負けないイカロスになる – 『批評の教室 –チョウのように読み、ハチのように書く』(北村紗衣)を読んだ

 本や映画や舞台について自分が書く感想文が、どうにも稚拙で、てんでなってないなという自覚はずっとあったものの、この歳になるまできちんと批評理論を勉強してこなかった。
 わたしの中に、クリエイターの方が批評家よりエラいでしょ(だから創作の方に力を入れるべきでしょ)、みたいな、これまた幼稚な偏見が抜きがたくあったのと、あとは単純に怠惰だったのがその理由だ。

 しかし、批評理論と創作理論は互いを補完しながら進んでいくようなところがあるし、今どき優れて息の長いクリエイターはほとんどこれらの理論をすさまじく勉強しているものだ[1]以前見に行ったNARUTO展で、岸本斉史先生の勉強の軌跡を見て衝撃を受けたこともある。
 「頭でっかち」をバカにしたり、そうなることを怖れる前に、そもそもからっぽな頭をどうにかすべきだった、と遅ればせながら反省して、まずは「批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 」を買ったものの、なかなか手が出ずに、ずっと積読になっていた。

 そうこうしていたら、今月、表題の新刊が出た。『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』がとてもエキサイティングでおもしろかったので、これならひとまず手が出るだろうと読み始めたら大当たり。
 精読する→分析する→書く(+実践編)というシンプルな構成で、各段階をどう進めていくのがいいか、とにかく具体的に書かれていて助かる。読み進めていくだけで、もう半分以上できてる気になっていくので、さえぼう先生は人を乗せるのがうますぎる。
 これで自分も融通無碍・縦横無尽にいい感じの批評が書ける翼を手に入れた、どこまでも高く飛んでいけるぞ、とイカロスのような錯覚に陥りそうになるのだが、さえぼう先生はとんだダイダロスなので、その点は気をつけた方がよさそう。
 さらさら読めてしまうけど、実はけっこう重要な注意事項もしっかり強調されている。辞書を引く、事実を正確に認定する、たくさんの作品に触れる、みたいな忠告を無視して調子に乗りすぎると、たぶん蝋で固めた翼が溶け落ちて墜落することになるんじゃないかと思う。

 とはいえ、イカロスの飛行とは違って、素人の批評一発で死ぬことはまずないはずなので、飛び出さないよりは何度も軽やかに飛び出して、自分の翼を改良していった方がいいはずだ – 「勇気ひとつを友にして」。
 さっきはダイダロス呼ばわりしてしまったけれど、その友にもなってくれるような一冊だと思う。

References
1以前見に行ったNARUTO展で、岸本斉史先生の勉強の軌跡を見て衝撃を受けたこともある。
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