Fediverse

 Tumblrが分散型SNS標準プロトコルのActivityPubの採用を発表して、おおっとなっている。

Tumblr、マストドンと接続へ。分散型SNS標準プロトコルを採用し、Twitterからの脱出受け入れ強化(CloseBox) | テクノエッジ TechnoEdge

 ついこないだこんなことを書いたばかりだけど

理想を言えば、ネットで何かを発信しつつ誰かとつながっていたい人が、プラットフォームの盛衰に左右されずに、そのアイデンティティに紐付いた発言ログとつながりの蓄積を保てるとよい。ひとりひとりが個別のインスタンスを維持管理しつつ、他人のインスタンスをフォローし、フォローされ続けることができる感じで。
 マストドンは自鯖管理の手間がかかりすぎるので、もう少し、たとえばせめてWordPressと同じくらいの気軽さでおひとりさまインスタンスを持てるといい。

もう二度と友達を見失いたくないわたしたちのためのfediverse

 意外とその未来も遠くはないんじゃないか。

 Twitterのような中央集権型SNSのいいところ(のひとつ)は、自分は黙って口を開けて待っていれば、情報も怒りも喜びも小ネタもすべて流れ込んできて、何か言いたければ流れ込んできたものをそのまま複製するか、ちょっとそれをいじれば済むことだ。それを好む人が多いだろうとは想像できる。
 自分の中にあるまだ形になっていない思いを、程度はどうあれ、何かしら他人に伝わるような形にするにはちょっとしたハードルがある。そのハードルを最初に越えて発信した人のところに、特にハードルは越えたくなかった/越える力がなかったけど、乗っかるものさえあれば何か言いたかった人たちが集まるのは当然で、その結果、物言う力のなかった人たちの思いが可視化されて大きな社会的ムーブメントすら巻き起こる。
 その意味で、Twitterはこれまですさまじく大きな社会的な役割を果たしてきた。これからも、一定の役割は果たすだろう。

 ただ、いつも乗っかられる側になる人たちはどうだろうか。

 「そうそう、それが言いたかった。よく言ってくれた、ありがとう」と言ってくれる人がいるのは嬉しいが、そういう人たちは、もてはやした相手が少しでも自分の理想と外れたことを言い出すと見放すし、なんなら憎み始めたりする。
 嫉妬している相手の発信をちらちらウォッチして、それを自分が考えたことみたいに披露したりする人や、その相手を否定することを自分の行動の原動力にしたりする人もいる。
 相手が何か言ってくれて初めて自分が言いたかったことを思い出して、それを相手に対して切々とリプライで送りつけてくる人もいる。
乗っかる人は、相手のモチベーションや努力を盗んで心地よさを得られる反面、乗っかられ続ける側は、わりと精神を削られる。
 それに耐えられるキャパシティ(モチベーションや体力や承認欲求)を持っている人たちだけが、インフルエンサーとして残り得るのだろう。
 よかれあしかれ、超弩級の(尖った/自信満々の/自信がなさすぎる/馬耳東風を貫ける)インフルエンサーはこれからもTwitterに残ると思うが、そこまではいかないけどそれなりの影響力を持っていた多くの発信者は、もうわりといいかげん疲れてきている頃合いではないか。

 そういった発信者にとって、少しつながりや注目の密度を下げつつ、言いたいことを言える場所はとても安心できるんじゃないかと思うし、そういう場所が分散型SNSになっていくとしたら、これからのTwitterのプレゼンスも変わっていくかもしれない。