読んだものとか見たものとか

  • 読んでる途中

    『妾と愛人のフェミニズム 近・現代の一夫一婦の裏面史』

    Twitterで流れてきて気になって読み始めた[1]ふじさわ📚編集者さんはTwitterを使っています: … Continue reading

    “筆者がフェミニズムに接近した理由の一つに、「男性の視線のなかで女性が女性を価値づけること」の暴力性を感じる経験があったことを挙げる。それは、男性から差別(暴力)を受ける女性という男/女の非対称の関係性、<男から女>という直線的な暴力性ではなく、その差別や暴力にほかの女性が加担しているということ、男性の視線を内面化した女性が別の女性を価値づけることの暴力性というものである”

    と冒頭ではっきりと述べられている「研究の動機」が、わたしにとって、ああ、そう、それ! と思えるものだったこともあって、おもしろく読んでいる。

    まだぜんぜん最初の方だけど、今に至る、そしてあまねく浸透しているこの暴力的な差別の根底にあるのは、結局のところ、誰の子を誰の子より優遇するか、そのことをどう正当化するか、という思想なんじゃないか。男尊女卑は、その思想を支持するのに便利な理論かもしれないが、そこに「共犯者」としての女性がいなければ成り立たなかったはずだ、みたいなことを考えつつ。

    References
    1ふじさわ📚編集者さんはTwitterを使っています: 「美容院で「それ何読んでるんですか?」と聞かれて。「『妾と愛人のフェミニズム』。これによると、明治の成り上がりの男は、貧しかった昔のことを知ってる妻がそばにいると自分が弱くなった気がして、昔を知らない妾にハマるんです」と言ったら「ヤバい。鳥肌」と言って書影を撮ってた。通っちゃう… https://t.co/ubwlw9eJiN」 / Twitter https://twitter.com/FUJISAWA0417/status/1652277000999153664
  • WBC

    野球は残念ながら、キックベース以外のプレイ経験はなくて、子供のころ、熱烈なカープファンだった父親がテレビ中継を見てる横で、(ふーん)(ほかに見たい番組あるんだけど)(まあ見てておもしろくないこともないけども)(っんだよ、また延長でこの後の番組みれないの)みたいに思いつつ眺めてたり、かつての後楽園球場に連れてかれて紙吹雪を撒かされてた程度。
    夏休みはアニメ『タッチ』の再放送も見てたかな。

    その後はじめて死ぬほど好きになってずっと好きだった人が強火のスワローズファンだったのは知ってたけど、そこまで熱心にプロ野球見続けるほどではなく。高校野球とか、たまに話題になる試合をチラ見してたくらい。

    だが、さすがに今回のWBCは最初から最後までがっつり見てしまった。

    「ぼくのかんがえたさいきょうのチームジャパン」でしょこれはちょっと見たいぞ→当たるチーム全部すごいしすごい紳士だしその人たちがみんなここまで真剣に楽しそうにプレーするんだすごい→しかし日本のこんな俺TUEEE快進撃続くはずない→立ちはだかる強豪チーム→ドラマ→ドラマに次ぐドラマ→まじかよすげーもん見せてもらってしまった

    という感じの素人が、なんでここまで惹かれてしまったのかと振り返ると、「新時代来たな」というワクワク感に尽きる。
    いまいち乗れなかった昔の(日本の)プロ野球の雰囲気や、ド根性上下関係のような苦手要素がなかった。
    え、なんでなんで、と、つい気になって、吉井理人コーチの『最強のコーチは、教えない。』を買って読んでしまった。これはもっと早く読みたかった。

    世の中があまりに世知辛くて(そうじゃなかった時代なんてないが)、PCから目を上げたときに見える範囲のことしか考えられなくなっていたときに、自分の夢と、自分につながる人たちの夢とを叶えていく生き方がほんとにあるんだ、みたいなところに、ふっと心が浮かんだような体験をさせてもらった。

    これだけ子供が少なくなって、子供に向けられる目も冷たくなっている国で、子供たちに心を寄せる言葉が、選手たちから溢れるほど寄せられたことも嬉しかった。

    自分でもびっくりするほど今回のWBCでは心を動かされたので、とりあえず走り書きで書き留めておく。

  • 佐々木望『声優、東大に行く』

     言わずと知れた大人気声優の佐々木望さん。が、お仕事を続けながら東大に入学し、法学部を卒業されたという(しかも成績優秀者の表彰も受けて[1]東大Days公開記念! 佐々木望 Specialインタビュー第1回|佐々木望の東大Days〜声優・佐々木望が東京大学で学んだ日々〜)。
     その合格体験記なんて絶対気になるでしょ! 

