ウォッチとか陰口とか

一部でテストされていた「Twitterサークル」機能がグローバルに実装されて、タイムラインが騒がしかった一日だった。使いようによっては便利だとは思うし、一定の目的とやり方でいつかは使うかもしれないとも思うが、人間の本性がわりとあぶり出されそうではある。

閉ざされている(と当事者が認識している)コミュニティ内でやりとりされるネガティブな悪口や陰口は、もちろんそのコミュニティ内の誰かが流出させるリスクを常に孕むものではあるし、そうでなくても、そういうやりとりに慣れてしまった人たちの心を蝕んでいくものだと思う。

コミュニティ外の誰かをウォッチングして、その言動をネタや物笑いの種にしたり、あいつと仲良くするなというメッセージを発したりもてあそんだり、そんなことは人がほんの幼児だった頃からずっとやっていることだけど、大人になってからもそういう振る舞いをし続ける生き方を選択するのか。選択してしまったら、それを選択したことにともなうさまざまなあれこれは必ずにじみ出してしまうだろう。

憎しみや嫉妬や後ろめたさは、短期的には人をつなげる紐帯となるかもしれないが、その紐帯は、すがり続けるにはあまりに脆いし、自分の良心をまるごと懸けるほど頼りになるかは疑わしい。

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