• 『智恵子飛ぶ』を読んだ

     台風14号が本州にも来るらしい。東京に来るのは(そのときには温帯低気圧に変わるらしいが)週末になりそう。
     今日は涼しいが、どんよりした曇り空だった。ここのところだいたいどんよりしているので、そろそろ青空が恋しい。
     
     ここ数日読んでいた『智恵子飛ぶ』(津村節子)を、今朝読み終わった。
     高村智恵子のことが気になっていたのは高校生の頃だったから、大学生になった後に出たこの本は読んでいなかった。

     わたしが結婚したとき、わたしも夫も研究を仕事にしていた。苦しくても手を携えて乗り切っていけるだろうと能天気に思い描いていたほど、その結婚生活は簡単ではなくて、それ以来、研究者どうし、芸術家どうしが共棲みするという生活のあり方はずっと関心の対象であり続けている。

     もっとも、若かったころは、見聞きするエピソードがどれも、女性であることによって妻に突きつけられる理不尽さをあからさまにし、直接的にわたしの感情を揺さぶってくるようで、なかなか冷静には向き合えなかった。
     米沢富美子さんの『二人で紡いだ物語』など、もちろん感動し、勇気づけられはしたものの、それにも増して、どうして妻ばかりがここまで家庭のすべての労苦を背負わなければならないのか、そのことが当たり前のように語られなければならないのか、という反発をより強くおぼえた記憶がある。

     高村光太郎・智恵子夫妻について、高校卒業以来、あまり深入りしなかったのも、冷静さを失うのが怖かったからかもしれない。

     最近は、(家事育児以外に)仕事を持っている者どうしが一緒に暮らすことで生じる相克と懊悩について、自分の個人的な感情をいったん脇に置いて考えられるようになってきた。研究者を辞めて、別の職業人として歩んできた自分のキャリアがそれなりに長くなったからでもあるだろうし、つい先日、萩尾望都さんの『一度だけの大泉の話』を読んだことも大きい。[1]同志がひとつの家に住むということ – Going … Continue reading

     そして今、出会った『智恵子飛ぶ』である。

     智恵子の人生についてのもっとも簡潔で明晰な要約としては、光太郎の『智恵子の半生』がある。また、高村光太郎・智恵子夫妻の伝記的小説の筆頭には、佐藤春夫の『小説 智恵子抄』が挙げられるだろう。しかし、いずれも夫側(光太郎側)の視点から書かれたものだ。[2] … Continue reading

     翻って『智恵子飛ぶ』は、智恵子の目と心に寄り添って書かれている。
     作者の津村節子さんはあとがきの中で、「同じ屋根の下に棲む芸術家夫婦の中に深く立ち入るようになったのは、物を書く男と共に暮すようになってからである」という問題意識を述べている。作家の吉村昭さんを配偶者として長年生活を共にしてきた津村さんならではの視点だ。

     光太郎が
    「彼女の一生は実に単純であり、純粋に一私人的生活に終始し、いささかも社会的意義を有(も)つ生活に触れなかった」
    と削ぎ落とし、
     佐藤春夫が
    「自分の拙劣な絵はいっそあきらめてしまって、家事に尽くし、光太郎の努力に協力してその彫刻を完成させるのこそ美術に尽くすことだと智恵子は考えたらしい」
    と朗らかに決めつけた智恵子の人生と心の動きを、津村さんはていねいに掬い取る。

     親からも弟妹たちからも一目置かれ、何かと頼りにされて、家族のために運動し、こころを砕く智恵子。
     文展落選に傷つき、ふたたび意欲を奮い立たせて太平洋画会へ勉強に行こうとするも、深い心の傷と病と貧困に蝕まれ、意欲を失っていく智恵子。
     病に苦しみながら、『女性』誌に強い意志のこもった投稿を寄せる智恵子。

