読んだものとか見たものとか

  • 映画『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』みてきた(ネタバレ)

     昨日、『スーパーマン』に続いて最新劇場版鬼滅も見てきたよ。ネタバレあり感想メモです。

    ・無限城の、圧倒的かつ絶望的な広さと能力を伝えてくれる映像がすごかった。これ、もう都市じゃない? と思えるほど。鳴女はどうやってこれを把握して操ってるの。上弦の肆を受け継いだ者、怖。ある程度はその場にいる鬼の意思をオートで反映するようにはなっているのだろうが。

    ・今回避けられないのは、童磨と胡蝶しのぶの決戦。どうなるかわかっていても(わかっているから)見るのがつらくなるだろうと思っていたが、しのぶの覚悟と力の大きさに、甘ったるい同情や切なさは消し飛んだ。しのぶが何を考え、どう行動しているのかを緻密に、大きくクローズアップして描いてくれていたからだと思う。早見沙織さんのギリギリまで抑えた演技と共に、しのぶを、押しも押されもしない「柱」として表現してくれたことが嬉しかった。

    ・童磨は本当に本当に好きになれない鬼だが、その底知れないおそろしさといやらしさを演じた宮野真守さんこそ底知れない。カナヲ・伊之助との決戦も楽しみ。そこに必ず存在する、強く大きいしのぶの遺志と共に。

    ・16巻後半から18巻後半くらいまでという大ボリュームを一つの映画にしているのに、原作に忠実な上に、さらに補われたであろうシーンの効果が大きい。

    ・たとえばしのぶの死を鎹烏から伝えられてもなお、炭治郎と義勇が走り続けるシーンがある。そこで炭治郎が、突然開いた床の穴に落ちかけるのだが、映画では炭治郎が美しい技を繰り出して抜け出す。気を抜くな、と義勇に言われるまでもなく、炭治郎の心が折れていないこと、心を燃やし続けていることが一瞬で伝わる。アニメーションならではだと思った。

    ・珠世さんが必死で押さえ込んでいる、無惨が回復中の「肉の繭」の不気味なパワーの強大さが強調されたのも、身震いするような表現だった。

    ・善逸がどれだけ「壱ノ型」を極めていたかも、獪岳戦で鮮烈に表現されていた。斬撃の軌道の速さと美しさは圧倒的な説得力があった。

    ・そして! そして猗窩座です! リミッターを外したかのような石田彰さんの凄まじい演技と相まって、これを死闘と言わずして何をそう言うのか、という迫力。瞬きするのも惜しいくらい。

    ・戦闘シーンだけでも十分すぎるほど十分なのに、狛治時代まですべて描いてくれるなんて。いやもちろんそれを描かなければこの戦いは終わらないのだが。

    ・今の、少し低く太くなった石田彰さんの声で繊細に演じられる少年狛治が本当によかった。泣く恋雪に、少し片眉を下げて戸惑う狛治の表情が愛おしい。

    ・主にアニメを演じている声優さんが、アニメでおそらく期待されている「その人っぽさ」を消して臨む外国映画の吹き替えが私は好きで、その最たる存在が中村悠一さんなのだが、中村さんが演じた素山慶蔵(猗窩座の師匠)がまさにこれで最高だった。

    ・きわめて細かいことなのだが、頸を切られた猗窩座にさらに向かっていこうとした炭治郎の手から、刀がすっぽ抜けるシーンがある。映画ではここで、「……すっぽ抜けた」と義勇に言わせるのだが、これがものすごく義勇らしくてよかった。

    ・猗窩座の最期、「もういい、やめろ、再生するな」と猗窩座が(猗窩座の中の狛治が)自分に抵抗するシーンでは、猗窩座が歩み去りながら自分の腕の肉をちぎり取る。これも原作にはなかったカットだと思うが、切なさとつらさが見ている私の心もちぎり取るようだった。

    ・もう一回見たいけど、見るための体力と精神力を回復しないといけない。

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  • 映画『スーパーマン』みてきた(ネタバレ)

