読んだものとか見たものとか

  • アンベイル

     『竜とそばかすの姫』で引っかかっていたというのは、「アンベイル」(正体を暴く)問題。

     『竜とそばかすの姫』では、仮想空間「U」で暴れ回る「竜」というアバターが登場する。あまりに凶暴で迷惑な存在であるため、「U」世界の自治警察組織も「竜」を追い、一般のアバターたちも「竜」の正体を知りたがっている。
     主人公の少女・すずは、なぜか「竜」に対して敵意は抱かず、むしろある種のシンパシーを感じている様子で、「竜」に近づこうとする。
     物語が進むにつれ、「竜」は深い心の傷を抱えていることがわかり、同じく傷を抱えているすずと心を通わせ始めるのだが……というのがあらすじだが、「竜」に対して執拗に、あなたは誰? と問いかけ、その心に踏み込もうとしていた主人公・すずと、単に好奇心や敵意から「竜」の正体を暴こうと(アンベイルしようと)していた自治警察やその他大勢のアバターたちとの違い(もしあるのならば)が、ずっと引っかかっていた。
     
     さんざん考えたけど、やはり、「竜」とすずの関係が結果的にうまくいったのはまったくの僥倖であるとしか思えず、すずと他のアバターたちとを決定的に区別する要素が、少なくとも関係づくり初期の動機づけ段階ではどうしても見つからない。
     すずは主人公だから、観客が感情移入できると同時に憧れも抱けるような人物として描かれているが、作品全体を素直に見れば、修辞でもなんでもなく、彼女は偶然主人公になってしまっただけのただの一般アバターの一人にすぎないし、表面的に対比されている大衆の醜さや冷酷さをすべて備えていることがよくわかる。
     細田監督が意図的にそのように作っているのだとすれば、美しい音楽と映像や巧みなセリフの構成に釣られて「感動的」「心温まる」といった賛辞を寄せるに違いない一定の層に対してなかなかイジワルだなと思う。
     逆に、細田監督が心から、すずは特別な存在で、彼女の行動も賛嘆されるべきものだと考えて作っているのだとしたら、それはちょっとしたサイコホラー並に怖い。

     折しも、野党攻撃で人気を集めていたTwitterアカウント「Dappi」が、自民党を主要な取引先とする法人が運営しているものらしいという話題で、ネットが騒然となっていて[1]野党批判を繰り返すアカウント「Dappi」の運営法人?自民党支部や国会議員が取引、政治資金収支報告書などで明らかに、 「#ネトウヨDappiの正体を追え」というハッシュタグもできているところ。

     資金源を明らかにしないプロパガンダは民主主義の敵だと思っているので「Dappi」を擁護する気は毛頭ないが、それとは別に、わたしにとって好ましくないアカウントの正体をアンベイルしたいという気持ちが生まれたとき、その感情の根幹については自覚的でいないと怖い。
     わたしにとって好ましい相手についても同じことで、気になる相手の正体をアンベイルしたいと思う気持ちは、どう糊塗しようとも、美しい「だけの」ものにはなり得ないはずだ。

     今日は午前出勤、午後休暇。
     ひとさまが働いているときに休暇をいただくと、2倍速でHPとMPが回復する気がする。

     今日の昼は、退勤後直帰でつくった焼きそば。
     今日の夜は、鶏もも肉と野菜のグリル。すりおろしにんにくと塩胡椒とオールスパイスと白ワインでマリネした鶏もも肉を鉄鍋でざっと焼き付けて取り出し、同じ鉄鍋でざっと炒めた野菜(たまねぎ、じゃがいも、しいたけ、なす)の上にマリネ液と共に乗っけてオーブンにin、焼き上がったら、バルサミコ酢と砂糖と醤油で雑につくったソースを回しかけてサーブ。ちょっとびっくりするほどおいしかった。

  • 蕎麦と竜そば

     緊急事態宣言が明けて、再開してくれたお気に入りのお蕎麦屋さんでお昼。
     お蕎麦大好きっ子の中3、大歓喜。
     休日のお昼に外でお蕎麦食べられるって、それだけで幸せだねえとしみじみ言い合った。コロナ前はこれが当たり前だったんだと思うと、改めて日常のありがたさが身に沁みる。