     何はさておき多方面に溢れ出る好奇心と、それを追い続ける体力(知的体力も含めて)がすごい。それさえあれば、勉強術なんてどうとでもチューニングできるという、本当に典型的な東大生でいらっしゃった。
     
     受験のことだけでいえば、もともと英語がとてもよくできるから英語の勉強には時間をかけずに済み、数学もお好きだったらしい。これは強い。
     その他の科目は、過去問から逆算しつつ、教科書と参考書で基礎をしっかり学んでいき、予備校の短期講習も活用し、模試を受けまくって実戦演習を積む、という正攻法中の正攻法。なんだけど、わかっていてもこれを一人でやり遂げるのが難しいんだよなー。
     何をすべきで何をすべきでないかの判断や修正が客観的にできるのは、経験を積んだ社会人ならではの見通しがあってこそという面もあるだろうけど、とにかく学ぶことが好きで楽しくてしかたないから、勝手にどんどん学んでしまうというのが最強だと思った。

     「勉強スタイルは『自主・自由』」
     「いつも気持ちよく勉強できるように、適宜、自分を甘やかしてあげることが大切」
     などなど、ぶんぶんうなずきたくなるフレーズがたくさん。
     科目ごとの具体的な勉強法もおもしろいので、社会人学生や資格取得を目指す方はぜひ。

     とはいえ、本書の最大の魅力は、社会的には完成されている(と他人からはみなされる)大人が、なお新たな知識や経験を追い求めて自己の人格形成に挑む、そのプロセス自体を楽しむ、という佐々木さんご自身の姿だ。入学後の章「東大法学部で学んだこと 知識と経験が結晶化する」は必読。

  • 渋谷らくご『柳家花ごめの怪噺 ~落語で聴く実話怪談~』

    柳家花ごめの怪噺 ~落語で聴く実話怪談~

    実話怪談は、実体験のレポートという体で、最近はネットを中心に語られてきた怪談だ。[1]『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』(宮澤伊織)
    有名どころは「八尺様」とか「コトリバコ」あたりだが、それ以外にもネットには無数の実話怪談が溢れている。
    これを落語で聞けるとか絶対楽しいに決まってる、と思って生配信で聞いた。
    「最後は皆さんに暗ーい気持ちになって帰っていただきたい」で始まったとおり、特に何もカタルシスのないお話たっぷり。それが実話怪談の醍醐味なので楽しかった。

    意外なことに、実話怪談を落語にするという試みはおそらくこれまでなかったそうだ(講談師の先生によるものはあったらしい)。
    花ごめさんはもともと怪談大好きで得意な落語家さん。実話怪談は落語と親和性が高いのではないかと思って取り組んだら、思いのほか難しかったとのこと。
    まずオチがない。それはそう。
    それから、全編ナレーションで進むものを会話劇に仕立てるのがこれまた難しかったと、花ごめさんとゲストの梅木一仁さんが口を揃えておっしゃっていた。

    それでも花ごめさん「獣の夢」は、みごとに落語だった。情景が鮮やかに目に浮かぶ。そこまで怖くはなくて、楽しかった。
    続いてゲストの怪談師・ハニートラップの梅木一仁さん「死神に見える」。こちらも完全に落語になっていて、聞き入ってしまった。実在する(した)人物が登場するため、なかなかきわどい話ではある。なるほどそうやって倫理面をケアするのか、と思った。
    最後に花ごめさんもう一席「ネックレス」。いやあ、人間こわい。

    若手の芸人さんがいろいろ実験的な試みに挑戦するのを見るのは楽しい。渋谷らくご最高です。

    References
    1『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』(宮澤伊織)
  • 「中野正彦」問題

     年末年始に読みかけていた『中野正彦の昭和九十二年』(樋口毅宏)、ようやく読み終えた。
     読むのに正味かけた時間はそれほど長くはなかったと思うのだけど、読むのがつらくて細切れになってしまった。
     何か不快なものを目にしたときの常套句で「吐き気がする」というのがあるが、これは読みながらリアルに悪心をおぼえることが多かった。終板の「平成関東大震災」あたりは特に。

