が東京都に出ることになった。
しかし、オリンピック東京大会は開催。首都圏では無観客とするとのことだが、一般観客以外の世界各国の要人やいわゆる「五輪ファミリー」についてはわからない。
昨日の菅首相の会見を見ていたが、
「先手先手で予防的措置を講ずることとし、東京都に緊急事態宣言を今一度(ひとたび)、発出する判断をいたしました」
「東京から全国に飛び火をすることがないように、大変心苦しい判断でありましたけれども、今回、緊急事態宣言を発出させていただきました」
「安心・安全な大会を成功させ、未来を生きる子供たちに夢と希望を与える、歴史に残る大会を実現したいと思います」
「新型コロナの中での安心・安全な大会の実現、正に人類が困難に直面する中にあって、今だからこそ世界が一つになれる、力を合わせてこの難局を乗り越えている、こうしたことをやはり世界に発信するいい機会だというふうに思います」
などなど、聞けば聞くほど、それではなぜ敢えて今、東京でオリンピックを開催するのか、という疑問が湧き上がるばかりだった。
予防的措置を講ずるならば、何よりもまずオリンピックを中止・延期すべきだ。東京から全国に飛び火をすることがないようにと言いながら、世界から東京に人を集め、また首都圏以外の会場では観客を入れて開催するというのは、どう考えても理屈がとおらない。
未来を生きる子供たちに夢と希望を与えるというが、子供たちは度重なる緊急事態宣言で、部活や文化祭、運動会、修学旅行など、これまでにさまざまな一生に一度の機会を奪われている。日常的にも、給食の黙食やふれあいの制限など、さまざまな我慢を強いられている。これだけの悲しみと苦痛を子供たちに強いてきておいて、ふたたびオリンピックで感染拡大の機会を増やそうという。あまりといえばあまりではないか。
わざわざ困難と危険が伴う状況下でオリンピックを開催するという「難局」を作り出しておいて、それを乗り越えるという勝手な目標を立てられても困る。避けられる難局は避けるべきだ。
その上、西村担当相は、休業要請に従わない飲食店の情報を金融機関に提供するという非道な方針を打ち出し、当然のことながら大批判を浴びた。
当初は菅首相も、優先的地位の濫用にあたるのではとの質問に「西村再生相はそうした趣旨の発言は絶対しないと思っている」などと答え、西村大臣も撤回はしない姿勢を見せていたが、結局は撤回に追い込まれた。
恫喝と嘘とごまかしで強権的な政治をやってきた政権ならではの、あきれた混乱ぶりだ。本当にここは民主主義国家だろうか。
ワクチンについても、モデルナ製ワクチンが2021年上半期に4000万回分供給されると公表されていたところ、6月末までの供給は1370万回分に減ることを、河野大臣はゴールデンウィーク前には知っていたにもかかわらず、そのことを明言せず、モデルナ製ワクチンを使った職域接種や大規模接種を煽っていたことがわかった。
当然、職域接種も自治体も大混乱に陥っている。
選挙対策だかなんだか知らないが、人の命を守る手段を扱う政府が、これほど不誠実で非道徳的な対応を取ることは許しがたい。
これまでもひどかったが、わたしたちは今、空前絶後のとんでもない悪政に巻き込まれている。