一日おべんきょう。
実務に絡めた話が聞けるのはいい。
夜は、鉄鍋で焼きポークシチュー。過熱水蒸気オーブンで作ってみる。
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今さら読んでみたという話。
少し前に、日経新聞が漫画『月曜日のたわわ』の全面広告を出した件でネットが燃えさかっていた。[1]「月曜日のたわわ」全面広告が日本経済新聞に「不安を吹き飛ばし、元気になってもらうため」(コメントあり)[2] … Continue reading
そのときにTwitterで、日経新聞は『失楽園』とかを堂々と掲載してたから通常運転じゃん、みたいな意見をちらりと見かけて、そういえばあれだけ社会現象になったのにまだ読んでなかったな、と急遽『失楽園』を読んでみることにしたのだ。
小学生のころ、家にあった週刊朝日で連載されていた『桜の樹の下で』を盗み読みして、この渡辺淳一という人のはなんか読んじゃいけないやつだ……と思った(でもときどきこっそり読んだ)記憶がある。それ以来の渡辺淳一。
文章が美しくてわかりやすい上に、エピソードが華麗に次々展開するので、するする一気に読める。ラブシーンは、だいたい女性が書いたものの方がわたしはどきどきするのだけど、男性の書き手の中では好きな方だと思う。とはいえ、ところどころハウツー本みたいに、どこをどうしたら女の人が喜ぶ、みたいな蘊蓄が挟まるので、そこが興醒めではあった。そういう蘊蓄とか、デートはどうセッティングするといいかとか、おしゃれでおいしいものと言えば何かとかみたいな実用的な側面も、当時の男性読者には受けたんだろうか。しかし、これを読んで真似したら、相手の女性が同じく読者だった場合にネタ元がお察しになってしまう危険性もあるのでは。
いちばんびっくりしたのは主人公の久木(くき)が、閑職に追いやられたという設定にもかかわらず、月に100万円程度の収入があるということ。えっ、なにそれ、わたしもそれになりたい。
ついでに、『失楽園』(1995年連載開始)の9年後に、やはり日経新聞で連載されて話題になった『愛の流刑地』(2004年連載開始)も読んでみた。
こちらでは、主人公の菊治の月収が、自由業とはいえおよそ50万円と久木の半分に減っていて、バブル崩壊後の失われた20年の重みを感じる。
文章の美しさも切れ味も『失楽園』と比べるとだいぶ鈍ってきていて、最初はコミカル路線を狙っているのかなとすら思ったくらい。「今まさに二人は合体している」って釣りバカ日誌かな。
時代を感じたのは、主人公と相手の女性が携帯でメールを打ち合うシーン。
「君のご主人がどんな人でも、僕は君を愛している。誰よりも冬香が好き」
そのあとに、ハートマークを三つつけて送ると、すぐ冬香から返事がくる。
「わたしもです。もう少しでそちらへ行きますから、忘れないでいてくださいね」
そこにも、ハートマークと笑顔がついていて、菊治はようやく安堵する。
いわゆる「おじさん構文」のひとつの源流を見た気がした(ちなみに菊治は45歳、冬香は36歳)。
恋愛パートはだいぶいまいちだったが、裁判パートはおもしろかった。もしかすると、作者としては裁判パートの方が書きたかったのかもしれない。しかしラストの決めゼリフはそれしかなかったのか。なかったんだろうな。
総じて『失楽園』の方が色褪せない魅力があるように思う。ある程度の年齢になって恋愛小説を書くのは大変そうだから、書くなら元気なうちに書こうと思った。
ちなみに映画版の『失楽園』もNetflixでこっそり見てみた。森田芳光監督の作る映像の美しさと表現力が素晴らしくて、ストーリーは正直どうでもよくなるが、脚本も長編を要領よくまとめ、テーマを際立たせているのが見事だった。久木(役所広司)とその親友の衣川(寺尾聰)が一緒に飲むとき、お互いに似ているけれど少し違う食べ物を頼んで笑い合う、といった小さなオリジナルエピソードもグッとくる。