     池袋に出て、もうすぐ37年の歴史に幕を引く東急ハンズ池袋店へ。棚がスカスカになりつつあり、さびしさが募る。
     関数電卓など買った。

     SEGAはもう9月で閉まっていて、この通りも変わりつつある。既に新型コロナ検査センターとかもできているけど、これもまたすぐなくなるかもしれない。今日の東京の新規陽性確認数は、今年最少の60人。

     グランドシネマサンシャインで『竜とそばかすの姫』を見た。
     ストーリーに言いたいことは山ほどあるけど、音楽と映像がよかったのですべてよし。オペラとかミュージカルみたいに、ストーリーを細かく追求するものではないジャンルだと理解。そのわりに細田守作品らしく、ざらっと消化しきれないものが舌の上に残る作品ではあった。

     後光が差しているような雲だなあと見上げていたら、柳家小三治さんが亡くなったとの速報がスマホに。
     あの雲の上にいらしたのかしら。

     夜はイサキの塩焼きと、白菜と油揚げの味噌汁。

  • 2021/10/08

     繁忙期しんどい。

     昨日は夕方5時くらいに一度、そして夜中の10時半すぎに大きな地震が来てびっくりした。
     夜中の地震は、わたしのいるところだと震度4とのことだったけど、近隣の地域では震度5弱〜5強のところもあったようで、久々の強い揺れ。緊急地震速報の音はやはりとても緊張する。

     定期試験終わった子供が、解放感と共にいろいろ本だの漫画だのを入手してきていて、わたしもおすそ分けで『チ。』第5集を借りて読ませてもらった。
     異端とは何かを知ろうとするノヴァクを突き動かしたのも、C教とは生き方だと思うと叫んで散った修道士の背を押したのも、知であり、そして知だけではなかったろう。

     夜は金ローで地上波初劇場版『今日から俺は!!』見た。
     LIFE! と銀魂が昭和で同窓会してるみたいな映画で最高に楽しかった。わたしの中の育ちの悪さと良さがいい感じに甘やかされて肯定されるのがヤバい好き。寅さん見てるときと似てるかも。

     今日の昼は、マグロフライとアジフライ、小松菜と油揚げの煮浸し。
     今日の夜はピザ。

  • 『キミとフィットボクシング』1話

     見た。

     カレン先生まさかそんな経緯で。
     ヒロ先生輝きすぎでは。でもそこはかとなく鬼モードを想起させる感じでとてもいいです。好き。

     今日の昼は、Kit Oisixで酒米リゾットと根菜温サラダ。
     今日の夜は、豚汁(下茹でした豚バラ、大根、にんじん、里芋、油揚げ、ねぎ、しめじ)とごはん。

  • 『ザリガニの鳴くところ』

     読み終わった。
     なんとも分類し難い作品。愛と自然と博物学と切ないミステリ。最後まで読んで、この愛おしい主人公のことを自分は何ひとつ理解していなかったのだとわかる。もう一回読まないと。

  • 雪組東京公演


     ミュージカル『CITY HUNTER』-盗まれたXYZ-
     ショー オルケスタ『Fire Fever!』

     見てきました。

     彩風咲奈さん、こんなに歌のうまい冴羽獠がいたら命がいくつあっても持たない。最高だった。銀橋Get Wildソロとかマジか。
     どういうふうにストーリーをまとめるんだろうと思っていたけど、CITY HUNTERのおいしいところぎゅぎゅっと詰め合わせみたいな見事な演出。
     LEDスクリーンを活かした美術も、新宿の街の空気感を出すのにはこれ以上なくハマっていたのでは。ちょいちょい当時の宝塚公演の広告が出てきたり、アイドル雑誌『明雪』(雪組さんなので星が雪になっている)の広告が出てきたりするので油断がならない。
     ラスト、かっこよすぎて、声にならない悲鳴が客席のあちこちから聞こえた気がした。

     ショーもパワフルで繊細で、瞬きするのももったいないくらい。
     ドン・ジョバンニパロディで笑っていたら、その後もたくさんクラシックの名曲アレンジが惜しみなく投入されて大サービスにもほどがある。
     火の鳥につながるブランカのお話。久城あすさんが静かに歌い出した瞬間、鳥肌が立った。雪組さんはほんとにみなさん歌がうまい。