     いささかの社会的意義をもつ生活にも触れなかった?
     自分の拙劣な絵はいっそあきらめた?
     そのような智恵子像は、この『智恵子飛ぶ』からは全く読み取れない。
     極めて強い意志とヒリヒリするほどの才能をもった女性が、現実生活の中で、しかも目も眩むような才能とチャンスに恵まれた愛する人との生活の中で、ひたすら努力し、あがき、疲労し、摩耗していくのである。
     その過程はすさまじく残酷だが、津村さんの筆致は決して同情的でウェットなものではない。津村さんご自身が、才能に努力を積み重ね、たくさんの仕事を残してきたひとりの女性として、そのようにあり得たかもしれない智恵子を見いだそうとし、結果としてそうはなり得なかった智恵子を、あくまで対等な視点から見いだしたからこそ描き出された姿なのだと思う。

     この智恵子の後ろに、何万人、何百万人の智恵子たちの姿を、わたしたちは容易に想像することができるはずだ。

     そして今日もわたしはごはんを作り、仕事をする。
     昼は、アジの竜田揚げ、卵焼き。子供の弁当にはプラス、冷食の切り干し大根の煮もの。
     夜は、Kit Oisixで、カレイのごま衣焼き、たまご入りポテサラ。

    References
    1同志がひとつの家に住むということ – Going Pollyanna
    いわずもがなではあるが、才気溢れた女性クリエイターたちがひとつ屋根の下で生活する話と、その後の話である。
    2佐藤春夫は「また或る時は光太郎となり、或る時は智恵子となり一人二役の演技で俳優兼舞台監督のような仕事をしているのである」と無邪気に述べているが、徹頭徹尾光太郎の視点からしか書かれていない。
  • MX ERGO買った

     6年くらい使ってたマウスの調子が悪くなったので、適当に安いのをポチったよ~、と某所で報告したら、識者の皆様方からおすすめトラックボール語りの集中射撃を受けた。
     そりゃもう今試さずしていつやるの、という機運が高まってしまったので、たまっていたヨドバシポイントで買った。

    MX Ergoアドバンス ワイヤレス トラックボール – Logitech

     M575と迷ったのだけど、拡張ボタンがいっぱいあって楽しそうなのと、充電式という点でMX ERGOに。

     今日一日使ってみて、基本的な動作にはすっかり慣れた。ポインタを移動するのに、いちいちマウスをたしたししなくていいのはとても楽。
     手が小さいので、あまり大きなギアは扱えるかどうか不安だったけど、もてあます感じは全然しない。手をどんと預けられる安定感があって、思ったよりだいぶ快適だった。
     拡張ボタンをどうカスタマイズするか考えているところ。

     今日の昼ごはんは、チキンとキャベツのトマト煮、じゃがいもとベーコンのカレー粉炒め。

  • 2021/09/12

     洗濯したりテレビ見たりゲームしたり雑誌読んだり。
     してたら、あっというまに日曜日が終わってしまう。週休3日ほしいなあ……。

     先週から始まった仮面ライダーリバイス、やたらといろんな過去ライダーへのオマージュが盛り込まれてるのが気になるものの[1] … Continue reading、普通におもしろいので今週も見た。初見でエェェェ、と思ったスーツもだいぶ見慣れた。

     FGOのサマイベ、ようやく追いついた。ダ・ヴィンチちゃんのセリフがいちいち意味深で、近々彼女との別れが来てしまうのではないかと読めてしかたがない。旅の終わりまで一緒にいてほしいのに。

    『本の雑誌』2021年10月サンマ高飛び号、特集「定年後は本当に本が読めるのか!?」が気になって購入。
     まだ、体力的にも精神力的にも全然読めるけど、いかんせん目が。小さい活字の文庫本がキツくなりかけてて、このまま衰えてったらどうしよう……と若干不安になっていたところだったので。
     いろんな先輩方のお話を読むに、まあそれほど心配することもなさそうでホッとした。電子書籍が心強い味方なのはわかる。Amazon様にbanされないような行動を心がけないと。
     それはそれとして、あまり目に頼らないような趣味の底上げもしとこうかなと思い始めた。ピアノとギターもがんばりたいし、将棋とか数学も。

    References
    1先週のオープニングはクウガっぽかったし、バイスタンプシステムはガイアメモリっぽいし、やたらよくしゃべって実体化して戦う悪魔はイマジンっぽいし。今週は、主人公にごめんなさいしないと戦わせてもらえない相棒悪魔・バイスがモモタロスっぽくて、「お前の羽を数えろ」とかいうセリフはまんまWの決めゼリフ「お前の罪を数えろ」だった。
  • 時局講演会