映画では、久木の娘の知佳(木村佳乃)が医療関係の仕事(おそらくは医師)をしているように見える。原作では知佳は専業主婦なので、これは映画オリジナルの設定だ。久木が凛子と死出の旅に出る前、妻や知佳に別れを告げ、知佳が「行かないで」とすがるシーンが原作にもあるが、知佳の職業を頭に置いて見ると、映画でのこのシーンは、知佳が久木の死を察して必死で止めているようにも受け取れて、切なさが五割増しになる。
ラブシーンは最初はどきどきして見たけど、何度も見ているうちに、飽きはしないものの「なるほど……」という気持ちになってくる。確かにこういう気持ちにしかならなくなったら、死ぬほかないかも。黒木瞳さんがべらぼうに可愛らしくて美しかった。
↑1 | 「月曜日のたわわ」全面広告が日本経済新聞に「不安を吹き飛ばし、元気になってもらうため」(コメントあり) |
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↑2 | 広告単体で見る分にはわたしは特に問題は感じなかったものの(原作は好きではないけど数話読んだことがある程度)、ヤンマガ編集部が出したコメント「4月4日は今年の新入社員が最初に迎える月曜日です。不安を吹き飛ばし、元気になってもらうために全面広告を出しました」と組み合わせると、とたんに残念なメッセージ性を帯びてきてしまうなと思った。大人が「元気に」なるための手段として制服姿の少女を使うというのは、子供の前で大人が発するメッセージとして決して好ましいものではない。初めて制服で電車通学する新入生たちは、不安を吹き飛ばすどころの話ではなくなる。 |
大量に手でものを書かなきゃならないとなるとやっぱり万年筆。
弁理士試験のときは、ペリカンのスーベレーン400と、PILOTのカスタム823スケルトン(チャバネ○○とも呼ばれる)に結局落ち着いた。
今回もそれでいいっちゃいいのだけど、おととし手に入れた推しの万年筆(セーラー、刀剣乱舞燭台切光忠モデル)がかなり書きやすくて、ちょっとしばらくこれで起案演習しようかと思ってる。
「かっこよく決めたいよね!」
待ってもう4月が3分の1終わる。
付記試験対策ゼミ第1回復習。原告側書面作成まで。
おぼえといた方がよさそうな定義・判例等を持ち歩き用ノートにまとめつつ、演習も。
付記登録した後に自分がどれくらい侵害訴訟代理する機会をいただけるかはわからないけど、とりあえず明細書作成するときにはめちゃくちゃ役に立ちそう。
今夜は冷蔵庫・冷凍庫のありもの(鶏胸肉、たまねぎ、なす、小松菜)でチーズリゾット。
BA.2増えてきたなと思っていたら、オミクロンXEなる変異株も出てきたらしい。新型iPhoneかな。
なんとか乗り切りたいところ。
これだけヒトの間で感染が広がり、おそらくヒトに近い動物の間でもそうだろうという状況下、変異株はどんどん出てくるだろうし、まだまだこの感染症との戦いは続きそうだ。
人間社会は感染症による死者をどれくらい許容できるのだろうとずっと考えながら見てきたが、日本ではオミクロン波で過去最多数の死者が出ているにもかかわらず、2年前ほどの緊張感はもうない。
海外では桁違いにすさまじい数の死者を出しつつも、感染対策緩和の方向に動いているのを見ると、許容できるできないの判断については、もう絶対的な数が基準となることはないのだろうなと思えてくる。思ったよりも命の重さとは相対的に決まるもののようだ。
たいしたことのない疾患だという認識が広まったというよりも、人間のコントロールが及ばない大きな災厄だという諦めのようなものが大きいのではないか。
今日の午前中は勉強。部活から帰ってきた子供と一緒にコンビニ弁当でランチ。からの子供のワクチン3回目に行ってきた。もうひとがんばり。
3月29日に、鈴本演芸場夜席に行ってきた。春風亭ぴっかり⭐︎改め蝶花楼桃花師匠お披露目!