     参院選の投票を済ませて、『スーパーマン』と『鬼滅の刃 無限城編第一章 猗窩座再来』を見てきた。以下、『スーパーマン』についてのネタバレ感想メモ。

    ・以前予告編を見たときの印象で、スーパーマンがヤムチャみたいになるやつでしょー、とかぼんやり思っていて悪かった。すごくよかった。

    ・こんなスーパーマン絶対モテるに決まっている。この価値観多様化時代に、よくぞ「誰もが大好きになれる憧れのヒーロー」を描き切ったものだと思う。

    ・でも私ミスター・テリフィックがかなり好き。

    ・と思ったけど、ラストシーン(ED前)見たら、え、それしてもらえるなら私もスーパーマンの彼女になりたい、と思い直した。

    ・スーパーマンの “I’m as human as anyone. I love, I get scared.” は名台詞だと思うし、ルーサーの “My envy is a calling. It is the sole hope for humanity.” も名台詞だと思う。1A! 1A!

    ・スーパーマンのテーマを惜しみなく、あちこちでこれでもかと聞かせてくれるの嬉しかった。あれはアガる。

    ・イブ、最初はまたブロンド白人美女をおバカに描くのかよ、まさかな、と思っていたらちゃんとまさかでよかった。イブ好きー。あのド派手な「E」のじゃらじゃらピアス含めて好き。ジミーわかってあげてー。

    ・怪獣と戦うとこ、ゴジラみたいで楽しかった。ジャスティス・ギャング登場でメトロポリスの群衆が大喜びしてて、えっ、これを……? と思ったけど、先を見たら、確かにこれは愛されギャング。

    ・コミックス版詳しくないので、わかるともっとおもしろいんだろうなと思った。

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  • 星新一『祖父・小金井良精の記』を読んだ

     きっかけは、2025年6月11日の毎日新聞記事

    遺骨返還の東大は「最も差別的」 ハワイ先住民が耳を疑った言葉 | 毎日新聞

     著名な解剖学者・人類学者である小金井良精(1859~1944)らがかつて収集したハワイ先住民の遺骨4体の返還について、東大の対応がとても失礼で差別的だった、とハワイ先住民の支援団体代表が述べている。

     人類学の黎明期には、小金井を含めて世界の学者たちがこぞって先住民族の遺骨を盗掘し、交換してきたという歴史的経緯がある。小金井を有名にしたのはアイヌの人骨研究だが、その基になった人骨も盗掘したものだった。

     現代では、遺骨の調査研究の倫理指針が整備されつつあるが、日本の人類学は世界の潮流に逆らっているという指摘がある1。何より、毎日新聞の記事でも指摘されているとおり、遺骨の持ち去りは当時でも非難される行為だった。

     小金井良精とはどういう人だったのか。その孫で大御所SF作家の星新一は、祖父をどう見ていたのか。それが知りたくて、『祖父・小金井良精の記』を手に取った。

     結論として、星新一は、良精の行為について倫理的な批判を一切行っていない。この書籍が出版されたのは1974年のことであり、また、星新一が祖父に非常にかわいがられて育ったことを考えれば、それはそういうものであろうと思う。しかし、子供のころ彼のショートショートを夢中で読んで育った私の勝手な思いとしては、残念だった。

     『祖父・小金井良精の記』は、おおまかなエピソードごとに、良精の日記や、関連する人物の書籍・談話などを引用しつつ書かれているため、年代もあちこちに飛び、どうしても散漫な印象を受ける。あのショートショートの切れ味を期待して読むとがっかりするかもしれない。

     しかし、個々のエピソードについてはさすがのストーリーテリングでおもしろく読めるし、なにより義兄の森林太郎(森鴎外)や師事したベルツを始めとして登場人物が絢爛豪華なので、読み通すのに苦はなかった。

     幕末、長岡藩の武士の子として育ち、戊辰戦争時には流浪して困苦を極めた挙句、明治5年、満13歳で医学を志して第一大学区医学校に入学。からのドイツ留学あたりは、この時代の若者たちの青雲の志が眩しく、胸が躍る。

