉 | 毎日新聞

     著名な解剖学者・人類学者である小金井良精(1859~1944)らがかつて収集したハワイ先住民の遺骨4体の返還について、東大の対応がとても失礼で差別的だった、とハワイ先住民の支援団体代表が述べている。

     人類学の黎明期には、小金井を含めて世界の学者たちがこぞって先住民族の遺骨を盗掘し、交換してきたという歴史的経緯がある。小金井を有名にしたのはアイヌの人骨研究だが、その基になった人骨も盗掘したものだった。

     現代では、遺骨の調査研究の倫理指針が整備されつつあるが、日本の人類学は世界の潮流に逆らっているという指摘がある1。何より、毎日新聞の記事でも指摘されているとおり、遺骨の持ち去りは当時でも非難される行為だった。

     小金井良精とはどういう人だったのか。その孫で大御所SF作家の星新一は、祖父をどう見ていたのか。それが知りたくて、『祖父・小金井良精の記』を手に取った。

     結論として、星新一は、良精の行為について倫理的な批判を一切行っていない。この書籍が出版されたのは1974年のことであり、また、星新一が祖父に非常にかわいがられて育ったことを考えれば、それはそういうものであろうと思う。しかし、子供のころ彼のショートショートを夢中で読んで育った私の勝手な思いとしては、残念だった。

     『祖父・小金井良精の記』は、おおまかなエピソードごとに、良精の日記や、関連する人物の書籍・談話などを引用しつつ書かれているため、年代もあちこちに飛び、どうしても散漫な印象を受ける。あのショートショートの切れ味を期待して読むとがっかりするかもしれない。

     しかし、個々のエピソードについてはさすがのストーリーテリングでおもしろく読めるし、なにより義兄の森林太郎(森鴎外)や師事したベルツを始めとして登場人物が絢爛豪華なので、読み通すのに苦はなかった。

     幕末、長岡藩の武士の子として育ち、戊辰戦争時には流浪して困苦を極めた挙句、明治5年、満13歳で医学を志して第一大学区医学校に入学。からのドイツ留学あたりは、この時代の若者たちの青雲の志が眩しく、胸が躍る。

    学問はそれだけで存在しているのでなく、それを発生させ育てた土壌があるのだと気づく。・・・(中略)・・・ひとつの専門分野を日本に持ち帰ろうとしても、それは切った木の枝にすぎない。死んだ標本である。故国に持ち帰り、移植し、将来にむかって育ちつづけさせるためには、根元のまわりの土を、できるだけたくさんつけておかなければならないのだ。

     生物学的側面からみた学問・研究に関する記述は、星新一自身が東大農学部を卒業し、大学院前期を修了した理系の人なので、専門的になってもかゆいところに手が届くおもしろさがある。

     良精のアイヌ研究については、良精自身が書いた「アイノの人類学的調査の思い出――四八年前の思い出」の要約としているが、良精の日記も参照して構成していると思われる。

     ヘビを嫌うアイヌの老婆を同行者が呼びとめ、ヘビの話をしてからかっているうちに発作が起こった話などが、まったく批判もなく紹介されていて、このあたりは読んでいて極めて不快だった。また、盗掘の詳細についてはまったく触れられていない。日記には書いてあったはずだが。

     書籍全体を通して、良精自身はアイヌに深い親近感と愛情を持っていた人物として描かれており、それはそうなのだろうと思うが、和人と対等に尊重されるべき民族とみている節はなかった。それは台湾やそのほかの国の先住民たちに対しても同じであり、星新一もそのような見方を共有しているように思えた。

     そのほかに印象に残ったことは大きく分けて3つある。

     まず、この時代、とにかく人が死ぬ。病気で、戦争で、あるいは人生を苦にして、どんどん人が死ぬ。良精の人生に後々も関わってくる重要人物なのだろうな、と思った人でも、次のページではもう亡くなっていたりする。
     漫画『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が「この時代に老いぼれを見たら『生き残り』と思え」と言っているが、まさにそのとおりだと思った。

     2番目は、良精による昭和天皇に対する御前講演のことだ。
     昭和2年、良精は日本の先住民族について昭和天皇に講義をしており、昭和天皇はそれに対して「日本民族なるものは、どこから来たのか」などと詳しく質問をしている。……えっ、昭和天皇、いろいろ科学的に知ってたんじゃん? どういう気持ちでこの後、現人神として戦争に臨んだんです? と思わざるを得なかった。

     最後、しみじみと心に残ったのは、良精の妻の喜美子のことだ。優れた歌人・随筆家であったことはぼんやり知っていたが、きちんとその作品を読んだことはなかった。それが、『祖父・小金井良精の記』にはたくさん引用されている。優れてこまやかな観察眼と愛情に溢れていながら、てらったところのない歌や随想で、こんなふうに書けたらと心から憧れるものだった。

    1. 持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは:東京新聞デジタル ↩︎
    Fediverse Reactions
I