     もちろん、この作品が主人公の中野正彦の思想や言動を肯定的に描いているとは受け取れないし、ましてや「ネトウヨ」礼賛ではありえない。
     ただあまりに今のインターネットユーザの思考過程の描写がリアルすぎるので、中野正彦というキャラクターは、自分を中道と認識している多くの「普通の日本人」たちの共感をけっこう集めるのではないかと思った。したり顔の「バランス感覚」で共感を表明しそうな具体的な知り合いの名前もいくつか浮かんだくらいだ。
     何がリアルかというと、中野正彦はときどき正しいことも言うのである。解決すべき問題を見抜く目や嗅覚も確かだ。だが、その解釈や結果として起こす行動が決定的におかしい。
     同じ事実を見ているのに、どうしてここまで違う結論に至るのかと、もどかしく首をひねることは実際よく起こるが、その現象が実に精緻に再現されている。この作品でいちばん感心したのはこの点だ。
     
     中野正彦のパーソナリティの特徴として、自分が根本的に痛みやつらさを感じそうなことからは頑なに目を逸らすというものがある。それ以外の痛みやつらさは表明されるが、すぐに怒りに置き換えられる。彼の中に、そこを揺すぶったら彼全体が崩壊してしまいそうな巨大な情動の塊がありそうに見える。劣等感かもしれないし、純粋な高い理想かもしれないし、虐げられた悲しみかもしれないし、底知れないさびしさや満たされなさかもしれないし、ほかの何かを含めたそれらすべてかもしれない。その情動の塊を、自分にも他人にも触らせないように、怒りという繭でくるんだ身体で中野正彦はできている。
     繭の中身がおびやかされそうな事実は注意深く(無意識だとは思うが)排除して思考しているように見える。思想の左右を問わず、人間には普遍的なクセかもしれないとはいえ、その傾向がこれでもかというくらい顕著に描かれているのが中野正彦というキャラクターだ。

     読んでいてまったく心地よくはないし、誰かに積極的に読めと勧める気にもならないが、示唆されるところは多かった。
     本書が回収に至った経緯は複雑そうだが、表現手法のみを問題として市場に出してはならない本だとは思わない。しかし、もし回収されずに話題となり、多くの人が読むようになっていたら、今の日本のネット言論空間の傾向を見る限り、さらなる怒りや対立、それによって傷つく人たちを生んだだろう。そうなっていたら、出版社はどこまで対応できただろうか。
     
    『中野正彦の昭和九十二年』回収について|イースト・プレス

  • 『The Unkept Woman』(Allison Montclair)

     大人になってから友達を作るのは難しい、とはよく聞くが、大人の世界もわりと「友達」にあふれている。ママ友/パパ友/趣味友しかり、facebookしかり(それにしても「友達」「親しい友達」「知り合い」分類の身も蓋もなさよ)。
     定義にこだわらず、なにかしらの形式を満たす「友達」を作るだけなら、大人になってもそれほど難しくなさそうだ。でも、その関係をどう維持するか(しないか)、深めるか(深めないか)は、子供時代と同じくやっぱり難しい。

     『The Unkept Woman』(Allison Montclair)は、グウェン(貴族の未亡人)とアイリス(元?スパイ)のデコボコ美女コンビが繰り広げるミステリシリーズ第4作。邦訳が出ているのは第3作『疑惑の入会者』までだけど、待ちきれなくて読んだ。

     第二次世界大戦直後の荒れ果てたロンドンで、ひょんなことから意気投合し、結婚相談所の共同経営を始めたグウェンとアイリス。いまや読者には無二の親友としか見えない二人の間にも、本作ではついに気持ちの行き違いが起こる。
     迷いながらも手を伸ばすグウェンのひたむきさと、迷いとは無縁のようでいてすべての決断が危うさを秘めているアイリスの脆さと、どちらも美しくて目が離せない。
     本作で「friend(s)」という単語は45回出てきた。前作では6回だったから、やっぱり本作のテーマのひとつは「友達」なんじゃないだろうか。

     心の奥底を(たとえそこから注意深く選び抜いたことだけにせよ)打ち明け合うことができると、いかにも友情感は深まる。その関係をたとえば友達レベル1とすると、そこから互いに「今あなたが必要」と訴え、「わかった」と応じる関係に至るまでには、友達レベル50くらいのだいぶ大きな飛躍が必要だ。このへん、恋も友情もあまり変わりないかもしれない。
     グウェンとアイリスを取り巻く男性たちとの関係も、本作で大きく動いていく。アイリスについていえば、えっ、そっちはレベル1で、そっちがレベル50だったの、みたいな驚きがあった。

