オリンピック東京大会が昨日、ついに開会してしまった。
東京のみならず全国で新型コロナウイルスの感染がかつてない勢いで拡大しているのに、この時期にオリンピックを開催するというのは正気の沙汰ではない。
デルタ株の蔓延で、世界でもまだ状況がまったく収束には向かっていない状況で、涙を飲んで出場を諦めた国や選手も多いはずだ。日本入国後に感染が判明した選手や関係者も100人を超えている。慣れない異国で療養しなければならない選手たちはどれほど不安だろうと思う。
外国の選手たちは厳しい行動制限を強いられているのに、日本の選手たちはそうではない。これほどフェアネスから遠い大会もない。日本の選手たちが華々しい戦果を挙げたとしても、どうして無邪気に喜ぶことができるだろうか。
なぜあと1年延期するか、2024年のパリオリンピックで共同開催とすることができなかったのか。
贈収賄等の問題もなく正々堂々と招致されたオリンピックが、真にコロナに打ち勝った証として、たとえ数年先になっても開催されるのを見ることができていたら、どんなによかっただろう。
しかし、もうオリンピックは始まってしまった。
昨日の開会式はすべて見た。
開閉会式をめぐっては、演出チームの解散、主要メンバーの辞任や解任などのトラブルが相次いできた。特に開会式直前の騒動は大変なものだった。
そもそも、東京オリンピックの招致に関わっていたのが、安倍元首相を初めとする、控えめに言ってやや極端な愛国保守的価値観、ビジネス保守的価値観を持つ有力者たちだったこともあり、重要な役職が、そういった価値観と比較的親和的な人たちで占められていったのだろうと推測する。昨年12月に解散した当初演出チームのメンバーだった山崎貴さんや椎名林檎さんも、どちらかというと口当たりのいい愛国保守的価値観のインフルエンサー的役割を担っていたと理解している。しかし、彼らですら、オリンピックについてより発言力の強い人たちのお眼鏡には叶わなかったらしい。その結果、長い時間とお金をかけて準備されてきた案はほぼ白紙に戻され、少ない残り予算で、レピュテーションリスクの高い経歴を持つ急ごしらえの演出チームにより、政治家を初めとする有力者たちの要望を組み込む形で、開会式が作られることになってしまったようだ。
ここまでの時点でもううんざりだったのだが、それでも昨日の開会式は見届けたいと思った。
広い会場を十分に生かしているとは言えず、どちらかというとさびしい印象を受けたが、簡素であることによって、より胸を打たれた部分もあった。特に冒頭、看護師ボクサーの津端ありささんを中心に、コロナ禍でさまざまな機会を奪われつつも、励まし合い、トレーニングに励むアスリートたちを描く部分には目頭が熱くなった。
また、あとで知ったことだが、黙祷に先立って舞われた森山未來さんの舞踊には、このオリンピックに関して無念の思いを飲み込まざるを得なかった、さまざまな人々への万感の思いが込められていたらしい。
ドローンパフォーマンスも圧巻だった。
あたりまえだが、開会式のスタッフやキャストが、みな同じ考えに統一されて仕事をしているわけではない。それぞれの思いを胸に、日に日に高まるオリンピックへの反感の声に傷つきながら、それでも最高の舞台を作り上げようと、血の滲むような日々を積み重ねてきたのだろう。さらに延期となれば、もはや開催の目処は絶望的だったかもしれない。これまで準備に携わってきた方々の努力が無にならず、隠れたメッセージも含めて、その成果を受け取ることができたことは、とても嬉しいと思った。これでもうこの苦しみからは解放されたと感じた方がもしいらっしゃるなら、そのことについても喜びたいと思う。
文字だけで思考していると、肉体と心を持って現実に生きている人たちへの想像力がどうしても失われがちだ。実際にパフォーマンスを担っている人たち、そのまわりを走り回る人たちの映像を見ることができたのは、とてもよかった。
入場する選手たちの晴れやかな笑顔は眩しかったが、今後の感染拡大の危険性を考えると、心の底から喜ぶことができなかったのは残念だった。感染症の脅威や、不十分な調整に心を乱されることのない環境で、さらに言えばもっといい気候の中、迎えてあげることができたら、どんなによかったか。
