出勤。通勤電車は空いていた。
職場は出勤している人も多く、活気があって嬉しい。
去年の終わりごろからすごい勢いでOAが来てるけど、新年初日からまた送付されてきた。
御庁もっとゆっくり仕事してくださってもいいんですぜ。
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出勤。通勤電車は空いていた。
職場は出勤している人も多く、活気があって嬉しい。
去年の終わりごろからすごい勢いでOAが来てるけど、新年初日からまた送付されてきた。
御庁もっとゆっくり仕事してくださってもいいんですぜ。
ちなみに先週は35人。
沖縄以外はまだオミクロンではなくデルタが多いはず。それでこの増え方だと、オミクロンがもうちょっと増えたら一気に感染拡大してしまうのでは。
発熱相談センターの相談件数が、暮れの29日から跳ね上がってるとこ見ると(28日までは多くて800人程度。29日からは1300人超え)、それなりに症状も伴ってしまっている様子で心配。
鍋いっぱいのがめ煮は今日一日できれいになくなった。紅白なます、とてもおいしくできてる。でっかいホーロー保存容器いっぱいに作って大正解。
夜はしゃぶしゃぶしながらウィーンフィルニューイヤーコンサート。去年は無観客だったけど、今年は千人に絞って有観客(とはいえ一階席はほぼ満席にみえた)。
バレンボイムの実直なタクトが今年らしい気分だったかも。新年のあいさつにあった、単なる医学的危機ではないという言葉が印象的だった。
職能別協会用舞踏会曲は、技術系向けのがおもしろいよねー、ところでウィーン落語協会用ポルカシュネルはないのかね、みたいなバカ話をしながら。
三連休の終わりの始まり。気持ちの上では実質的な休みは今日まで。
食べるもの(というか食べさせるもの)はいっぱい用意してあるので、ぐだぐだジョジョ読みながら過ごしている。
子供が、年末年始にたくさん食べ物が用意されている雰囲気は、インガルス家のクリスマスみたいで大好きだと言ってくれて嬉しかった。
フライパンで焼き目をつけた肩ロースブロック(スーパーでもうたこ糸巻いてくれてるもの)を電鍋に入れて、砂糖、醤油、みりん、酒、生姜、にんにく、ねぎの青いとこ、セロリを適当に入れてスイッチぽん。できるかな、できるかな。
できた。もう今タチドコロニ食べたい。
今年はなんと言ってもこのブログを作ったのが大きかった。
今ではかなり多くの方に読んでいただけるようになったので、そろそろ少しずつ、気が向いたら自分から広報していくようにしてもいいかもしれない。
ネットのおしゃべり空間をこの一年眺めていて、思った以上に皆、モチベーションを求めているのだな、とハッとすることが多かった。
日々、何を話題にするか。
何を読むか、何を見るか。
感じたことや思ったことをどういう言葉で表現するか。
どう生きるか。
すべてについてまったくオリジナルな発想に基づいて行動できる人などいるはずもない。しかし、オリジナル成分多めのアウトプットができる人と、そうでない人との違いは厳然としてある。そして、数少ない前者に頼る後者の数がどんどん膨れ上がりつつあり、それで成り立っているのが、今のネットのおしゃべり空間なのじゃないかという気がしている。
わたし自身はその前者でありたいと思っているし、広くはないにせよ一定の空間において、そうあることができているとの自負もある。
あからさまにアイデアや表現をもっていかれたな、クレジットもなしに、と思ったことも二度や三度の話ではなくて、それをくやしいと感じたり、消費されてすり減らされたように感じてしまう自分の心と、どう向き合うべきかを考え続けた一年でもあった。
結果、今でも完全に悟ることができたわけではないけど、中間的な結論としては、わたしに表現やモチベーションを頼る人たちをどうにかしようとするより、わたし自身が書きたいと思うこと、読みたい、見たいと思うこと、表現したいこと、こう生きたいと思うあり方を、変わらず発信し続ける方がいいだろう、と考えるに至った。
他人をどうにかしようとあがいても何も残らないが、自分が書いたものは残り続ける。それを見て判断してくれる人は必ずいるはずだ。
重い野菜は午前のうちに近所のスーパーで買っといて、午後はデパートで各種肉類などお高めのタンパク質をゲットした。
黒豆は昨日実家からもらってきたので、今年はもう煮ない。ついでにかまぼこももらったので助かった。
数の子は今日から塩を抜き始めた。明日、土佐醤油に漬け込んで明後日から食べる予定。お雑煮用のほうれんそうはゆがいて切って冷凍済み。
明日はなますとかごまめとかでっかい肉とかがめ煮とか、食べたいおせちを気が向くだけ作るのだ。
今日の昼は焼きそばで、夜は昼のうちに仕込んでおいたおでん、と菜飯(小松菜ゆがいて細かく切ったものに塩とすりごまを和え、炊き立てごはんとざっくり混ぜる)。
明日はカニが届く予定なので、昼のうちにお蕎麦食べて、夜はカニに集中するさくせん。
元日はお雑煮とかおせちとかしゃぶしゃぶとか。
2日はおせちに加えてオードブルを追加投入。夜は鍋もできるはず(空も飛べるはずみたいに)。
3日はもう通常モードに戻り始める予定だけど、鍋とかで楽はさせてもらう。小腹が空いたときなど用に、肉まんあんまんも買ってあるし、ちょっと気になってたスイーツもお取り寄せ済み。完璧な布陣では。
いよいよ感染者数増加の傾向が鮮明になってきてしまった。
もうずっと書いてきていることではあるけど、全世界一丸となってゼロコロナを目指さない限り、ヒト集団か動物集団かその両方かで新しい危険な変異株が増えるリスクを常にはらみ続けることになる。
ウイルスの性質かワクチンの効果かその両方かのために、見かけの重症化率が少しくらい低かったとしても、全体の感染者数が増えれば、重症に苦しんだり命を落としたりする人の数は変わらないか多くなってしまう。たまたま生き延びることができた人が大したことはなかったと判断するのは、傲慢だし倫理的にも誤りだ。
世界はどういう結論に向かうのだろうか、という広めの視点から見た感慨もさることながら、コロナ禍で日本に閉じこもっている人たちもいるみたいだけど、うちは海外脱出して子供に国際経験を積ませられてる、とマウント取ってた人の居住国が過去最悪の感染拡大と規制強化に向かっているのを見ると、禍福は糾える縄の如しの感を禁じ得ない。
自分のため、自分の家族のために選んだ環境や選ばざるを得なかった環境がどんなものであろうとも、それを誇るために(または納得するために)他の環境や他人の能力を貶めるようなことだけは絶対にしたくない。たとえ今の環境に甘んじたくないと思ったとしても、そう思った自分自身の問題と、環境そのものの問題とを十分に切り分けて語ることができないのであれば、むしろ口をつぐむ勇気を持ちたい。また、そのように口をつぐんでいるであろう多くの人たちへの想像力を持っていたい。