    学問はそれだけで存在しているのでなく、それを発生させ育てた土壌があるのだと気づく。・・・(中略)・・・ひとつの専門分野を日本に持ち帰ろうとしても、それは切った木の枝にすぎない。死んだ標本である。故国に持ち帰り、移植し、将来にむかって育ちつづけさせるためには、根元のまわりの土を、できるだけたくさんつけておかなければならないのだ。

     生物学的側面からみた学問・研究に関する記述は、星新一自身が東大農学部を卒業し、大学院前期を修了した理系の人なので、専門的になってもかゆいところに手が届くおもしろさがある。

     良精のアイヌ研究については、良精自身が書いた「アイノの人類学的調査の思い出――四八年前の思い出」の要約としているが、良精の日記も参照して構成していると思われる。

     ヘビを嫌うアイヌの老婆を同行者が呼びとめ、ヘビの話をしてからかっているうちに発作が起こった話などが、まったく批判もなく紹介されていて、このあたりは読んでいて極めて不快だった。また、盗掘の詳細についてはまったく触れられていない。日記には書いてあったはずだが。

     書籍全体を通して、良精自身はアイヌに深い親近感と愛情を持っていた人物として描かれており、それはそうなのだろうと思うが、和人と対等に尊重されるべき民族とみている節はなかった。それは台湾やそのほかの国の先住民たちに対しても同じであり、星新一もそのような見方を共有しているように思えた。

     そのほかに印象に残ったことは大きく分けて3つある。

     まず、この時代、とにかく人が死ぬ。病気で、戦争で、あるいは人生を苦にして、どんどん人が死ぬ。良精の人生に後々も関わってくる重要人物なのだろうな、と思った人でも、次のページではもう亡くなっていたりする。
     漫画『ゴールデンカムイ』で、土方歳三が「この時代に老いぼれを見たら『生き残り』と思え」と言っているが、まさにそのとおりだと思った。

     2番目は、良精による昭和天皇に対する御前講演のことだ。
     昭和2年、良精は日本の先住民族について昭和天皇に講義をしており、昭和天皇はそれに対して「日本民族なるものは、どこから来たのか」などと詳しく質問をしている。……えっ、昭和天皇、いろいろ科学的に知ってたんじゃん? どういう気持ちでこの後、現人神として戦争に臨んだんです? と思わざるを得なかった。

     最後、しみじみと心に残ったのは、良精の妻の喜美子のことだ。優れた歌人・随筆家であったことはぼんやり知っていたが、きちんとその作品を読んだことはなかった。それが、『祖父・小金井良精の記』にはたくさん引用されている。優れてこまやかな観察眼と愛情に溢れていながら、てらったところのない歌や随想で、こんなふうに書けたらと心から憧れるものだった。

    1. 持ち去られたアイヌの遺骨が子孫に返還されない 「一刻も早く土に」を阻む背景とは:東京新聞デジタル ↩︎
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  • 『松本清張の女たち』 (酒井順子)読んだ

     Mastodonで吉川浩満さんが紹介されていて、こんなの絶対おもしろいに決まってる! と思って即買いした。

     

     『松本清張の女たち』 酒井順子 | 新潮社

     松本清張といえば、色とりどりの女性主人公が魅力的な作品が数多くあるが、酒井順子は、たとえば主婦向けの「婦人倶楽部」、働く女性向けの「女性自身」、社会派の「婦人公論」など、掲載誌の性質によって女性主人公のキャラクターや生き方が描き分けられていることを看破した。

     そして、膨大な清張作品を縦横無尽に読み込み、「実は清張は、推理小説界において男女の機会均等実現に挑戦した人なのではないか。だからこそその作品は、男女を問わず人気を博したのではないか」という仮説の検証に挑んでいる。おもしろくないわけがない。

     清張作品はそれなりに読んできたつもりだったが、知らない作品もたくさんあった。「あれもこれも今すぐ読みたい!」という気持ちにさせられるブックガイドとしても秀逸だと思う。

     あまり関係ないのだが、酒井さんは「……のであり、」という接続が好きなのだなあということに初めて気づいた(93箇所あった)。カイジシリーズの「とどのつまり」のようなものかもしれない。