     タイトルは最後まで読むとなるほど感。邦訳はどうなるのかな。

  • デジタルデトックス正月

     仕事だらけの年末を乗り越えて、三が日は本ばっかり読んでいた(ごはんもつくったし洗濯などもした)。

     Twitterをほとんど見なくなって、つぶやきたいことはMastodonでぽつぽつ、という生活をしていると、心が無駄に波立せられなくてよい(さっきうっかり見て、どよんとなってしまった)。

     椎名誠『失踪願望。コロナふらふら格闘編』。

     椎名さん読んだの、ものすごく久しぶりだ。
     小学生のときに「地獄の味噌蔵」を叔父の一人にもらってハマり、高校生になるころにはあまり読まなくなっていたのではないか[1]母方の叔父たちは、親が積極的には勧めないだろう本や漫画をいっぱい教えてくれて大好きだった。今も大好き。。SF作品の方がいいなと思うようになった記憶はある。

     今の子はどうだろうと思ってうちの高校生に聞いたら、「『岳物語』は、小学生のころ、塾のテキストとかテストでこれでもかってくらい出てきた。重松(*重松清)並の登場回数だった」とのこと。そこからさらに別の本に手を伸ばそうとまではならなかったようでちょっと残念。うちの本棚にもいろいろあるのに。

     で、その久々の椎名さんのエッセイ(というか日記文学)なのだが、これがしみじみとよかった。
     よかった、と言っていいのか。
     コロナ感染記は、とにかくアルファ株(と思われる)の症状が激烈で、よくぞ生きて帰ってくださったと思う。やはり感染は、一時的にせよ脳への影響がかなり大きかったようで、症状が一段落した後の「通りゃんせ」のエピソードはわりと背筋が寒くなった。

     何より、渡辺一枝さん(奥様)が完璧に素敵すぎる。

     そもそも魅力的な人だとは思っていた。
     結婚してから保育士の資格をとって保育所を作り、お子さんたちがある程度大きくなったら、40を過ぎた女性ひとりで念願のチベットを馬で駆け巡った人。今も社会運動と文筆活動で現役だ。
     その夫があの椎名さんと来ている。70歳を過ぎてとても元気とはいえ、コロナ感染前から不眠で薬を常用し、酒も(時に嘔吐するほど)よく飲む夫。その彼と「食事しながら一時間から二時間いろんな話を」し、「今のぼくには大切な時間になっている」と言わしめる。
     おそらくご夫婦で思想的には重ならないところも多そうだと推察されるが、何か絶妙にうまく互いに距離をとりつつ、かけがえのないパートナーとして人生を歩んでいる様子がうかがえた。

     わたしにとって「いちえさん」の勝手なイメージは、智恵子にならなかった高村智恵子だ。
     夫と同じ夢を抱きながら、夫が先にどんどんひとりでその夢を叶えていく。にもかかわらず着実に日々の生活を積み重ね、積み重ねたものをすべて背負って引き連れて、ぽんと自分の夢に向かって踏みだし、そうすることで家族ごと次のさまざまな生き方の揺籃となっていく、というような。

     とてもとても憧れるけれども、はたしてわたしはそういうふうになれるのかなあ。
     
     気になってしかたなくて、古書で椎名さんの『そらをみてますないてます』を手に入れて読んだ。
     いや、おい、イスズミ、まじで。
     ああいうことがあっての、その、今? みたいなきもち。

     夫にとってのイスズミがいたとわかったあと、夫があんなふうに劇症コロナで倒れたら、わたしはどうするだろう。どうできるだろう。

    References
    1母方の叔父たちは、親が積極的には勧めないだろう本や漫画をいっぱい教えてくれて大好きだった。今も大好き。
  • 舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』

     見てきた。
     ハリー石丸幹二さん、ハーマイオニー早霧せいなさん、ロン竪山隼太さん、ドラコ松田慎也さん、アルバス・セブルス藤田悠さん、スコーピウス門田宗大さんの組。