     というものに生まれて初めて行ってみた。
     つながりといえるほどでもないけどちょっとだけお話ししたことのある議員さんからご案内をいただいて、コアなサポーターの方が多そうだったらちょっとコワいな、と思いつつ、おそるおそる。

     受付で名前を伝えたらその代議士の秘書さんで、「あっ、(ぱれあな)さんですね、(○○代議士から)聞いてます」というような反応をいただいて、わたわた挙動不審になってしまった。さすが政治家の先生とその秘書さんたちは、対人スキルが鬼高い。自分で応用できるかどうかは別としてべんきょうになる……。

     コロナ禍という情勢もあって、ほとんど広報といえるほどの広報はしていなかったとのことだけど、約150名の会場は満席。女性は4割弱くらいだっただろうか(私の席より前の55席中20人くらいが女性に見えた)。
     知り合いばかりで固まっているという様子もなく、しれっとすみっこに紛れ込むことができたのはありがたかった。

     2009年ほどではないにせよ、今度の衆院選が、野党各党にとって極めて重要な選挙になることは間違いない。野党共通政策を打ち出したりして、かなり力が入っていることはわかる。
     二大政党制でもなく、しかも今は小選挙区制で、圧倒的な巨人大鵬卵焼き・親方日の丸的な情勢の中、積極的に与党を支持できない市民であるところのわたしは、何をどうしたらいいのだろう、ということをずっと考えている。
     実際、今日の講演会で聞いた話もすべて支持できるものばかりではなかったし、疑問の残るところもあったのだけど、そういったもののひとつひとつをすべて拒絶していては、誰とも手を組むことができなくなる。
     今日の講演会の一つのキーワードに「価値観」があったと思うが、価値観が異なる人たちをいかに包摂して、というより、いかに手を組んで、皆が幸せになれるような世界、弱い人たちが取り残されないような世界をつくっていけるかが重要なのだとわたしは思う。

     そういった目標を共有できそうなのは誰なのか、しっかり見極めて応援していきたい。
     そのためには、ちょっと気に食わないことがあった人をすぐ敵とみなして袂を分つようなやり方からは、いいかげん卒業しないといけないのだろうなと思う。

     初めて生で見た枝野さんはさすがの声量だったけど、ややお疲れだったろうか。
     むしろ周囲の人たちがどんどん育っていっているのかもしれない、とちょっと思った。

  • さん喬一門会

     12月のさん喬一門会のチケットご用意された! やったね!

  • 過去の自分(ちょっと)スゲーとなった件

     お客様の指示に基づいて応答案を作成していたところ、ある拒絶理由に対応するためにこういうふうに補正してください、とあり、ホホウなるほどそれは賢いですね、と思いつつ読み進めていたら「, as you suggested.」と締めてあった。報告時のコメントを読んだら確かにそう提案していて、過去のわたしが賢かったケースだった。えらいぞわたし。

     

  • 出勤

     通勤電車の混雑ぶりが、コロナ前にだいぶ近づいてきたような気がする。
     混んでる電車は嫌いなので(好きな人はあんまりいないと思うけど)、できればずっと在宅多めで仕事したい。

     職場はあいかわらずあまり人がいない。電話も少ないので集中して仕事ができる。
     しばらくめちゃくちゃ忙しくなりそう。結局、夏休みは取れなかったな。

     昼は鯖の塩麴漬け焼き、ほうれんそうのたまごとじ、青菜ごはんをつくって持たせて/置いてきた。

  • 2021/09/09

     ちょっと前まで、今日は少し暖かくなる予報だったけど、朝には最高気温22度の予報に。
     夕方、雨が上がってから、少し暖かくなったような。

     某庁から嬉しいお知らせが別ルートで2件。善哉善哉。

     今日の東京の新規陽性確認数は1675人。このところ、前週比だいたい4割減くらいのペースで減っている。検査陽性率も今は12.3%にまで下がってきた。ワクチン接種率が上がって、人と人との接触削減が続いていると、こんなにも効果があるのか。

