月別アーカイブ: 2022年3月

今年の桜

 朝、出勤前に花見さんぽ。

 わたしと同じような通勤姿の人たちが、ちらほら立ち止まって桜を見ていた。皆さん、それぞれにいろいろな思いを抱えてここに立っているのだろう。
 

20220326②

ひととおりその分野を勉強した後で、あらためて最初から読むことで、その基本書を書いた先生の哲学が身にしみるということがある。

それを鮮烈に体験し、また体験し直すというのは、この年になった自分にとってとても、とても大切なことなのではないか。

20220326

 雨が降ったり止んだりの土曜日。

 ギリギリで民訴基礎研修最終回受講完了。ちょうど新型コロナが日本に入ってきたあたりの収録だったそうで、この回のみ無観客収録。講師の村西先生が、「来年、再来年にご覧になる方は、そんな騒ぎもあったなあ、という感じかもしれませんが」とおっしゃっていたけれども、なんのなんの、未来の日本も絶賛大騒ぎ中です。
 確認テスト一発合格で気分よく修了。
 それにしても村西先生の講義は素晴らしい。1.5倍速で何度も復習するぞ。ちなみに確認テストは全回分、解答と共に手元に保存済み。

 夕方、買い物に出たら、もう桜がだいぶ咲いていた。明日はちょっとお花見散歩に行こうかな。

 今週は平日の夫の誕生日をうっかりスルーしてしまったので、満を持して週末にということで、きれいな金目鯛を2尾、どどんと使ったアクアパッツァ。作るのラクだから普段もよくつくるとはいえ、材料が豪華なのでごちそうということで堪忍。

一週間乗り切った

 このまま行けば3月も乗り切れそう。

 今週は、子供が3日間、朝から夕方までみっちり全学年で討論するという昼食つきの学校行事(任意参加)に参加していて、夫も2日間は昼がいらないというので、週の後半は在宅で、誰にも邪魔されず、厄介な仕事たちとみっちり取り組むことができた。食事を担当しなくていい人たちにはすさまじいアドバンテージがあることを実感。
 

20220323

ウクライナのゼレンスキー大統領が、日本の国会でオンライン演説をしたのを聞いた。

震災、東電原発事故、地下鉄サリン事件といった言葉をひとつも使わずに、これらを経験した日本の人たちの想像力にダイレクトに働きかけつつ、ウクライナへの侵略の津波を止めなければいけない、と述べた後、この戦争が終わった後の復興と、避難した人々が故郷へ帰還したいと願っていることを訴えて支援を呼びかける内容。想像力のある人が、相手の想像力に信頼して語りかけるとはこういうことかと思った[1]「ウクライナへの侵略の津波を止めたい」 ゼレンスキー大統領が12分の演説で訴えたこと【全文】〈AERA〉

ロシアは、病院や子供の避難所や、弱い人たちがいるところを集中的に攻撃している。
加えてマリウポリですさまじい大虐殺と連行が行われているのを、どうやったら止めることができるのだろう。

夕ご飯食べながらFNS歌謡祭。
ミュージカルパートがたっぷり取られていて、子供大歓喜。
A Knight’s Taleの「宿敵がまたとない友」をフルコーラス完璧に歌っててさすが。

電力需給ひっ迫警報とか

ひっ迫は逼迫と書きたいとこではある。

先日の震度6強の地震の影響で大きな火力発電所が停止し、復旧にはしばらくかかる見通しの中、今日は気温が低下して、東電・東北電の管内で電力の需給が厳しい状況となった。
朝から各メディアで節電が呼びかけられていて、震災直後を彷彿とさせる雰囲気に。

ディスカッションしたいこともあったし、自宅の仕事部屋で電力使うよりはと出勤したけど、いつどこが停電になってもおかしくない状態で、ひょっとしたら帰宅困難になるんじゃないかとひやひやしながら仕事した。

今日は一日冷たい雨で、ときどきみぞれや雪も。なんて日だ。

柳家さん花さんの会

 下北沢「劇」小劇場で。「古典粒選」第2回。
 さん喬一門箱推しだけど、ちょっと(だいぶ)えこひいきしてるのが小んぶさん改めさん花師匠で、「らくだ」を通しでやってくださるというので飛んでった。

 さんざん笑ったマクラが後々しっかり伏線になっててびっくりした。
 初天神、「ねだらない」金坊と、その金ちゃんにお銭を恵んでもらいながら買い物するお父さんの組み合わせが楽しい。お父さんが金ちゃん大好きなのが伝わって、じんわりあったかくなる。
 安兵衛狐、さん花さんの安兵衛狐好きなので嬉しかった。この後のらくだワールドへの導入っぽさもあるのかな。
 お仲入りはさんでいよいよネタおろしのらくだ(通しとしては初めて、ということかな)。出囃子はカンカンノウ。たっぷり楽しかった。おっきい体と声の迫力と、生き生きとわかりやすい人物の演じ分けと、屑屋さんの性格が豹変していく繊細な表現がめちゃくちゃハマってるから当たりそう。いつも思うけど口跡がほんとうに気持ちいい。

 これで年度末の激務を乗り切れそう。ありがとうございました。

学ぶことについて

 少子化傾向にも伴い、リカレント教育とか生涯学習とかに脚光が当たっている昨今、大人になってから「学ぶ」ことの意味と価値についてしばしば考える。最近は、主婦として子供を育てながら大学院で研究していることを表明した女性に、批判と応援が殺到して大騒ぎにもなった[1]専業主婦が大学院に行ったらダメですか? 批判された当事者の思い