     魔法も素敵だったし、宙乗りディメンターめちゃくちゃ怖かったし、アトラクション的楽しさたっぷり。
     その上、ハリーとアルバス、ドラコとスコーピウス、そしてダンブルドアとハリーの「父子」関係がみっちり掘り下げられてて、ティーンエイジャーの親としても、かつて子供だった大人としても、いろんな感情が引き出される舞台だった。アルバスとスコーピウスの「友情」の描き方には、もしかすると賛否両論あるかもしれないけど、お互いにいちばん大切な人だと言える関係になっていく過程は見ていて清々しかった。みんなスコーピウス大好きでしょ。わたしもです。

     ハリーがいつまで経ってもハリーなのとは対照的に、ドラコはとても大人になっていて、どちらの成長のしかたもおもしろい。わたしが人間としてどちらを目指したいかと言われたらドラコかな。
     
     他の組も見てみたい。

  • 読み返し『斜陽日記』(太田静子)

     鎌倉殿から右大臣実朝を読み返したついでに、太宰をあれこれ読み返していて(中3の夏休みの課題論文は太宰にしたくらい、少女時代にはハマっていた)、その流れで太田静子の斜陽日記も読み返した。

     斜陽は、太田を原作者としてきちんとクレジットしなかったという点で、個人的にはだいぶ許せない気持ちがあったのだが、また読んで、ますますその気持ちが強くなった。太田が彼女の意思で日記を太宰に捧げたことを思うとよけいにやるせない。「人間は恋と革命のために生れて来たのであるのに」は、太宰ではなく、太田の言葉だ。

     斜陽では、主人公のかず子、その道ならぬ恋の相手である上原、そしてかず子の弟である直治と、主立った登場人物のそれぞれに太宰が投影されている。かず子はもちろん太田で、上原は太宰が直接的なモデルだ。太田に弟はいるが、直治は斜陽オリジナルキャラと言ってもいい。太宰は上原を比較的醜く描く一方で、直治には甘いように思える。自分の中の直治的なものを、太宰は抱き締めたかったのだろうと思う。でも、舌の病気になった「お母さま」に対し、ガーゼをリバノール液に浸したものにマスクを着けて寝るという(効果はともあれ)優しい手当を提案したのは、斜陽日記によれば太田であった。それが直治の手柄にされてしまったことで、何か大切なものを奪われたような気がしてしまってつらい。

     女の年齢に関するちょっとした記述の違いも棘のように引っかかる。
     斜陽日記にはこんな一節がある。

     「でも、私は、駄目なのです。恋のこころがなくては。どうしてもだめなのです。私はもう大人なのです。三十三。」
     と、言って、はっとした。女は三十三までは乙女の匂いが残っている。けれども、三十三をこえた女の体には、もう何処にも乙女の匂いは残っていない、という言葉を思い出したのである。外の風景の向うに、海が青く光っていた。

     これが、斜陽だとこうなる。

     「でも、私みたいな女は、やっぱり、恋のこころが無くては、結婚を考えられないのです。私、もう、大人なんですもの。来年は、もう、三十」
     と言って、思わず口を覆いたいような気持がしました。
     三十。女には、二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。

     太宰のいうフランスの小説がほんとうにあるのかもしれない。閾値を三十三においたのは太田のちょっとした創作が入っているのかもしれない。
     どちらが何を創作したのかはわからないが、この男女の齟齬に表れている年齢の受け止め方の違いがいたたまれない。
     今のわたしは、簡潔で力強い太田の記述の方を愛する。

  • 音楽劇『歌妖曲~中川大志之丞変化~』

    明治座初日見てきた(昨日)。

    昭和歌謡版リチャード三世って何?? と思っていたけど、そうとしか言いようのない、でもそう聞いただけでは到底予想できなかった超重量級悲劇だった。

    中川大志さんと対峙して殺されていく俳優さんたちの力がすべてとてつもなく強くて大きいのに(特に父親の池田成志さん)、それを全部受け止めて悲劇の炎に引き込んでいく大志さんのエネルギーのはかりしれなさ。

    主人公の容貌からの連想もあるのか、ノートルダムの鐘の幻想も織り交ぜられていたように思うが、こちらはあくまで幻想で、メインのストーリーは一片の救いもない、純度100%の悲劇だった。誰も幸せにならないドン・ジョバンニっぽくもあるのかな。
    ここまで徹底した悲劇を見ると、かえって気分がすっきりするのはなぜだろう。

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