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  • 雨の日の神社

     あたりが真っ白になるほどの大雨が降ったり止んだり、止んだり降ったりの中、ふだん歩かない仲町のあたりに所用で出かけたら、古い神社を見つけた。

    轡神社|見る|ぶらり、いたばし 板橋区観光協会

    江戸時代からあるという、ずいぶんと由緒のある神社だった。ヤマトタケルは百日咳にご利益がある神だったのか。知らなかった。
    折しも日本では百日咳が猛威を振るっている。

    「百日咳」今年の累計感染者数3万人超え 過去最多…2024年の約8倍 乳児かかった場合は重症化し死亡するおそれ|FNNプライムオンライン

    流行が収まりますように。

  • 「月夜の夏目」と「星めぐりの歌」

     アニメ『夏目友人帳 漆』第8話は、「月夜の夏目」だった。主人公の夏目貴志と友人の西村悟の友情の機微を描く、原作でも大好きなエピソードだ。

     とあるきっかけから、夜ごと西村を訪れるようになる「夏目」が鼻唄を歌うシーンがある。原作では何の歌か明らかにされていないのだが、アニメでは、宮沢賢治の「星めぐりの歌」が当てられていた。BGMでも「星めぐりの歌」のバリエーションが終始優しく寄り添っていて、それがとても美しかった。

    あかいめだまのさそり
    ひろげた鷲のつばさ
    あをいめだまの小いぬ
    ひかりのへびのとぐろ
    オリオンは高くうたひ
    つゆとしもとをおとす

    アンドロメダのくもは
    さかなのくちのかたち
    大ぐまのあしをきたに
    五つのばしたところ
    小熊のひたひのうへは
    そらのめぐりのめあて

    「星めぐりの歌」(『宮沢賢治全集 3』 ちくま文庫)

     この歌は本来、「ひろげた (お)鷲のつばさ」「ひかりの (お)へびのとぐろ」「さかなの (お)くちのかたち」のように、はっきりと「お」を入れて賢治さんは歌っていたのだと、昔、長岡輝子さんの朗読会で教わったことがある。長岡輝子さんは、賢治と同時代に同じ盛岡に暮らしていたことがあり、賢治作品の朗読を続けていた俳優である。
     そして、今回のアニメエピソードでも、「夏目」役の神谷浩史さんは、しっかり「お」を入れて歌っていらしたのだ。

     さりげない演出だが、それだけでも、夏目の姿を借りて、かりそめ西村の前に現れた妖に、かつてこの歌を「よく唄ってくれてた」「頭をなでてくれた」その人の姿が生き生きと浮かび上がってくる。妖がその人と会えなくなってから過ぎた年月と共に。

     ところで、『夏目友人帳』の別のエピソードで、はっきり「星めぐりの歌」が出てくるものがあったと記憶しているのだが、すぐに思い出せない。読み返して思い出したら追記しようと思う。

  • 中国旅行記(杭州・上海)

     中国の杭州で開催されたAIPPI年次総会に行ってきました。

     会議やミーティングの内容については、業務上知り得たことなのでここには書きません。貴重な経験をたくさんさせていただいたので、パワーアップしたわたしと我が勤務先にお仕事いただければ、経験を生かしたお仕事ができると思います。

     ここでは、初めての中国訪問の感想など。

    準備編
     金盾対策で、VPN対応のWiFiを日本で借りて持っていきました。現地空港で飛んでるWiFIを見る限り、周りの旅行客は、グローバルWiFiか「イモトのWiFi」(エクスコムグローバル)がほとんど。わたしは後者を借り、SNSもGoogleも、何の問題もなく使えました。自分のiPhoneとPCを朝から夜までつなぎっぱなしにしていても、WiFiの充電は半分以上残っていた感じで、モバイルバッテリーは使いませんでした。

     中国ではほぼ現金が使えず、オンライン決済(モバイル決済)の手段が必須とのことだったので、AlipayとWeChat Payのアプリを入れ、それぞれ違うクレジットカードを登録しておきました。