オリンピック精神に真っ向から反する数々の差別発言が取り沙汰されたすぎやまこういち氏作曲のドラクエテーマ曲は、結局、ほかのゲーム音楽と抱き合わせる形で使われてしまった。このことについても多くの批判があったことは記録しておきたい。
「動くピクトグラム」のパントマイムパフォーマンスはとても楽しかった。直前で解任された小林賢太郎さんのアイディア・演出によるものだろうとのもっぱらの噂だ。ほかにも随所に小林さんの演出と思われるところが残っていたという。Twitterでは、小林賢太郎さんの名前がきちんとクレジットされるべきだという意見を多数見たが、もし実際に小林さんの演出が採用されているのにクレジットされていないということが確かなのであれば、まったくそのとおりだと思う。
ただし、小林賢太郎さんがクレジットから削られたということを示す直接的な根拠は、少なくともネット上には見当たらなかった。公式プログラムに、演出 Show Director として小林賢太郎さんの名前が記載されているというTwitter投稿はある。
クレジットについてはきちんと確認したいのだが、開閉会式に関するオフィシャルなクレジットはどこを見ればいいのか、まだ探せていない。直前で辞任した/解任されたスタッフであっても、彼ら/彼女らによる演出を採用するのであれば、クレジットされるべきだとわたしは考える。
ほかに気になったこととしては、子供たちを夜遅い時間まで拘束して働かせていたこと、合唱する子供たちにマスクをさせていなかったこと等がある。
やはり夜8時ごろから開催されたリオオリンピックの開会式でも、会場の外にある聖火台に14歳の少年が聖火を点火したとのことなので、オリンピックの開会式(閉会式も?)では、子供を夜遅くまで拘束してもいいという全世界的な了解があるのだろうか。それにしても、さすがに夜中の12時近くまで、小さな子供を働かせることには首を傾げざるを得ない。
また、Twitterでも医師たちによって指摘されていたが、ワクチン未接種の子供たちを多数、あの会場でパフォーマンスさせることについては、きわめて重大な感染リスクがある。特に、ノーマスクで子供たちに合唱させたことはよくなかった。何もなければよいが、何もなかったとしても、視聴者の感染拡大防止意識を高めることとは真逆の効果を及ぼしただろう。
選手たちもかなり密になっていたように見受けられたし、会場外ではすさまじい密集状態だったようだ。いよいよ、オリンピックに直接的に起因する感染拡大が起きることも覚悟しておかなければならないかもしれない。
今回のオリンピックは招致から開催に至るまで、検証すべきことが山のようにある。
準備や運営に携わったスタッフやアスリートの皆さんには心からの敬意を示すが、わたしはやはり、今、このオリンピックを開催すべきだったとは思わない。
まずは、予想される感染拡大の大波に最大限の警戒が必要だ。今後の状況によっては、速やかな大会の中止が必要になると思う。IOCおよびJOCには、今後、その判断と選手たちのケアに全力を注いでもらいたい。
ここからは、特に重要でもない雑感メモ。
・パフォーマンスの合間にちょいちょい挟まれるIOC広報ビデオが、あまりにもあからさまで萎えた。クッソ商業主義では。
・ゲーム音楽と選手たちの笑顔で高揚した気持ちが、その後の橋本会長およびバッハIOC会長の長いながいお話で一気に冷めていき、「そうだ我々はこんなことをやっている場合ではないのでは」という気持ちに(自分自身もTwitterのタイムラインも)なっていったのがおもしろかった。
・聖火点灯のボレロはあまりといえばあまりに安易では。あれで気持ちが高揚するのは、毎年年末に東急ジルベスターコンサートでカウントダウン年越しをしている日本人くらいのものだと思う。現に、タイムラインには、「なんか年が明ける気がする」「雑煮食べたい」「ゆく年くる年」「裏でカウコンやってるのでは」みたいな投稿が溢れていたよ。