予定どおり

 今日午後早いうちに、大きい仕事を一件、まずは。
 ほっとしたのか、眠くなってきた。子供もなんだか眠そうなので、今日はごはん食べたらさっさと寝る。夜はピザ。

 日本の新型コロナウイルスワクチンの2回接種率が、総人口の49.0%に達したとのこと。[1]日本経済新聞 電子版(日経電子版) on Twitter: “コロナワクチン接種完了率、全人口の49% 6199万人 #チャートで見る日本の接種状況 … Continue reading
 これはすごい。それもあって新規感染者数が減ってるのかもしれない。
 ワクチン接種が進んでいるほかの国の様子を見ていると、いったん減ってまた増えているところが多そうなので、安心はできないかもしれないが。

 去年の3月、この新型コロナウイルス感染症についての初めてのブログ記事で、こんなことを書いていた。

何よりもまず、「個人的/社会的にどの程度のリソースを費やして早期探知/隔離/封じ込めに取り組むべき病原体なのか」がわかりづらかったし、まだよくわからない。[2]日常が非日常になってそれがまた日常になっていく – 科学と生活のイーハトーヴ

 それから1年半。またここに戻ってきたような気がする。というか、これがずっと大きな問題であり続けているのかもしれない。

 「ゼロコロナ」に近い厳しい封じ込め政策をとっている国(中国、ニュージーランドなど)もあれば、ワクチン接種推進を前提に「withコロナ」に舵を切り始めた国(イギリス、フランス、シンガポールなど)もある。どちらを選ぶかについては、国と国との間でも、ひとつの国の中でも、ひとつのコミュニティの中ですら意見が分かれ、ともすれば分断が生まれがちだ。

 より感染性や毒性が強い新たな変異株が生まれるリスクを考えれば、できる限り封じ込めを頑張った方がいいのは明らかだ。そのためには全世界が足並みを揃えないと意味がないが、もはや足並みが揃う見込みは薄そうに見える。この現状で厳しい封じ込め政策を取り続ける国は、多大なリソースを注ぎ込みながら、経済回復の遅れに甘んじなければならないだろう。国よりも小さな集団でも同じことだ。
 遅かれ早かれ、多くの人たちが「withコロナ」に舵を切ることになるのだろう。しかし、それは決して、そうするのがどの角度から見ても妥当な論理的帰結だからではない。非の打ちどころのない理想的な決断ができることなどあり得ないからこそ、妥協と言わば言え、歯を食いしばってわたしたちは生きていくのだ。

 この疾患で健康と命を脅かされる人がまだたくさんいる状況であることから目をそらすべきではない、苦しむ人や命を落とす人の数を極少化する努力と一体でなければ「withコロナ」はあり得ない、とわたしは言い続ける。ワクチンで重症化と感染のチャンスを減らすだけではなく、さらに有効な治療薬を手にすることが人類にとっては必須だが、それでもまだまだウイルスとの軍拡競争は続くかもしれない。
 はい論破で終わりにできないことを考え続け、挑み続けることの中にしか未来はないのだと思う。