 意味があるかないかと言えば、学びの主体となっている人にとっては、それは確実にあるだろう。学びを止める権利のある他人などいるはずもないし、ましてや学びに向かう意欲や営みをおとしめることのできる他人はいない。

 価値はどうか。それも当然、学びの主体となっている人にとってはかけがえのない価値があるはずだ。学んで得たことは誰にも奪うことはできない。その主観的な価値を否定することは誰にもできない。

 ただ「学んでいる」「学び続けている」という営みが、それだけで客観的かつ普遍的な価値を有すると主張しうるかといえば、それは難しいところだろうと思う。客観的かつ普遍的な価値を有するかどうかは、学びの結果として新たに生み出されたものでしか評価され得ないからだ[2]一般的な教育の価値を否定するものではない。できるだけ多数の人たちが学びの機会を得られるべきであることはいうまでもない。

 学問の世界でいうなら、個々の研究者のバックグラウンドはどうあれ、その分野に新しく積み上げたものがあるかないかでしか評価されない[3]経済的価値の話ではない。学問の分野に新しいレンガをひとつ積み上げることができたかどうかという話だ。。こよなく「太い」実家の支援を得て何不自由なく研究に専念してきた研究者の業績も、苦学生が数々の副業と困難の末に生み出した業績も、背後のストーリーは関係なしに評価される。短期的に学閥やコネクションが影響することはあろうとも、なにがしかの形で業績が残されていさえすれば、長期的には歴史の審判を受けて、まっとうな評価を受けていくことになるだろう。

 そうすると、不遇を乗り越えて学びに向かうということは、非常に意味があることではあるけれど、学びに向かったというただそれだけのことをもって、自分の価値を高く評価してくれと他者に要求できることはありえない。他者に価値を認めさせたいのであれば、それはやはりストーリーではなくて、自分が生み出したものに基づかざるを得ない。

 ストーリーだけを売りにするという生き方もあるかもしれないが、それでは早晩、自分が耐えられなくなるのではないか。たとえ耐えられたとしても、そういう生き方に批判を向けてくれる人たちがいない中で生きていくのはつらそうだ。最終的に自分の挑戦が何を生むことができなかったとしても、挑戦したということだけに意味を見いだしてくれる人はいるかもしれない。しかし、そういう人が出てきてくれることを期待して、ただ挑戦したという経歴を残すことだけを目的に生きるのは、甘えであり怠慢であり堕落であろうと思う。

 女性はこの点、非常に狭い綱の上を渡っているようなところがある。
 多くの女性が挑戦し得なかったことに挑戦したという、ただそれだけで、何も生み出さない前にもてはやされたりもする。
 そもそも挑戦することに障害があり、挑戦し始めたら、今度はスポイルされかねない危険が待っている。
 前者の障害を取り除くことについては多くの人たちが取り組んでいるところではあるけれど、後者の危険については自分自身でしか克服することができない。もう少し女性に与えられる機会が増えるまでは、この綱の上をどうにか渡っていかなければならない。

References
1 専業主婦が大学院に行ったらダメですか? 批判された当事者の思い
2 一般的な教育の価値を否定するものではない。できるだけ多数の人たちが学びの機会を得られるべきであることはいうまでもない。
3 経済的価値の話ではない。学問の分野に新しいレンガをひとつ積み上げることができたかどうかという話だ。

怒濤の3月

 期限ものラッシュがちょっと落ち着いてきた。いやー、しんどかった。しかし、お仕事をいただけるのはありがたいことです。

 絶賛、付記試験の勉強中でもあり、ダニング・クルーガー現象からの「わたしなにもわかっていなかった(ズーン)」の繰り返し。でも楽しいね。思い立ってよかった。

戦争とイノベーション

 ロシアのウクライナ侵攻に伴って、倫理面人道面でのショックがあまりにも大きかったのはもちろん、日常的な仕事上も考えることが多すぎる毎日。

 知財政策への影響について、これまでいろいろと情報が飛び交っていたものの、3月9日付でJETROから以下のリリースが出て、少なくとも “国家安全保障等” の目的でロシア国内で強制実施権が設定された場合、 非友好国の特許権者には対価が支払われなくなる、ということは確実になった。
ロシア連邦政府、国家安全保障等のために特許権等を実施することを連邦政府が許可した際の対価に関する決議を公表
 これはロシアの特許制度に対する信頼を地に落とすような判断だと思う。

 最近の技術提携/技術供与については、技術を持っている側が特許権として一定期間独占する代わりにオープンにしている技術と、その特許権を使用することについて対価を支払った者にだけ提供する秘密の(=クローズな)ノウハウとをセットで提供するやり方が一般的になっている。つまり、ビジネスをしようと思う国で、技術(アイデア)がきちんと特許権として保護され、対価を得られることを前提にして初めて仕事ができる、というのが国際的なコンセンサスだ。
 しかし、せっかく苦労して特許権を取った国で、恣意的な基準で無償の強制実施権が設定されてしまうおそれがあるとなれば、誰がその国でわざわざビジネスをしようと思うだろうか。そして、そのようにして技術交流が遮断されてしまった結果、イノベーションにどれだけブレーキがかかるだろうか。
 ひとつの国だけならまだしも、複数の国がこれに追随するとなったらどうだろう。これまで世界が営々と積み重ねてきた知財保護とイノベーション推進の国際的な枠組みが、根幹から揺らぎかねない。
 また数十年時計の針が巻き戻ることになってしまわないか、強い危惧を覚えている。