     今月も忙しくて緊張が続くけど、元気をいただきました。ありがとうございました。

  • はわわわわ

     『3月のライオン』16巻読みました。

     大好きな人たちのおいしいエピソードが隅から隅までぎっしりと、まるで作中のジグソーパズルのように詰まってる。

     今日の昼は、アイナメのカレー粉焼き、キャベツとエリンギのコンソメケチャップ煮。

  • 自粛度の指標(的なもの)

     みんながそろそろ自粛ムードに入ってきたかな、とか、逆に自粛ムード明けてきたかな、みたいなことを知る指標としては、通勤電車の混み具合とかがわかりやすい。
     ほかに、きわめて個人的な身の回りレベルの指標としては、勤務先ビルの女子トイレの混み具合というのがある。

     あったのだが。

     ここ最近、通勤電車がこれだけ混んでいるというのに、あんまり女子トイレが混んでいない。昼休みの歯磨き場所取りも余裕だし、午後3時に行列もできない。
     勤務先ビルの人たちはまだ警戒しているのか。それとも、あまり考えたくはないが、テナントが撤退しているのか。
     さすがに緊急事態宣言が解除されれば、もう少しわかりやすい影響が出ると思うので、しばらく状況を見てみたい。

     その代わりというか、それに加えて最近目立つのは、自宅の郵便受けに入ってくるチラシの増加だ。
     ここしばらくは、1日に1枚もチラシが入ってこないこともザラだったけど、ここのところはコンスタントに、1日1枚どころか、1日に複数業者からのチラシが何枚もポスティングされてくる。
     少しずつ経済活動が復調し始めている、のだといいな。

     今日の東京の新規陽性確認数は154人。ついに半年ぶりに200人を下回った。
     

     コロナ禍の中、支えになってくれたのが、「スマイル」(森七菜さんバージョン)。
     「もうすぐだね 長かったね 早くスマイルの彼女をみせたい」という一節が沁みるなあ。

     悪くてあと数年は警戒しないといけない状況が続くかもしれないけど、少しは思い切り笑っていい日がもうすぐ来るかも。がんばろう。

     今日の昼は、茹で塩鮭、こんにゃくと油揚げとネギの煮物、わかめごはん、
     今日の夜は、Kit Oisixで豚肉の味噌焼き、けんちん汁。

  • 21/09/27

     出勤。通勤電車の混雑はすっかりコロナ前に戻ってしまった。混んでる電車キライ……。

     昨日の夜、ふと思い立って、映画『ミッドサマー』を見てみた。グロ描写は大の苦手なのだが、最近、『進撃の巨人』とか『ゴールデンカムイ』とかで、少なくとも2次元であればだいぶグロ耐性ができてきたこともあり、せっかくの話題作にちょっと挑戦してみようと思ったのだった。

     家族を巻き込まないようにひとりで見たので、こわさを紛らわせるためにTwitter実況で騒ぎつつ、そしていつでも止められるようにリモコンの終了ボタンに指をかけつつの視聴。ときどき目をそらしながらも、なんとか最後まで(R+15版)見ることができた。

     音(音楽も含む)と映像がめちゃくちゃ緻密に計算されて作られてる一方で、脚本はけっこうツッコミどころが多いなと感じた。そんな小学生の自由研究みたいな博士論文の書き方ある? みたいな。
     グロシーンは確かに気持ち悪かったけど、全体的に心に来るような怖さはなくて、よーし怖がるぞとサイコホラーを期待していたわたしとしては、ちょっと拍子抜け。後から知ったのだけど、アリ・アスター監督自身がホラー映画じゃないよと言っていたそうなので[1]「ミッドサマー」はホラー映画じゃない? 真意をアリ・アスター監督が明かす : 映画ニュース – 映画.com、これは単にわたしの期待の方向性が間違っていた。
     この映画で起こる怖いことの大部分がドラッグに起因するものだということがわかりやすくて、怖さの理由に謎がないところが、サイコホラー感が希薄だった理由だと思う。向精神作用のある物質が含まれる何かを口にしたら、普段見えないものが見えたり、普段しないことをしてしまいました、というだけの、この上なくわかりやすい因果。サイコホラーであれば、もう少し人間の心理そのものの底知れぬ怖さみたいなものが描かれている方がわたしとしては好みだ。