     今のところ、中国への渡航にはビザが必要です。ビザの申請についてはこちら→中国ビザ申請してみた – Going Pollyanna

    初日~移動編~
     羽田から上海虹橋空港、地下鉄で高鉄駅(上海虹橋駅)、からの高速鉄道(高鉄)で杭州に行きました。

     
     地下鉄の切符を買うとき、さっそく噂のモバイル決済にトライ。タッチパネルの路線図で目的の駅を選び(漢字文化圏ありがたい)、切符の枚数を入力して、アプリで決済するだけ。ポトン、ポトン、と切符が落ちてきたときは、同行者と思わず歓声を上げてしまいました。

     高速鉄道はまるで新幹線で、とても快適でした。スナックと飲み物のサービスがあってびっくり。

    初日~ホテル・会場到着編

     杭州、未来都市なんじゃが~?!

     走ってる車はぜんぶ電気自動車だし、未来感がすごい。
     2016年のG20杭州サミット開催を機に、急速に発展した地域とのことです。

     ホテルのスタッフは簡単な英語であれば対応してもらえましたが、少し難しくなると、音声入力の翻訳(通訳)アプリを活用されていました。AlipayやWeChatのアプリにも翻訳機能がついていて、使ってみようとわたしも試みたものの、音声翻訳は最後までうまくいかず。次に訪中するときまでになんとかしようと思います。

    杭州滞在編
     とにかく会場が広かった……。

     部屋から部屋へ移動するだけですごい運動量。一日平均1万4千歩くらい歩いていました(自分のApple Watch調べ)。

     西湖の夜のショーも見せていただきました。G20開催の際、VIPの皆さんに披露されたのと同じショーだそうです。

     土地とマンパワーの圧倒的な豊かさが伝わってきました。マンパワー豊かすぎて、4羽の白鳥も5×4羽の白鳥に。
     おもてなしとは、国威発揚とはこういうことか、と唸りました。

    上海お散歩編
     再び上海に戻った最終日前夜、少し時間があったので、歴史的な建物が立ち並ぶ延安中路あたりをお散歩しました。

     上海展覧中心

     静安寺

     上海蟹(よっぱらい蟹)

     ホテル

     ホテルの近くはフランス租界っぽさも残りつつ、少し歩くだけで、繁華街も楽しむことができました。もっとゆっくり来たい!

     

     

  • 頼まれてもいないのにがんばること

    ここ数週間のNHK朝ドラ『虎に翼』は、主人公・寅子にとって試練続きだった。

    恩師である穂高先生との正面衝突と和解、恩師の死を乗り越え、仕事に邁進するも、後輩の女性修習生たちからは煙たがられ、離婚調停を担当した不倫妻からはカミソリを向けられる。そして、新潟への異動話をきっかけに、家族とも正面衝突を迫られる事態に。

    寅子に向けられた厳しい言葉は数々あるが、聞いていてわたしが一番つらかったのは、猪爪・佐田家を共に支える義姉にして親友である花江ちゃんの「そこまでがんばってなんて頼んでない」だった。
    寅子は女性法曹のパイオニアだが、誰も彼女にそうなれとは頼んでいないのである。誰にも頼まれないことをがんばり続けることの苦しさと意義に、ここまで正面から向き合ったドラマがあっただろうか。

    少し振り返ってみる。
    寅子が法曹を志したとき、母親のはるさんは、地獄を見る覚悟はあるかと問いただしていた。はるさんが言っていた「地獄」がどのようなものか、歩み始めたばかりの少女だった寅子に十分想像できていたはずもない。
    寅子の家庭は裕福で、偏見もないから、学び続けること自体は「地獄」というほどではなかったはずだ。しかし、同窓の女性たちのさまざまな立場に触れるにつれ、寅子は少しずつ、自ら背負ったものの重さと意義に気づいていった。
    だからこそ、妊娠を機に、敬愛する穂高先生の言葉に心を折られて歩みを止め、涕泣するしかなかったときの寅子の悔しさと不甲斐なさはどれほどのものだっただろうと思う。よねさんに責められるまでもなく、寅子自身が自分をいちばん責めていたはずだ。