もぎりを抜けたら、年配の男性が「口上のときなどに、ぜひ、こうやって(身振り)振ってあげてください」とにこにこしながら桃花師匠応援タオルをくださった。わたしも「ありがとうございます。おめでとうございます」とにこにこ。愛され師匠だー。(以下、皆さん敬称は「さん」で失礼します)
一花さん「出来心(花色木綿)」(始まったところで入場して申し訳なかったけど、明るくて楽しかった)
仙志郎・仙成さんの見事な大神楽。
桃花さんの兄弟子、玉の輔さんの「財前五郎」(漫談たっぷり)。
文菊さん「熊の皮」(時折はさまる低い大きな声の迫力好き)。
めおと楽団ジキジキさんの華やか実力音曲漫才(私たちはご祝儀出すばっかり、はそりゃそうか、となった)。
馬風さん「楽屋外伝」(馬風さんのときだけ、客席の大きいお姉様方がぱっと華やぐんだよなあ。あの世代特異的に伝わるフェロモンか何かありそう)。
桃花さんの師匠、小朝さん「池田屋」(文治さんの源平盛衰記とかもそうだけど、どう頭を切り替えたら漫談(?)部分と本筋をあんなにパッパと行き来できるんだ)。
圓歌さん「お父さんのハンディ」(ゴルフさっぱりわからないけど笑ってしまう)。
橘之助さんの浮世節(目を合わせて歌っていただけると、もう完全に惚れてしまう。好き)。
三三さん「たけのこ」(新真打すくすく育て、の思いもこもっているのかな)。
お仲入りの間、番頭の林家扇さんが、身振りだけで応援タオルの使い方を客席にレクチャーされてたの楽しかった。
そして披露口上。圓歌さんが、桃花さんの「たちきり」は、志ん朝さんを100としたら120だ、と褒めてらして、ウンウンとうなずく客席。師匠の小朝さんはセクハラ発言連発で、そうでも言ってないと泣いちゃうんだろうなあとは理解できたものの、聞いてる方はちょっとつらかった。三本締めの発声は市馬さん……と思いきや、思いきり乗り出した馬風さんが「ご指名をいただきましたので」と爆笑をとりつつ愉快に締められた。
舞台を整えて小猫さんのものまね(猫八襲名おめでとうございます! やっぱりあの片足上げるやつがないとちゃんと音が出ないものかしら)。
市馬さん「長屋の花見」(春らしくのんびり楽しく、いつもながらあたたかい。大好き)。
正楽さん紙切り(久しぶりに満席のお客さんを見るから緊張する……とおっしゃってた。あれ、パンダ、パンダ、どうやって切るんだっけな、と客席をはらはらさせつつ、できあがりは見事なふたごパンダでした)。
そしていよいよ桃花さん。「はじめまして! 蝶花楼桃花、師匠、でーっす!」と元気にご登場。客席からは一斉に掛け声。
「待ってました!」(わかる)
「たっぷり!」(わかる)
「かわいい!」(寄席ではまず聞かないけどわかる)
演目は、小朝さん譲りの「天下一浮かれの屑より」。この披露目大初日からネタおろしとのことでチャレンジ精神が素晴らしい。新内あり、踊りあり、の大きな音曲噺。とにかく若旦那がかわいらしかったし、三味線もお歌も人形振も素敵でした。これからどんどん磨かれてもっと楽しく、見事になっていくのだろうと思います。おめでとうございます!
付記試験対策自主ゼミ1回目。右も左もわからないのでめちゃくちゃ助かる。先生と幹事の先生にはほんとうに感謝だ。どう考えても報酬をはるかに超える労力を割いてくださっているはず。
基礎研修一巡したときにも思ったけど、とにもかくにも定義と規範をとっととおぼえないとどうにもならなそう。
夜はなんかこまごまおかずをつくりたくなったので、以下のメニューでおうち居酒屋開店。
・いぶりがっこクリームチーズ
・かぶのサラダ
・湯通しキャベツの海苔和えナムル
・麻婆ブロッコリー
・煮豚(味玉入り)
・かぶの菜飯
時期的に、そして表面的にはとにかく処理する仕事がたくさんある状態だけど、その仕事ひとつひとつに、関わっている人たちの権利と労力と思いと、そして自分の食い扶持が依って立つところの技術的法律的課題が個別にみっちり詰まっているから、簡単に時候の挨拶や愚痴では到底片づけられない。そもそも外国案件では日本の年度末とか関係ないことがほとんどだしね。
日本のいい大学を出ておきながら資格職で与えられた課題をこなすだけなんてもったいない、みたいに、持ち上げているようでdisる人をたまに見かける。直接間接にdisられたこともある。
以前は、与えられた課題をこなすだけの仕事なんてこの世のどこにあるのか、想像力をどこに捨ててきたのかと腹が立っていたけれど、最近は、これも「何者か」にならなければ(あるいは子供を「何者か」にしなければ)症候群のひとつなのかなと思うようになった。
世の中は、誰かにとっては「何者か」であるようには見えないけれど、別の誰かにとってはかけがえのない「何者か」であるたくさんの人たちが支えているという、きわめてあたりまえの話だ。それが金銭として対価をもらっている人にせよ、そうでない人にせよ。
そうやって他人をdisる人たちが賞賛する海外の有名大学出身の人たちともたくさん仕事をしているけれど、結局のところ、現場で大切なのは人としての誠実さと基礎学力に尽きる。もちろん相手からもそう評価されているはずだ。だからわたしは、わたしが身につけることのできた力をほかの人たちのために使う方法をせいいっぱい考えて、そして実際に使い切って生きて死にたいと思う。
それが一番の願いかといえばそんなことはなくて、好きな本読んで好きなこと書いて、ときどき好きな人とイチャイチャしながら食べたいもの食べて、行きたいところに行って生きて死ぬのがいいな。