     ちょっと感心したのは、恋人のクリスチャンが他の女性と性交しているところを目の当たりにしたダニーが号泣し、それにホルガの女性たちが同調して、不思議な号泣のハーモニーが盛り上がっていくシーン。
     ダニーの号泣はとても特徴的で、オープニングでは、家族が無理心中したことを知ったダニーが、長く長く引っ張り、大きく息を入れて、また長く長く引っ張るように泣き続ける声が、タイトルバックにずっと流れている。
     その後、ダニーはなかなか心ゆくまで泣くことがないまま、ストーリーが進む。泣きたくなってもトイレの中で声を抑えて耐えていたりするのが痛々しい。
     それが、恋人の行動によって堰を切られ、特に親しくもない女性たちの集団催眠のような精神作用の共鳴によって盛り上げられて、いつ果てるともしれない号泣として流れ出す。わたし自身はなるほどなあと思ってしまって、カタルシスとまではいかなかったけど、これですっきりする人も多そうだと思った。
     このシーンに至るまでに、美しい協和音が泣き声のような不協和音にスライドしていくようなBGMがいくつも使われて、ダニーが抱えていた不安をずっと演出していたのもうまかった。

     それにしてもやっぱりドラッグはヤバい。知らない人からよくわからない飲食物をもらったらダメだ。

  • 負けないイカロスになる – 『批評の教室 –チョウのように読み、ハチのように書く』(北村紗衣)を読んだ

     本や映画や舞台について自分が書く感想文が、どうにも稚拙で、てんでなってないなという自覚はずっとあったものの、この歳になるまできちんと批評理論を勉強してこなかった。
     わたしの中に、クリエイターの方が批評家よりエラいでしょ(だから創作の方に力を入れるべきでしょ)、みたいな、これまた幼稚な偏見が抜きがたくあったのと、あとは単純に怠惰だったのがその理由だ。

     しかし、批評理論と創作理論は互いを補完しながら進んでいくようなところがあるし、今どき優れて息の長いクリエイターはほとんどこれらの理論をすさまじく勉強しているものだ[1]以前見に行ったNARUTO展で、岸本斉史先生の勉強の軌跡を見て衝撃を受けたこともある。
     「頭でっかち」をバカにしたり、そうなることを怖れる前に、そもそもからっぽな頭をどうにかすべきだった、と遅ればせながら反省して、まずは「批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 」を買ったものの、なかなか手が出ずに、ずっと積読になっていた。

     そうこうしていたら、今月、表題の新刊が出た。『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』がとてもエキサイティングでおもしろかったので、これならひとまず手が出るだろうと読み始めたら大当たり。
     精読する→分析する→書く(+実践編)というシンプルな構成で、各段階をどう進めていくのがいいか、とにかく具体的に書かれていて助かる。読み進めていくだけで、もう半分以上できてる気になっていくので、さえぼう先生は人を乗せるのがうますぎる。
     これで自分も融通無碍・縦横無尽にいい感じの批評が書ける翼を手に入れた、どこまでも高く飛んでいけるぞ、とイカロスのような錯覚に陥りそうになるのだが、さえぼう先生はとんだダイダロスなので、その点は気をつけた方がよさそう。
     さらさら読めてしまうけど、実はけっこう重要な注意事項もしっかり強調されている。辞書を引く、事実を正確に認定する、たくさんの作品に触れる、みたいな忠告を無視して調子に乗りすぎると、たぶん蝋で固めた翼が溶け落ちて墜落することになるんじゃないかと思う。

     とはいえ、イカロスの飛行とは違って、素人の批評一発で死ぬことはまずないはずなので、飛び出さないよりは何度も軽やかに飛び出して、自分の翼を改良していった方がいいはずだ – 「勇気ひとつを友にして」。
     さっきはダイダロス呼ばわりしてしまったけれど、その友にもなってくれるような一冊だと思う。

    References
    1以前見に行ったNARUTO展で、岸本斉史先生の勉強の軌跡を見て衝撃を受けたこともある。
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