    敗戦、そして夫と父の死を経て、寅子は再び法曹の道に戻り、男性家長のいない家を懸命に支えている。何も法曹でなくてもよかったという意味では誰も「頼んでない」が、身につけた専門性を生かす意味でも、寅子が自分を取り戻すという意味でも、そして家族の中で誰がそれをできるかという意味でも、「これ以外ない」選択だっただろう。
    実際に寅子はきちんと職責を果たし(その果たしている描写をもっと厚くしてほしかったと職業人としては思うが)、家裁メンバーに愛され、寅子に対して厳しかった桂場に「腹立たしいが君は有能だ!そして俺達に…好かれてしまっている!」と言わせるようにすらなった。
    しかしその一方で、娘の優未ちゃんをはじめとした家族や、後進の女性たちにも「スンっ」を強いてしまうようにもなってしまった。その相克が爆発したのがこの数週間の『虎に翼』だった。

    これほどつらいジレンマがあろうか。
    ある。
    寅子とは時代も立場も違っても、このつらさは今、自分が自分を保ちながら、家族と社会の最善を望んで生き、働き続ける道を模索するすべての人たちがもっているものだと思う。

    わたしたちが生きる世界を変えてきたのはいつも、「頼まれてもいないのにがんばってきた」人たちだ。その孤独を理解し、そこに光を見いだすことができるのは、同じように望まれない道に踏み出し、傷つけ、傷つきながら歩みを止めないわたしたちだ。
    それがわたしたちであると言えるように、そして傷つける人をもっとなくせる生き方を生み出せるように、わたしは生きていきたいと思った。

  • 映画『関心領域』の “音”(ネタバレあり)

    音の情報量の多さが印象的だった。

    何の映像もない長いオープニングに流れる音楽。メインの弦がサイレンのような音をこれでもかと繰り返すのだが、ドップラー効果のようにだんだん低くなりながら、音の大きさは変わらない。遠ざかっているのは何で、遠ざけているのは誰なのか。不協和音のように聞こえるが、しっかりとした美しい和音が際立つ。
    対照的に、エンディングに流れる音楽では、無数の叫び声が次第に力を増していく。それこそ耳を塞ぎたくなるほどに。

    本編では、常にいろいろな音が後ろに聞こえてくる。汽車が走る音(お察しのとおり、囚人を運んでくる汽車であることが後で示される)、乾いた銃声、ドイツ人ともユダヤ人ともわからない叫び声、あからさまに囚人を虐げる怒声、それに対して囚人が上げる声、そしてヘス一家の末娘である赤ん坊の泣き声。
    ここを「最高の環境」と言うヘス夫妻にはこれらの音が一切聞こえないのか、と見ている我々は思わざるを得ない。実際、引っ越してきた彼らの老母は耐えかねたのか、すぐにその家を去った。

    我々は、と書いたが、視聴者の中にも聞き流した人は大勢いるだろうと思う。
    ろう者向けにはどういう字幕になるのだろう。

  • 映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(ネタバレあり)

    ようやく見てきた。

    子供のころから妖怪も鬼太郎も大好きで、小学館の妖怪シリーズ(鬼太郎大百科とか妖怪大図解とかのアレ)を読み込み、アニメ鬼太郎(3期)も夢中で見て、夏休みのプールには下駄履きで通い、長じてからは水木しげる漫画大全集ももちろん買ったくらいのファンにもかかわらず、ずいぶん遅くなってしまった。

    鬼太郎・目玉のおやじ・猫娘・ねずみ男たちがアニメ6期と同じキャラクターというだけでなく、人間批判を強めた物語の精神がアニメ6期としっかりつながっている。しかしここまでつらい話になっているとは思わなかった。
    わたしより先にお友達と見ていた子供に「こんなにつらいなんて、先に言ってよ~」と訴えたら、「そうでしょうそうでしょう、つらかったねえ」と慰められたのだが、同じ思いを母にも味合わせて、じゃなくて共有できたという、してやったりのニヤニヤ顔がなんとも。