     昨日も「より感染性や毒性が強い新たな変異株が生まれるリスク」について書いたけれど、今日になって、新しい変異株の「ミュー株」に対しては、ワクチン等でできた抗体の効き目が従来株の7分の1程度に低下するというニュースが。[1]南米由来「ミュー株」、ワクチン効果は7分の1以下…従来株に比べ : 医療・健康 : ニュース : 読売新聞オンライン
     こういうことがあるから怖いと思うと共に、本当に進化学のセオリーどおりに進化するのだな、とちょっと感動もする。なんかいまいちな変異があってそんなに増えられずに淘汰されちゃうタチの株であってほしい。
     
     昼は、茹で塩鮭、小松菜とエリンギと卵の中華炒め。
     夜は、サラダチキン風蒸し鶏(電鍋)、蒸しキャベツ(電鍋)、じゃがいもとたまねぎの味噌汁。

     子供のころの一時期、味噌汁にじゃがいもとかたまねぎが入っているのがそんなに好きではなかったように記憶している。大好きな石田彰さんも、確か味噌汁にじゃがいもが入っているのは苦手とおっしゃっていたような。いつか生まれ変わって石田さんにごはんを作ってあげられる機会に恵まれたら、味噌汁にじゃがいもは入れないようにしようと思うが、今は大好物だし、遠慮なくガンガン入れちゃうよ。

  • 予定どおり

     今日午後早いうちに、大きい仕事を一件、まずは。
     ほっとしたのか、眠くなってきた。子供もなんだか眠そうなので、今日はごはん食べたらさっさと寝る。夜はピザ。

     日本の新型コロナウイルスワクチンの2回接種率が、総人口の49.0%に達したとのこと。[1]日本経済新聞 電子版(日経電子版) on Twitter: “コロナワクチン接種完了率、全人口の49% 6199万人 #チャートで見る日本の接種状況 … Continue reading
     これはすごい。それもあって新規感染者数が減ってるのかもしれない。
     ワクチン接種が進んでいるほかの国の様子を見ていると、いったん減ってまた増えているところが多そうなので、安心はできないかもしれないが。

     去年の3月、この新型コロナウイルス感染症についての初めてのブログ記事で、こんなことを書いていた。

    何よりもまず、「個人的/社会的にどの程度のリソースを費やして早期探知/隔離/封じ込めに取り組むべき病原体なのか」がわかりづらかったし、まだよくわからない。[2]日常が非日常になってそれがまた日常になっていく – 科学と生活のイーハトーヴ

     それから1年半。またここに戻ってきたような気がする。というか、これがずっと大きな問題であり続けているのかもしれない。

     「ゼロコロナ」に近い厳しい封じ込め政策をとっている国(中国、ニュージーランドなど)もあれば、ワクチン接種推進を前提に「withコロナ」に舵を切り始めた国(イギリス、フランス、シンガポールなど)もある。どちらを選ぶかについては、国と国との間でも、ひとつの国の中でも、ひとつのコミュニティの中ですら意見が分かれ、ともすれば分断が生まれがちだ。

     より感染性や毒性が強い新たな変異株が生まれるリスクを考えれば、できる限り封じ込めを頑張った方がいいのは明らかだ。そのためには全世界が足並みを揃えないと意味がないが、もはや足並みが揃う見込みは薄そうに見える。この現状で厳しい封じ込め政策を取り続ける国は、多大なリソースを注ぎ込みながら、経済回復の遅れに甘んじなければならないだろう。国よりも小さな集団でも同じことだ。
     遅かれ早かれ、多くの人たちが「withコロナ」に舵を切ることになるのだろう。しかし、それは決して、そうするのがどの角度から見ても妥当な論理的帰結だからではない。非の打ちどころのない理想的な決断ができることなどあり得ないからこそ、妥協と言わば言え、歯を食いしばってわたしたちは生きていくのだ。

     この疾患で健康と命を脅かされる人がまだたくさんいる状況であることから目をそらすべきではない、苦しむ人や命を落とす人の数を極少化する努力と一体でなければ「withコロナ」はあり得ない、とわたしは言い続ける。ワクチンで重症化と感染のチャンスを減らすだけではなく、さらに有効な治療薬を手にすることが人類にとっては必須だが、それでもまだまだウイルスとの軍拡競争は続くかもしれない。
     はい論破で終わりにできないことを考え続け、挑み続けることの中にしか未来はないのだと思う。
     

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