• わーい

    賞与~! よく来たね賞与。

    にしても社会保険料と税金がすごい。社会を支えている。

  • 今日はあったかい

    最高気温は16度くらい行くらしい。在宅勤務。

    子供の弁当にも入れた、鶏ひき肉と豆腐のハンバーグと、青ネギの卵とじでお昼。天才では(うまい)。

    『女の園の星』3巻、朝、Kindle版で読んだ。三木さんのエピソードがよかった。
    特装版も買ってあるので、アニメは夜見る。

  • ボボボーボ・ボーナス

    が今週いただけるはずなので、scribeに引き続き、自分のためにいくつかお買い物した。

    ダークピンクのカシミア混手縫いコートとキタムラさんのセミショルダーバッグ(黒革にキャメルステッチ)。気分が上がってとてもよい。好き。

  • 士走(しわす)

    忙しやの鐘が鳴る中、職場ランチ忘年会でごちそう食べてきた。いっぱい歩いて帰ってきても全然おなかすかない。夕ご飯どうしようね。

    四十半ばを過ぎて、ナンパされることがちょいちょい増えてきたのはどういうわけか。おばさんなら意外となびくよみたいな情報がどっかの界隈で流布してんのかな。

  • kindle scribe届いた!

    kindle scribe

    でかい。見やすい。さくさくだ。[1]「飛べる! 踊れる! エアリアル!」https://twitter.com/G_Witch_M/status/1596783384411492353
    メモ機能はまだ使ってないけど、楽しみ。

    これがあったら、今後購入予定のiPadはProじゃなくてAirでいいかな。というかもうちょっと先でもいいかな。年末年始は何かと物入りなので。

    References
    1「飛べる! 踊れる! エアリアル!」https://twitter.com/G_Witch_M/status/1596783384411492353
  • 電灯切れラッシュ

     先週、仕事部屋の蛍光灯が1本切れ、管理が面倒なのでグローランプと蛍光灯を一気に全部取り替えた(11/25)。

     その後、別のところ2箇所で使ってるちょっとマイナーな蛍光灯(9Wのツイン蛍光灯)も1つ切れた。これは引っ越し以来(2010年3月に引っ越したから、10年以上)、たぶん替えたことがなかったと思う。
     せっかくだしLEDの輝度の高いやつにしようかと、互換性があるらしい海外メーカーのものを注文して取り付けてみたのだが、チカチカちらついてダメだった(まだ生きてる方の蛍光灯をつけたら普通についたから、照明器本体の問題ではない)。勉強になった。
     Amazonはブラックフライデーのせいで配達が遅いので、ヨドバシでパナソニックの蛍光灯(FDL9EXNF3)を買い、今日2つとも交換。ちらつきもなく、無事明るくなった。めでたしめでたし。

     備忘:リビングの蛍光灯は今年9月に交換。

  • 帰宅

     夕焼けみたいな朝焼けが空一面に広がっていたのに始まり、昼は春先みたいに生暖かく、夕方は間欠的に強い雨が降ってくるという、なんだか不思議な一日だった。

     今日はラテンなお客様。とても有意義な議論をたくさんしてくださったのに、なぜかむちゃくちゃおもしろくてずっと笑ってしまった。

     握手する機会が増えて思うこと:やっぱりわたしは基本的に体温が高い;および初手に出していい握力の加減がわかってきた(相手の力に合わせて後出しする)。

  •  近所の事業所のシャッターを閉める音が聞こえてくると、夕方だなという気がする。

     そういった音や子供たちの声も含めて、人の生活音や、鳥や虫の声がすぐそばに聞こえる環境でずっと暮らしてきたから、そうじゃないところに住んだら、きっとすごくさびしいだろうと思う。

     いろんな国の言葉も聞こえてくる。
     夜、近くのアパートのベランダで、ずっと誰かと通話している声が聞こえてくると、内容はわからないながら、少しもの悲しい気持ちになったり、笑い声が聞こえてほっとしたりする。

  • 舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』

     見てきた。
     ハリー石丸幹二さん、ハーマイオニー早霧せいなさん、ロン竪山隼太さん、ドラコ松田慎也さん、アルバス・セブルス藤田悠さん、スコーピウス門田宗大さんの組。

     魔法も素敵だったし、宙乗りディメンターめちゃくちゃ怖かったし、アトラクション的楽しさたっぷり。
     その上、ハリーとアルバス、ドラコとスコーピウス、そしてダンブルドアとハリーの「父子」関係がみっちり掘り下げられてて、ティーンエイジャーの親としても、かつて子供だった大人としても、いろんな感情が引き出される舞台だった。アルバスとスコーピウスの「友情」の描き方には、もしかすると賛否両論あるかもしれないけど、お互いにいちばん大切な人だと言える関係になっていく過程は見ていて清々しかった。みんなスコーピウス大好きでしょ。わたしもです。

     ハリーがいつまで経ってもハリーなのとは対照的に、ドラコはとても大人になっていて、どちらの成長のしかたもおもしろい。わたしが人間としてどちらを目指したいかと言われたらドラコかな。
     
     他の組も見てみたい。

  • 読み返し『斜陽日記』(太田静子)

     鎌倉殿から右大臣実朝を読み返したついでに、太宰をあれこれ読み返していて(中3の夏休みの課題論文は太宰にしたくらい、少女時代にはハマっていた)、その流れで太田静子の斜陽日記も読み返した。

     斜陽は、太田を原作者としてきちんとクレジットしなかったという点で、個人的にはだいぶ許せない気持ちがあったのだが、また読んで、ますますその気持ちが強くなった。太田が彼女の意思で日記を太宰に捧げたことを思うとよけいにやるせない。「人間は恋と革命のために生れて来たのであるのに」は、太宰ではなく、太田の言葉だ。

     斜陽では、主人公のかず子、その道ならぬ恋の相手である上原、そしてかず子の弟である直治と、主立った登場人物のそれぞれに太宰が投影されている。かず子はもちろん太田で、上原は太宰が直接的なモデルだ。太田に弟はいるが、直治は斜陽オリジナルキャラと言ってもいい。太宰は上原を比較的醜く描く一方で、直治には甘いように思える。自分の中の直治的なものを、太宰は抱き締めたかったのだろうと思う。でも、舌の病気になった「お母さま」に対し、ガーゼをリバノール液に浸したものにマスクを着けて寝るという(効果はともあれ)優しい手当を提案したのは、斜陽日記によれば太田であった。それが直治の手柄にされてしまったことで、何か大切なものを奪われたような気がしてしまってつらい。

     女の年齢に関するちょっとした記述の違いも棘のように引っかかる。
     斜陽日記にはこんな一節がある。

     「でも、私は、駄目なのです。恋のこころがなくては。どうしてもだめなのです。私はもう大人なのです。三十三。」
     と、言って、はっとした。女は三十三までは乙女の匂いが残っている。けれども、三十三をこえた女の体には、もう何処にも乙女の匂いは残っていない、という言葉を思い出したのである。外の風景の向うに、海が青く光っていた。

     これが、斜陽だとこうなる。

     「でも、私みたいな女は、やっぱり、恋のこころが無くては、結婚を考えられないのです。私、もう、大人なんですもの。来年は、もう、三十」
     と言って、思わず口を覆いたいような気持がしました。
     三十。女には、二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。

     太宰のいうフランスの小説がほんとうにあるのかもしれない。閾値を三十三においたのは太田のちょっとした創作が入っているのかもしれない。
     どちらが何を創作したのかはわからないが、この男女の齟齬に表れている年齢の受け止め方の違いがいたたまれない。
     今のわたしは、簡潔で力強い太田の記述の方を愛する。