    以下ネタバレ。

    個人的にいちばん熱かったのは、霊毛ちゃんちゃんこ爆誕のシーン。
    あのちゃんちゃんこがご先祖様の霊毛でできているというのはみんな知っていることだが、いつ、誰が、どのようにして作ったのか、という詳細は今まで明かされていなかったと思う。
    それが本作で明かされた。そしてこれが「ゲゲゲの謎」につながるのだ。

    幽霊族たちは、人間の欲に虐げられ、搾取され続けて、もはやまともに生き残っているのは鬼太郎の父(ゲゲ郎)のみ。かろうじて生き残っている鬼太郎の母を助けようと、ゲゲ郎は怨念渦巻く敵の本丸に、相棒・水木と共に乗り込む。絶体絶命のピンチのそのとき、母の胎内で鬼太郎が泣き声を上げるのだ。
    その声に呼応して、もはや屍と成り果てていた無数の幽霊族たちが思いを込めた霊毛を放ち、編み上げられたちゃんちゃんこがゲゲ郎を守る。鬼太郎に受け継がれたちゃんちゃんこはこうして生まれたのだ!

    なぜ鬼太郎一族に幽霊族たちの思いが託され、彼らがヒーローになったのか。まさしくゲゲゲの謎そのものではないか。

    それにしても、横溝正史や江戸川乱歩はもちろん、最近であれば『マイホームヒーロー』など、隔絶されたいわゆる「因習村」を舞台にした作品は数多くあるが、本作ほど救いのないものも珍しい。
    時弥くんは最後に少し浮かばれたようだったが、沙代ちゃんは……。あれだけの人を殺した報いといえばそれまでだが、あまりにもつらい最期だった。

    以下小ネタ感想。

    ・本作の水木には腕がある。腕がある水木サン自体は、水木しげるの心象風景として、たとえばコミック『昭和史』などにもときどき登場するから、本作の水木もまた、水木しげるの心象風景という設定なのだろう。しばしば登場する戦争中のエピソードは、水木しげるが繰り返し語ったものとほぼ同じだ。

    ・水木が、子守のばあさんに妖怪の話をよく聞いていたと語るシーンもあった。のんのんばあという名前こそ出なくても、観客の多くが彼女の顔を思い浮かべただろう。
     ゲゲ郎と水木が墓場で酒を酌み交わしているとき、ふわふわと青い炎の妖怪が彼らのもとに降りてきた。あっ、つるべ火、と思ったとき、水木も「つるべ火……」とつぶやいた。水木はちゃんと「知っている」のである。ここでも少し胸が熱くなった。

    ・水木とゲゲ郎が出会った当初、水木がゲゲ郎との約束を破ったシーンがあった。人間にだまされたことを知ったゲゲ郎の怒り方が鬼太郎のそれとそっくりで、これは「幽霊電車」か「地獄流し」の刑まったなしなのでは、とヒヤヒヤしながら見ていたが、結局ゲゲ郎は、自分の身代わりに水木を座敷牢に押し込むくらいで済ませてやっていた。やさしい。

    ・鬼太郎といえば体内電気である。体内で電気を発生させ、それを敵に流して倒すのだ。
     ゲゲ郎が最初に狂骨に飲み込まれたときはなすすべもなく力を奪われてしまい、あれっゲゲ郎は体内電気使えないのかな、と思ったのだが、次に飲み込まれたとき、ゲゲ郎は自らの胸に手を当てて電気を発生させて逃れた。
     鬼太郎の解剖図によれば、鬼太郎の体内にある「発電袋」という器官が体内電気の源なので、父であるゲゲ郎の体内にも同じものがあったのだろう。ゲゲ郎はそれを自分で覚醒させたのだろうか。

    ・エンディングテーマは、『カランコロンの歌』がモチーフだった。大好きな歌だ。ご存じない方はググってみてください。

    ・声優さんたち最高でした。関俊彦さんが、少し声を高めに演じていらしたのも、いずれ目玉になる感じがしてよかった。そしてとにかくかっこよかった。さらに、鬼太郎と鬼太郎の母の両方を演じた沢城みゆきさんが素敵でした。