読み返し『斜陽日記』(太田静子)

 鎌倉殿から右大臣実朝を読み返したついでに、太宰をあれこれ読み返していて(中3の夏休みの課題論文は太宰にしたくらい、少女時代にはハマっていた)、その流れで太田静子の斜陽日記も読み返した。

 斜陽は、太田を原作者としてきちんとクレジットしなかったという点で、個人的にはだいぶ許せない気持ちがあったのだが、また読んで、ますますその気持ちが強くなった。太田が彼女の意思で日記を太宰に捧げたことを思うとよけいにやるせない。「人間は恋と革命のために生れて来たのであるのに」は、太宰ではなく、太田の言葉だ。

 斜陽では、主人公のかず子、その道ならぬ恋の相手である上原、そしてかず子の弟である直治と、主立った登場人物のそれぞれに太宰が投影されている。かず子はもちろん太田で、上原は太宰が直接的なモデルだ。太田に弟はいるが、直治は斜陽オリジナルキャラと言ってもいい。太宰は上原を比較的醜く描く一方で、直治には甘いように思える。自分の中の直治的なものを、太宰は抱き締めたかったのだろうと思う。でも、舌の病気になった「お母さま」に対し、ガーゼをリバノール液に浸したものにマスクを着けて寝るという(効果はともあれ)優しい手当を提案したのは、斜陽日記によれば太田であった。それが直治の手柄にされてしまったことで、何か大切なものを奪われたような気がしてしまってつらい。

 女の年齢に関するちょっとした記述の違いも棘のように引っかかる。
 斜陽日記にはこんな一節がある。

 「でも、私は、駄目なのです。恋のこころがなくては。どうしてもだめなのです。私はもう大人なのです。三十三。」
 と、言って、はっとした。女は三十三までは乙女の匂いが残っている。けれども、三十三をこえた女の体には、もう何処にも乙女の匂いは残っていない、という言葉を思い出したのである。外の風景の向うに、海が青く光っていた。

 これが、斜陽だとこうなる。

 「でも、私みたいな女は、やっぱり、恋のこころが無くては、結婚を考えられないのです。私、もう、大人なんですもの。来年は、もう、三十」
 と言って、思わず口を覆いたいような気持がしました。
 三十。女には、二十九までは乙女の匂いが残っている。しかし、三十の女のからだには、もう、どこにも、乙女の匂いが無い、というむかし読んだフランスの小説の中の言葉がふっと思い出されて、やりきれない淋しさに襲われ、外を見ると、真昼の光を浴びて海が、ガラスの破片のようにどぎつく光っていました。

 太宰のいうフランスの小説がほんとうにあるのかもしれない。閾値を三十三においたのは太田のちょっとした創作が入っているのかもしれない。
 どちらが何を創作したのかはわからないが、この男女の齟齬に表れている年齢の受け止め方の違いがいたたまれない。
 今のわたしは、簡潔で力強い太田の記述の方を愛する。

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