220611

午前中はうだうだして、午後からべんきょう。
今週は雨が多くて寒かった。今日はそうでもないかな。

鴨志田ひよさんが、自分のエピソードをお母さん(西原理恵子さん)の漫画に描かれていたことや、さまざまなつらい仕打ちを受けていたことに対する思いを吐露したツイートやブログが、ひょんなことから発掘されて、先月末あたりからネットで騒ぎになっていた。
心を痛めていた読者に対して、ひよさんはこんなツイートをしていた。


ご自身がこの渦中で大変な思いをされているだろうに、この繊細で優しいひとが、なんとか救われてほしいと思う。

これを機に、水曜日、懸案だったわたしの育児記録の公開停止を実行。

RSSフィードなどのキャッシュにはまだ残っているだろうが、検索性も拡散性もほとんどゼロになったはずだ。
育児記録についてこれまで子供に何か言われたことはない。でも、ずっとわたし自身の心に引っかかっていたことだったので、すっきりした。

昔は、いわゆる私小説はもちろん、作家の家族が登場するエッセイなども無邪気に楽しく読んでいたが、ここ数年は「書かれる側」のことが気になりだしていた。書き手も読み手も、他人の人生を、それもおそらく都合よく再構築されたものを、自分のために消費する。そのうしろめたさが年々大きくなっている。
加えて、SNSなどでは、どんなにささやかな親バカ投稿であったとしても、思いもかけない誰かの反感を買うおそれがある。

わたしの書いたものなどそれほど多くの人の目に触れるわけではないし、匿名だし、子供の名誉を傷つけるようなことはもちろん書いたことはない。最近はほとんど公には書かないようにもしていた。
しかし、将来の子供が、自分自身をどういう人間として世の中に示したい(あるいは、どういう人間としては示したくない)と思うようになるのかを予想することはできない。そして、どんな記録についてどういう気持ちを抱くようになるかもまったくわからない。そうであれば、「わたしの目から見た子供像」の記録は可能な限りすべてネットから消しておくのが、子供の自由な未来に対しても、自分のうしろめたさに対しても、まだしも誠実な向き合い方だろうと思った。誠実などというには、これでも遅かったかもしれないくらいだ。