在宅仕事。
夜中に降り出した雨が朝起きても降り続いていて、昼に止んだかと思えば、夜にまた雷を伴った強い雨。
梅雨と真夏が混ざり合ったような1日だった。
在宅昼ご飯(兼、外出組の弁当)は、鶏ひき肉と豆腐のハンバーグ、いんげんとしいたけの塩胡椒バター炒め。
夕ご飯は、鱈と白菜と油揚げのちり蒸しと、枝豆のクレイジーソルト炒め。
夕食後、立花隆さん追悼番組、NHKスペシャル「立花隆のシベリア鎮魂歌~抑留画家・香月泰男~」を見た。
立花さんが追い続けた画家・香月泰男さんの足跡を冬のシベリアにたどるドキュメンタリー。わたしが大学で出会う1年前の立花さんだ。
「埋葬」を描いた後「涅槃」まで、実に12年にわたって筆が止まった(筆を止めざるを得なかった)香月さんの心境に思いを馳せ、言葉を詰まらせる姿に、人間・立花さんとしての優しさと、表現者・立花隆としての苦悩の一端を見た気がした。
立花さんご自身を振り返って、若書きのよさと若書きの欠点、みたいな話をされていたが、スケールは段違いに小さいものの、わたし自身がそれを痛切に感じている。
学生だったころのわたしにあったとんでもない勢いと、それと裏腹に見えていたものの狭さとを。
「死んだ者たちが帰ってこない以上、生きている者は何をしたらいい、という有名な詩の一節なんですけども、それを思い出したわけです」(立花さん。ナホトカの渚で)
「個人にとっても国家にとっても、記憶は人格の一部です。戦争体験の記憶を失った時、日本という国家の性格も変わってしまうのではないでしょうか」(立花さん。エンディングのナレーション)
そして、故・翁長沖縄県知事の訴えに対して「私は戦後生まれなものですから、歴史を持ち出されたら困りますよ」と官房長官時代に言い放った菅義偉氏[1]“無敵”の菅官房長官は、なぜ沖縄の選挙だけ読みを外すのか(石戸 諭) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)が今、日本の総理大臣になっている。