仕事だらけの年末を乗り越えて、三が日は本ばっかり読んでいた(ごはんもつくったし洗濯などもした)。
Twitterをほとんど見なくなって、つぶやきたいことはMastodonでぽつぽつ、という生活をしていると、心が無駄に波立せられなくてよい(さっきうっかり見て、どよんとなってしまった)。
椎名誠『失踪願望。コロナふらふら格闘編』。
椎名さん読んだの、ものすごく久しぶりだ。
小学生のときに「地獄の味噌蔵」を叔父の一人にもらってハマり、高校生になるころにはあまり読まなくなっていたのではないか[1]母方の叔父たちは、親が積極的には勧めないだろう本や漫画をいっぱい教えてくれて大好きだった。今も大好き。。SF作品の方がいいなと思うようになった記憶はある。
今の子はどうだろうと思ってうちの高校生に聞いたら、「『岳物語』は、小学生のころ、塾のテキストとかテストでこれでもかってくらい出てきた。重松(*重松清)並の登場回数だった」とのこと。そこからさらに別の本に手を伸ばそうとまではならなかったようでちょっと残念。うちの本棚にもいろいろあるのに。
で、その久々の椎名さんのエッセイ(というか日記文学)なのだが、これがしみじみとよかった。
よかった、と言っていいのか。
コロナ感染記は、とにかくアルファ株(と思われる)の症状が激烈で、よくぞ生きて帰ってくださったと思う。やはり感染は、一時的にせよ脳への影響がかなり大きかったようで、症状が一段落した後の「通りゃんせ」のエピソードはわりと背筋が寒くなった。
何より、渡辺一枝さん(奥様)が完璧に素敵すぎる。
そもそも魅力的な人だとは思っていた。
結婚してから保育士の資格をとって保育所を作り、お子さんたちがある程度大きくなったら、40を過ぎた女性ひとりで念願のチベットを馬で駆け巡った人。今も社会運動と文筆活動で現役だ。
その夫があの椎名さんと来ている。70歳を過ぎてとても元気とはいえ、コロナ感染前から不眠で薬を常用し、酒も(時に嘔吐するほど)よく飲む夫。その彼と「食事しながら一時間から二時間いろんな話を」し、「今のぼくには大切な時間になっている」と言わしめる。
おそらくご夫婦で思想的には重ならないところも多そうだと推察されるが、何か絶妙にうまく互いに距離をとりつつ、かけがえのないパートナーとして人生を歩んでいる様子がうかがえた。
わたしにとって「いちえさん」の勝手なイメージは、智恵子にならなかった高村智恵子だ。
夫と同じ夢を抱きながら、夫が先にどんどんひとりでその夢を叶えていく。にもかかわらず着実に日々の生活を積み重ね、積み重ねたものをすべて背負って引き連れて、ぽんと自分の夢に向かって踏みだし、そうすることで家族ごと次のさまざまな生き方の揺籃となっていく、というような。
とてもとても憧れるけれども、はたしてわたしはそういうふうになれるのかなあ。
気になってしかたなくて、古書で椎名さんの『そらをみてますないてます』を手に入れて読んだ。
いや、おい、イスズミ、まじで。
ああいうことがあっての、その、今? みたいなきもち。
夫にとってのイスズミがいたとわかったあと、夫があんなふうに劇症コロナで倒れたら、わたしはどうするだろう。どうできるだろう。
↑1 | 母方の叔父たちは、親が積極的には勧めないだろう本や漫画をいっぱい教えてくれて大好きだった。今も大好き。 |
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