(『聖凡人伝』8巻/松本零士)
つぶやき
「国葬儀」前日
凶弾に倒れた安倍元総理の「国葬儀」を明日に控え、都心は朝からたくさんの警察官の皆さんがパトロールに当たっていて、ものものしい雰囲気だった。
https://twitter.com/pollyanna_y/status/1548263117175410693
https://twitter.com/pollyanna_y/status/1548263491865174017安倍元総理の死の直後、こんなことを言ってから二月も経たないうちに、イギリスのエリザベス2世が亡くなり、その国葬が行われることになるとは思わなかった。在位70年を超えた彼女の死を悼む人たちの心情は察するにあまりあるものの、わたしの気持ちは先のツイートと変わるところはない。
BBCでエリザベス2世の国葬の模様を見ていて、イギリスの歴史と伝統に圧倒されつつも、この荘厳できらびやかな権威と威厳は、人には生まれながらにして貴賤が存在する(人がその貴賤を生み出した)ということを前提にしなければ成り立ち得ないものだと改めて思った。
今後、君主制はいつまでその存在が許されるだろうか。BBCに出ていた王室評論家っぽい女性の語り口が、日本の皇室評論家の女性たちととても似ていたのはちょっとおもしろかった。
さて、君主でもなんでもない安倍元総理の「国葬儀」は、いまや国民の半数を超える反対を押し切って、国会も通さずに強行されるわけだが、果たしてどのようなものになるだろうか。
今日はいつもどおり朝は5時半起きで弁当を作り、久しぶりの日差しをこれ幸いと布団を干して出勤。
病院に行って薬をもらって帰宅。ウォッチとか陰口とか
一部でテストされていた「Twitterサークル」機能がグローバルに実装されて、タイムラインが騒がしかった一日だった。使いようによっては便利だとは思うし、一定の目的とやり方でいつかは使うかもしれないとも思うが、人間の本性がわりとあぶり出されそうではある。
閉ざされている(と当事者が認識している)コミュニティ内でやりとりされるネガティブな悪口や陰口は、もちろんそのコミュニティ内の誰かが流出させるリスクを常に孕むものではあるし、そうでなくても、そういうやりとりに慣れてしまった人たちの心を蝕んでいくものだと思う。
コミュニティ外の誰かをウォッチングして、その言動をネタや物笑いの種にしたり、あいつと仲良くするなというメッセージを発したりもてあそんだり、そんなことは人がほんの幼児だった頃からずっとやっていることだけど、大人になってからもそういう振る舞いをし続ける生き方を選択するのか。選択してしまったら、それを選択したことにともなうさまざまなあれこれは必ずにじみ出してしまうだろう。
憎しみや嫉妬や後ろめたさは、短期的には人をつなげる紐帯となるかもしれないが、その紐帯は、すがり続けるにはあまりに脆いし、自分の良心をまるごと懸けるほど頼りになるかは疑わしい。
220708
安倍元総理大臣が、選挙演説中に凶弾に倒れ、亡くなった。
ネットは種々言論陣営の対立で騒然としているが、一方で、コロナ禍ではどれだけの死を許容できるか、という話をしなければならず、命の重さとは、と思う。
BBCワールドニュースでは、G20会合に一報が入った瞬間の映像が流れていて、日本の報道では見られなかった各国外相たちの反応を知ることができた。
梅雨明け
関東甲信は今日、梅雨明けしたらしい。過去最短とのこと。水不足にならなければいいけど。
猛暑が続いて、今日は東電管内に電力需給逼迫注意報も出ていた。
夕方スーパーに寄ったら、冷蔵ショーケースが暗くて、電灯が間引かれていた様子。仕事上の某懸念が、出勤早々に解消されて一安心。
午後は丸々講師業務をこなして、なんとか週明けの一山を超えた。昨日は諸事情により自宅で電気が使えなかったため、夫と早めランチからの映画2本ハシゴした(子供は別にお出かけ)。
シン・ウルトラマンと劇場版コナン。どちらもとてもおもしろかった。今週残りも週末含めてひたすら忙しいけどがんばるぞい。
220624
待ってるデータがこないので、週末仕事がほぼ確定した。というか、週末仕事で済めばよいが、そうでなければ月曜がアホほど大変になる。
ただでさえ休める週末がほとんどない上に、来週はさらに忙しいのでこれはキツい……。220612
家事とおべんきょうとゼミと筋トレ。
充電も接続もセットアップもいらないので、やっぱり腹筋ローラーは手軽でいいな。
これまでちんたら膝コロしかやってなかったのだが、思い立って膝をつけない立ちコロにチャレンジしてみたらできてしまった。休み休み10回。
使う筋肉の範囲と、筋肉にかかる負荷の大きさがぜんぜんちがう!
またやろう。大人になってからいちばん痩せてたとき+2キロくらいの体重でコントロールできてるので、このまま筋肉を育てていきたい。
220611
午前中はうだうだして、午後からべんきょう。
今週は雨が多くて寒かった。今日はそうでもないかな。鴨志田ひよさんが、自分のエピソードをお母さん(西原理恵子さん)の漫画に描かれていたことや、さまざまなつらい仕打ちを受けていたことに対する思いを吐露したツイートやブログが、ひょんなことから発掘されて、先月末あたりからネットで騒ぎになっていた。
心を痛めていた読者に対して、ひよさんはこんなツイートをしていた。
https://twitter.com/kontyuzery/status/1532319243840409602
ご自身がこの渦中で大変な思いをされているだろうに、この繊細で優しいひとが、なんとか救われてほしいと思う。これを機に、水曜日、懸案だったわたしの育児記録の公開停止を実行。
RSSフィードなどのキャッシュにはまだ残っているだろうが、検索性も拡散性もほとんどゼロになったはずだ。
育児記録についてこれまで子供に何か言われたことはない。でも、ずっとわたし自身の心に引っかかっていたことだったので、すっきりした。昔は、いわゆる私小説はもちろん、作家の家族が登場するエッセイなども無邪気に楽しく読んでいたが、ここ数年は「書かれる側」のことが気になりだしていた。書き手も読み手も、他人の人生を、それもおそらく都合よく再構築されたものを、自分のために消費する。そのうしろめたさが年々大きくなっている。
加えて、SNSなどでは、どんなにささやかな親バカ投稿であったとしても、思いもかけない誰かの反感を買うおそれがある。わたしの書いたものなどそれほど多くの人の目に触れるわけではないし、匿名だし、子供の名誉を傷つけるようなことはもちろん書いたことはない。最近はほとんど公には書かないようにもしていた。
しかし、将来の子供が、自分自身をどういう人間として世の中に示したい(あるいは、どういう人間としては示したくない)と思うようになるのかを予想することはできない。そして、どんな記録についてどういう気持ちを抱くようになるかもまったくわからない。そうであれば、「わたしの目から見た子供像」の記録は可能な限りすべてネットから消しておくのが、子供の自由な未来に対しても、自分のうしろめたさに対しても、まだしも誠実な向き合い方だろうと思った。誠実などというには、これでも遅かったかもしれないくらいだ。