時期的に、そして表面的にはとにかく処理する仕事がたくさんある状態だけど、その仕事ひとつひとつに、関わっている人たちの権利と労力と思いと、そして自分の食い扶持が依って立つところの技術的法律的課題が個別にみっちり詰まっているから、簡単に時候の挨拶や愚痴では到底片づけられない。そもそも外国案件では日本の年度末とか関係ないことがほとんどだしね。
日本のいい大学を出ておきながら資格職で与えられた課題をこなすだけなんてもったいない、みたいに、持ち上げているようでdisる人をたまに見かける。直接間接にdisられたこともある。
以前は、与えられた課題をこなすだけの仕事なんてこの世のどこにあるのか、想像力をどこに捨ててきたのかと腹が立っていたけれど、最近は、これも「何者か」にならなければ(あるいは子供を「何者か」にしなければ)症候群のひとつなのかなと思うようになった。
世の中は、誰かにとっては「何者か」であるようには見えないけれど、別の誰かにとってはかけがえのない「何者か」であるたくさんの人たちが支えているという、きわめてあたりまえの話だ。それが金銭として対価をもらっている人にせよ、そうでない人にせよ。
そうやって他人をdisる人たちが賞賛する海外の有名大学出身の人たちともたくさん仕事をしているけれど、結局のところ、現場で大切なのは人としての誠実さと基礎学力に尽きる。もちろん相手からもそう評価されているはずだ。だからわたしは、わたしが身につけることのできた力をほかの人たちのために使う方法をせいいっぱい考えて、そして実際に使い切って生きて死にたいと思う。
それが一番の願いかといえばそんなことはなくて、好きな本読んで好きなこと書いて、ときどき好きな人とイチャイチャしながら食べたいもの食べて、行きたいところに行って生きて死ぬのがいいな。